11.母の愛
厩舎の影を抜けて、私は元来た道を戻った。
脚は、少し重い。
たぶん、気のせいだ。
――走れなければ、いなくなる。
――勝てなければ、どうなるかわからない。
考えないようにしても、頭の隅で言葉が鳴る。
放牧地の柵が見えた瞬間、
私はようやく息を吐いた。
……帰ってきた。
「シア!!」
鋭い嘶き。
次の瞬間、大きな影が目の前に立つ。
お母さんだ。
黒い体が、小さく震えている。
「……どこに行ってたの」
低い声。
怒っている――けれど、それだけじゃない。
私は、正直に言った。
「……お父さんに、会いに」
一瞬、空気が止まった。
――コツン。
額を、軽くぶつけられる。
「……ばか」
お母さんは、私を包むみたいに首を下ろす。
「人間に見つかったらどうするつもりだったの?
脚を引っかけたら? 転んだら?
あなたは、まだ子供よ」
叱っているのに声の奥が、少し揺れている。
「……ごめんなさい」
それしか言えなかった。
お母さんは、深く息を吐いた。
「……あなたが、どうして行ったのかは、わかるわ」
その言葉に、思わず顔を上げる。
「でもね、シア。知るのは、少しずつでいいの」
優しくて、強い声。
「生きるために必要なのは、走ることじゃない。
生き延びるために必要なのは――壊れないことよ」
私は、自分の脚を見た。
小さくて、細い。
でも、今の私の全部。
「……もう、勝手に出て行かない」
そう言うと、お母さんは私の首筋を一度だけ舐めた。
私の嘘を、嘘だと知りながら。
*
それからしばらく、私は大人しくしていた。
草を食べて、眠って、走って。
何も考えないふりをする。
……でも、夜になると、思い出す。
父の青い目。
「壊れるな」という言葉。
“選ばれる”という響き。
走ることを求められる未来は、きっと来る。
逃げられない。
だったら――
知らないまま、連れていかれるより。
知った上で、行きたい。
※完結まで毎日投稿です。




