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馬肉になりたくないんです! ~転生、異世界で強制競走馬生活ですか?!~  作者: ゆうらり薄暮


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12.二度目の脱走



 ある朝。

 厩舎の外が、いつもより少し騒がしかった。


 人間たちが早く動いている。

 荷台の音。

 見慣れないロープ。


 ――あ。


 直感で、わかった。


 これ、“いつか”じゃない。

 “近いうち”だ。


 私は、お母さんのそばに寄った。


「……今日は、なにかあるの?」


 お母さんは、少し間を置いて答えた。


「まだよ。でも……そのうち、ね」


 その言い方が、すべてだった。


 そのうち。

 いつか。

 人間の都合で、突然。


 待っていたら、間に合わない。


 私は、決めた。


 今度は、無茶はしない。

 今度は、壊れない。


 だから、時間を選ぶ。


 人間の足音が減って、

 厩舎に灯りが入り始めるころ。


 私は、前よりずっと慎重に柵の下をくぐる。


 脚を置く。

 確かめる。

 もう一歩。


 ――大丈夫。


 胸が、どくんと鳴る。


 怖い。

 でも、行く。


 青い屋根の厩舎は、相変わらず遠い。

 それでも、前より足取りは軽かった。


 知りたいことが、はっきりしているから。


 私は――

 生き残る条件を、知りに行くのだから。



 茂みに身を隠して様子をうかがうと、

 中では牡馬たちが、のんびり草を食んでいた。


「……来たな」


 最初に気づいたのは、父――インペラトーレだった。


 青い目が、まっすぐこちらを見ている。


「出てこい。今日は人間は来ない」


 私は一瞬ためらってから、そっと姿を現した。


「……また来たのか、おチビ」

「懲りねぇなぁ」

「怒られなかったのか?」


「……怒られた」


 正直に言うと、なぜか少し笑われた。


「だろうな」

「でも来たってことは、まだ聞き足りねぇって顔だ」


 私は、父の前まで歩み寄った。


「……ねえ」


 声が、少し震える。


「勝てば、生き残れるって言ったよね」


 空気が、ぴんと張る。


「勝つって――どのくらい?」


 誰も、すぐには答えなかった。


 代わりに、ガリレオが一歩前に出る。


「……いい質問だよ、お嬢さん」


 その声は、前よりずっと真剣だった。


「勝つにもね、“重さ”があるんだ」


「……重さ?」


「そう。“重賞”って言葉、聞いたよね」


 私は、こくりと頷く。


「重賞ってのはね」

 ガリレオは、ゆっくり言葉を選ぶ。


「“誰が見ても強いと認める舞台”のことだ」


「レースには格がある」

 体格のいい黒茶の牡馬が続ける。


「新馬戦、未勝利戦、一勝、二勝、三勝……」

「そこを抜けたやつらが、ようやく“オープン”だ」


「オープン以上が、重賞だな」

「GⅢ、GⅡ、GⅠの三つ」


 私は、耳をぴんと立てた。


「GⅠが、一番すごい?」


「そうだ」

 父が短く答える。


「勝てば、世界が変わる」


「値段も、扱いも、未来もな」

「人間の目の色が変わる」

「“残す価値がある”って、はっきり言われる」


 胸が、ぎゅっと締まる。


「……じゃあ」


 私は、恐る恐る聞いた。


「GⅠを勝てなかったら……?」


 沈黙。


「……勝てなくても、生きるやつはいる」

「でもな、保証はなくなる」


 保証。


 その言葉が、重かった。


「だからだ」

 ガリレオが、私を見る。


「“確実に生き残りたい”なら、GⅠが欲しい」


「一つでもあれば、違う」

「二つあれば、かなり強い」

「三つあれば――」


「もう化け物だな」

「歴史に残るやつだ」

「牝馬なら、なおさら」


 私は、はっとした。


「……牝馬?」


「牝馬はね」

 ガリレオが頷く。


「牡馬より少しだけ、別の道がある」

「走らなくても、価値が残ることがある」


 胸が、一瞬だけ軽くなる。


 ――助かる道が、ある?


 でも。


「それに甘えるな」


 父の声が、低く落ちた。


「走らない牝馬は、弱い」

「弱いまま残された牝馬は、守られない」


 私は、黙った。


「走って、勝って、証明しろ」

 父は、私をまっすぐ見る。


「それができれば――おまえは、選ばれる」


 選ばれる。

 生き残るために。


「……私」


 小さな声で、言った。


「勝ちたい」


 牡馬たちが、一瞬だけ黙り込む。


「いい顔だ」

「覚悟決まったな」

「じゃあ、もう一つ教えてやる」


「重賞ってのはな」

「勝つだけじゃ足りねぇ」


「“どう勝つか”も見られてる」


「楽に勝つか」

「無理して勝つか」

「壊れそうになって勝つか」


「人間は全部、見てる」


 父が、静かに締めくくった。


「無事に帰ってくること」

「それも、勝ちの一部だ」


 夕闇の中で、

 私は自分の脚を見た。


 ――勝つ。

 ――でも、壊れない。


 それが、私の最初の目標になった。


 重賞とは、

 生き残るための舞台であり、

 生き方そのものを試される場所なのだと。


 

 人間の気配が、戻ってきた。


 遠くで、扉の軋む音。

 誰かの足音。

 低い声。


「……帰りなさい」


 父の声だった。


 短くて、それ以上の意味を含まない声。


 私は、こくりと頷いた。


 来た時よりも、ずっと慎重に。

 来た時よりも、ずっと静かに。


 茂みの影を抜けて、私は来た道を戻る。


 脚を置く。

 確かめる。

 また一歩。


 ――壊れない。


 それだけを、胸の中で繰り返した。


 放牧地の柵が見えたころ、

 厩舎の灯りは、もうはっきりと夜の色になっていた。


 私は、何事もなかったふりをして群れに紛れ込む。


 草を食べるふりをして、

 眠そうな顔をして、

 小さく息を吐く。


 ……帰ってきた。


 誰にも気づかれないまま、

 でも確かに――私は、ひとつ賢くなって戻ってきた。

※完結まで毎日投稿です。

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