10.馬肉になりたくないんです!
夕方の光が厩舎の床を斜めに伸ばし始めたころ。
私はふと、いちばん聞きたくない質問をしてしまった。
「……ねえ。生き残るって、どういう意味?」
空気が、ほんの少しだけ冷える。
答えたのは、父――インペラトーレだった。
「……走れない馬は、価値がない」
短くて、刃物みたいな言葉。
私は、息を呑む。
「価値がない馬は、いなくなることがある。
この厩舎にいるのは、“いなくならなかった”連中だ」
“いなくなる”。
その言い方が、逆に怖い。
誰かが、冗談みたいに笑って言った。
「勝てなきゃ馬肉だぞ、おチビ」
頭が真っ白になった。
馬肉。
にく。
食べるやつ。
「……え? ば、ばにく……?」
声が裏返る。
「は? そこ食いつく?」
「おい、脅しすぎだろ」
「いや、全部が全部じゃねぇが……なくはねぇ」
なくはねぇ。
その一言で私の気分は一気に地獄へ転げ落ちた。
――死にたくない。
――走らないと殺される。
――勝たないと食べられる。
前世の知識が悪い方向にだけ、妙に働く。
繁殖牝馬とか、選択肢とか、そんなの今は考えられない。
“肉”って単語が、心臓に直撃して離れない。
「じゃ、じゃあ……勝ち方、もっと教えて……!」
必死に縋る私を見て牡馬たちが一斉に顔をしかめた。
「……やべ」
「マジで信じたぞこれ」
「おい誰だよ言ったの」
「俺じゃねぇ。そっちだろ」
ガリレオが、鼻先で私の額を軽く撫でた。
「ごめんね、お嬢さん。怖がらせた。
“必ずそうなる”って話じゃない。だけど――」
そこで言葉を切って、目だけを真面目にする。
「この世界は、優しくない。
だから、強いほうがいい。勝つほうがいい。
……それは本当だよ」
父が静かに続けた。
「だが、壊れるな。
無茶をして脚を折ったら、それこそ――終わる」
脚。
折れたら終わる。
私は、急に自分の小さな脚が怖くなった。
その時、外で人間の足音がした。
ガリレオが耳を動かす。
「……迎えだ。お嬢さん、帰りなさい」
牡馬たちが口々に言う。
「気をつけろよ!」
「怪我すんなよ!」
「勝つのも大事だけど、無事に帰ってこい!」
「また来いよ、ちび!」
私は、茂みの陰から一度だけ父を見た。
父は――じっと私を見ていた。
ただ、青い目だけが……ひどく静かに揺れていた。
……私、勝つ。
勝って、生きる。
だって私、馬肉になりたくないんです。
※完結まで毎日投稿です。




