バルドさんの細身剣
すりガラス越しに差し込む朝日に目を覚ましたクラリスは、最高級ホテルのふかふかなマットレスの上で、勢いよく上半身を起こした。
「ふぁぁぁ……! HP、MP、スタミナ、全部全回復! やっぱり高ランクの宿屋は睡眠の質が違うわね!」
昨夜、ジルベールが金貨を叩きつけて手配してくれた高級部屋。隙間風ひとつない暖かな室内でぐっすり眠れたおかげで、昨日のスライム狩りで疲弊していた身体は嘘のように軽い。
身支度をサクッと整え、ルンルン気分で鍵を回して部屋の扉を開ける。
——と、その目の前に、昨日と寸分違わぬ姿で佇む黒い影があった。
「あ、ジルベール! おはよう! 朝早いね〜。てか、もう隠れないんだ。」
漆黒の甲冑を隙なく着こなし、壁に背を預けて腕を組んでいたジルベールが、ゆっくりと紫紺の瞳をこちらへ向けた。
「……もう見つかったのだから、隠密の意味はないだろ。」
「まあ、確かに。」
「とりあえず朝食、食べるぞ」
「はーい!」
クラリスは彼が少し疲れた顔をしていることにも、甲冑についた微かな夜露にも一切気づかず、快調な足取りで廊下を歩き出した。ジルベールはそのクラリスの背後を無言で追った。
◇ ◇ ◇
ホテルの1階で手早く朝食(まさか朝食付きとは知らなかったけど、焼き立てパンと塩気の効いたスープ美味しかった)を済ませた二人が向かったのは、下町の路地裏にひっそりと店を構える鍛冶屋であった。看板には半ば消えかかった文字で『バルド鍛冶工房』と彫られている。
(ゲームだと分かりやすくていいけど、実際に自分の名前を入れるのちょっと痛いなー)
苦笑いしながら重い木扉を開けると、カンカンと高く響く槌の音と、肌を焼くような猛烈な熱気が押し寄せてきた。
「なんだぁ? 一見さんか。うちには冒険者ごっこのお嬢ちゃんが買うような生易しい剣はおいてねえぞ」
奥から現れたのは、煤で汚れた革のエプロンを巻き、立派な髭を蓄えた厳めしい表情の男——親父のバルドだった。太い腕には数々の火傷の跡が刻まれ、その鋭い眼光は一目でただ者ではない職人だと分からせる。
「バルドさん! 噂を聞いて来ました! 貴方が打ったあの『銀の細身剣』を買わせてください!」
クラリスが迷いなく叫ぶと、バルドはピクリと眉を動かし、鼻で笑った。
「ハッ、よく調べたもんだ。だが断るね。あの細身剣は俺が気まぐれで打った一品だが、扱いが難しすぎて誰も使いこなせねえから棚の奥に封印してんだよ。刀身が極限まで細く削られてる分、筋力(STR)に任せて振り回しても威力がでねえ。敵の隙を突き、弱点を正確に穿つ『高水準の器用さ』と『速度』がなけりゃ、ただの折れやすい鉄くずだ。お前みたいな華奢な嬢ちゃんに渡しても、すぐに折られて終わりだ」
「折らせません。だってあの剣は、大剣や片手剣みたいに『腕力で叩き斬る』ための武器じゃないでしょう?」
「……あぁ?」
クラリスは一歩前へ踏み出し、前世でやりまくりすぎて完全に暗記した裏設定スレッドを読み込んだ記憶をスラスラと脳内再生させた。
「あの細身剣、銀の含有率をギリギリまで上げて魔導伝導率を高めてありますよね? だから刀身がしなって衝撃を逃がす構造になっている。ただの鉄くずどころか、相手の攻撃の『点』にこちらの『点』を正確に重ねて威力を殺し、その隙に核や関節の隙間を穿つために計算し尽くされた……職人の意地が詰まった最高傑作じゃないですか」
バルドの表情から嘲りが消えた。組んでいた腕がわずかに震える。
「……お前、なぜそれを知っている。あの剣の重心と銀の配合率は、誰にも話したことがねえはずだぞ」
「分かりますよ。だって、ただ『軽くて振りやすい剣』を作りたいだけなら、あんな面倒な焼き入れと削り出しをする必要がないもの。力任せに振るバカどもには『威力が足りない』って不評だったかもしれないけれど……あれは高い敏捷性と見切りを持つ使い手が手にして初めて、確定クリティカルを叩き出す『極上の弱点特効武器』になるんです。私はあの剣の設計思想を100%理解して使えます」
完璧なロジックによる説得。バルドは圧倒されたように数秒間沈黙した。
だが、さすがは頑固親父。簡単に折れるのはプライドが許さなかったのか、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて腕を組んだ。
「……ハッ! 口の減らねえお嬢ちゃんだ。理屈は分かった。だがなぁ、職人ってのは目利きだけで動くもんじゃねえんだよ。渡してやってもいいが……そうだな。スライムの極めて稀なレアドロップ品である『粘液核の結晶』と、銀貨3枚を持ってくるってんなら、本気で譲ることを考えてやってもいい」
(出たーーーッ!! バルドさんの条件吊り上げイベント!!)
バルドの意地悪な提案に、後ろで控えていたジルベールが呆れたように眉をひそめた。
「おい、親父。スライムのレアドロップなど、熟練の冒険者が数百匹狩ってようやく一粒手に入るかどうかだぞ。駆け出しのFランクに要求する条件ではない」
「ハハッ! 嫌なら諦めるんだな! 幻の素材でも持ってこねえ限り、この剣は——」
「はいどうぞ!」
ジャラッ! と、クラリスは昨日スライムから乱獲した成果物の詰まった革袋から、透きとおるような綺麗な青い結晶と、銀貨3枚をカウンターへ勢いよく差し出した。
「「…………は?」」
バルドとジルベールの声が、見事なまでに重なった。
カウンターの上に転がる、間違いなく本物の『粘液核の結晶』。スライムの核を傷つけず完璧に穿った時にしか落ちない、超低確率のレア素材だ。
バルドは目を点にし、口をぽかんと開けたまま固まっている。
「な……なん……え!? なんでお前、これをすでに持ってるんだ!? 今さっき『粘液核の結晶』って言ったばかりだぞ!?」
「昨日、東の森でちょっと乱獲した時にドロップしたんです! バルドさんがこれを欲しがってるって……あ、じゃなくて、必要な条件になるかもな〜って思ってたので!」
(ふふん! こっちは何回このイベントを受けてると思ってるのよ! もちろん昨日のスライム湧き潰し狩りの時にしっかり確保しておいたに決まってるでしょ!)
ジルベールもまた、氷のような冷徹な表情を崩し、信じられないものを見る目でクラリスを凝視していた。
完全に先手を打たれたバルドは、額に汗を浮かべながら、降参と言わんばかりに深々とため息をついた。
「……負けだ、負け! まさか言葉を口にした瞬間に叩きつけられるとはな! 参ったよ!」
バルドは奥から大事そうに布に包まれた一振りの剣を持ってくると、カウンターへドンと置いた。
布を払うと現れたのは、美しい銀の輝きを放つ細身剣。洗練された刀身は、まるで一本の光の筋のように美しく、かつ恐ろしいほどの鋭利さを秘めている。
「『銀の細身剣』だ! 持っていきな! その代わり、その理屈と手際通りの立ち回りを見せてみろよ!」
「はいっ! ありがとうございます、大切に使います!」
念願のぶっ壊れ武器を手に入れ、チャキンと刀身を輝かせるクラリス。
その横で、ジルベールは心底恐ろしいものでも見るかのような眼差しで、ボソリと呟いた。
「……お前、本当にどうしたんだ? 未来でも見えているのか……? いや、それなら婚約破棄だって防げたか……」
「ふふん、伊達にガチ勢やってないからね! さあ、次は防具屋へGOー!」
「……待て、説明しろクラリス!」
先回り完璧なクラリスに、ジルベールの困惑と警戒は最高潮に達するのだった。
◇ ◇ ◇
「待てと言っている、クラリス!」
すたすたと上機嫌に歩くクラリスの襟首を、後ろから冷たい手枷のような力でガシッと掴むジルベール。
「ぶへっ!?」
「質問に答えろ。なぜ一度も入ったことのない工房の設計思想や、店主の要求を予見できた。……まさか王宮を追放される前から、この下町で何事かを画策していたのか?」
「痛っ! 襟首引っ張らないでよ、服が伸びる〜! 予見じゃなくて『経験』と『予習』よ! 優秀な冒険者は攻略情報を頭に入れてから挑むのが常識でしょ!」
「意味が分からん……」
深々とため息をつき、手を放すジルベール。クラリスは首元をパッパッと整えると、目の前にある防具屋の看板を指差した。
「ほら、怪しんでる暇があったら中に入るわよ! 次は防具の新調なんだから!」
◇ ◇ ◇
「いらっしゃい! おや、見慣れない組み合わせだな。お嬢ちゃん、防具をお探しで?」
店内に一歩足を踏み入れると、頑固そうな店主が声をかけてきた。
「はい! 敏捷(AGI)のステータスを殺さない、おすすめの防具を教えてください!」
「よしきた! 姉ちゃんみたいに華奢な子なら、この『精霊の胸当て』なんかどうだ? 胸元が大きく開いてて動きやすいし、なにより見た目が非常に華やかだぞ!」
店主が取り出してきたのは、デザイン性に優れた豪華な革の胸当てだった。
(うわぁ! これってデザイン至上主義プレイヤーに大人気だったやつ! 露出度が高くて可愛いし、ちょっと着てみたいかも!)
「わぁ、これデザイン可愛い! 軽そうだし、動きやすそうだし——」
クラリスが手を伸ばそうとした、その瞬間。
ガシッと、本日二度目の衝撃が頭の上から降ってきた。
「ぶへっ!?」
「却下だ」
ジルベールがクラリスの服の襟ぐりを掴んだまま、持ち上げるように引き剥がした。
「ちょっと! ジルベール、また!? 襟首掴まないでってば!」
「防具としての機能性が著しく低い。即刻却下だ」
「はぁ!? 動きやすそうだし、AGIの補正も高そうじゃん!」
「お前は馬鹿か。その胸当てのどこに生命を守る機能がある。心臓部こそ覆われているが、鎖骨も、脇腹も、太もももむき出しではないか。そんな露出度の高い布切れ同然の防具で魔物の爪を受けたらどうする? 即死だ」
「いやでも、被弾しなければ防御力なんてゼロでも関係ないし! 避け続ければいいだけの話でしょ!」
「……お前は昨日、ただのスライム相手にスタミナ切れを起こして棒立ちになったことをもう忘れたのか?」
「ぐっ……!!」
痛いところを突かれ、クラリスは言葉を詰まらせた。
「回避を前提とした立ち回りなど、万全のスタミナと100%の集中力が維持できて初めて成り立つものだ。一撃でも貰えば終わるような薄着で戦場に立つなど、リスク管理が杜撰すぎる」
「うぐぐ……正論すぎて言い返せない……!」
ジルベールはクラリスを完全無視し、店主に向かって低く冷たい声を向けた。
「おい。見た目などどうでもいい。実効性と耐久性を最優先した、最高品質の『軽装革鎧』を出せ。急所を確実に保護できるものだ」
「は、はいぃっ! ただちに用意します!」
圧倒的な威圧感に気圧された店主が奥から持ってきたのは、実用性100%の『漆黒の軽装革鎧』だった。
(くっそ〜! ちょっと着てみたかったのにー!)
心の中でキーッと爪を噛むクラリスだったが、実際に着てみると肩周りの可動域が完璧で、さっき手に入れた『銀の細身剣』の刺突モーションをまったく邪魔しない仕上がりだった。
(……悔しいけど、あいつの言う通り実効性は完璧ね。確かにこれは人気防具だったけど。)
◇ ◇ ◇
最後に向かったのは、路地裏にひっそりと佇む小さな装飾品店。
ガラスケースの片隅に転がっている、くすんだ銀の指輪を見つけたクラリスの目がキラリと光る。
「おじさん、あの指輪、いくら?」
「あぁ? あれか? ただのガラクタだ。銀貨1枚でいいぞ」
「買った!」
即決で銀貨を支払うクラリスに、ジルベールが不審そうな目を向ける。
「……また怪しげなガラクタを買ってどうする」
「ふふん、甘いわねジルベール! これはね、表面の刻印をよく見ると分かるんだけど、常時『スタミナ回復速度+15%』と『移動速度+5%』のパッシブ補正がかかる『疾風の微光』っていう超レアアイテムなの!」
ドヤ顔で胸を張るクラリス。ジルベールは指輪をまじまじと見つめ、深々と天を仰いだ。
「……お前は本当に、どこでそんな知識を仕入れてくるんだ。」
「……これでスタミナ切れの弱点もカバー完了! 完璧な『高INT×AGI特化型・弱点一撃必殺ビルド』の完成よー!」
腰に銀の細身剣を差し、漆黒の革鎧を身につけたクラリスは、満面の笑みで拳を突き上げた。
「さあ! 準備は整ったわ! 頼れる監視役の騎士様、いざ次の目的地……『港町バローネ』へ続く地下洞窟ダンジョンへ、出発進攻〜!」
「……勝手に盛り上がるな。歩くぞ」




