念願の安宿
無事にFランクのギルドプレートを手に入れたクラリスは、興奮冷めやらぬ足取りで冒険者ギルドの重厚な木造扉をあとにした。
夜の冷気が火照った頬を心地よく撫でる。だが、彼女の胸の中はハクスラ欲とレベリングへの野望でポカポカと温かかった。
「ふっふっふ……よしっ! ギルド登録も済んだし! 次の攻略チャートは……そう、拠点となる『安宿』の確保!」
本当は早速攻略開始ってところだけど、夜間の無茶なレベル上げはMP切れや視界不良による事故の危険が高まる。ゲームの鉄則として、まずは安全な拠点を確保して体制を整えるのが基本中の基本だ。
クラリスが向かったのは、貴族街の煌びやかな大通りから遠く離れた、下町の入り組んだ路地裏。築年数がかなり経っているであろう、古い木造三階建ての建物だ。看板には、長年の風雨に晒されて文字が擦れかけた『月光の木かげ亭』という文字が刻まれている。
(ふふふ……『ルミナ』の下町エリアで最もコストパフォーマンスが良いと評判の隠れ家的な安宿! 一晩素泊まりで銅貨5枚! 質屋に入れたドレスの売り上げで十分お釣りがくるし、初期資金の節約にはうってつけの場所なのよね!)
ギシギシと音を立てる木造の扉を押し開けると、店内には古い木くずと煙草の混ざった独特の匂いが立ち込めていた。カウンターの奥では、小さなランプの光に照らされた老店主の老婆が、眠そうに煙管をふかしている。
「……こんな夜更けになんだい。うちは若いお嬢さんが一人で泊まるような高級宿じゃないよ。間違えたなら他を当たりな」
老婆は煙を吐き出しながら、クラリスの整いすぎた美貌と鮮やかな銀髪を胡散臭そうに見つめた。確かに、貴族のお嬢様がお忍びで来るような雰囲気の宿ではない。
だが、クラリスは一切怯むことなく、むしろ慣れた手つきでポケットから銅貨5枚をジャラリとカウンターへ並べた。
「素泊まり一晩お願いしたいです! ちゃんと前払いします!」
「……ほう?」
老婆は驚いたように目を丸くした。身なりや顔立ちは極上の令嬢そのものなのに、迷いなく下町の安宿に滑り込み、手慣れた様子で前払いを済ませる目の前の少女。そのギャップに拍子抜けしたように、老婆は鼻で笑った。
「面白いお嬢さんだねぇ。部屋は三階の一番奥、つき当たりの部屋だ。鍵とランプを持っていきな。夜中に変な声を出しても誰も助けちゃくれないよ、鍵だけはしっかり閉めな」
「ありがとうございます! おやすみなさい!」
鍵と小さな魔導ランプを受け取ったクラリスは、ギシギシと軋む木造の階段を軽やかな足取りで上っていった。
◇ ◇ ◇
ガチャリと鍵を回し、部屋の扉を開ける。
そこに広がっていたのは、質素極まりない狭い空間だった。
木製の小さなベッドがひとつ、上に敷かれた使い込まれた薄い毛布、ガタつく小さな丸テーブルと丸椅子、そして夜空が見える小さな小窓。公爵家時代の「豪華絢爛な天蓋付きベッドとシルクの寝具」とは天と地ほどの差がある環境だ。
普通のお嬢様であれば「こんな埃っぽい物置のような部屋で寝るなんて無理ですわ!」と泣き叫ぶような場面だろう。
だが、クラリスは感動のあまりその場に佇み、紫の瞳をウルウルと輝かせた。
「これこれこれーーーッ!! これぞまさに『冒険者の初期宿』!! この木くずと干し草の匂い! ガタつくベッドの感触! 画面越しに憧れ続けた『セーブポイント』そのものじゃないの……!!」
興奮を抑えきれず、クラリスは革の胸当てのベルトをパッと外し、ショートパンツ姿でベッドへ豪快にダイブした!
ドサッという音とともに、干し草がぎっしり詰まったマットレスが沈み込む。少し硬く、シーツもゴワゴワとした質感だが、17年間の過酷なマナー教育と本日の爆走逃走劇で疲れた身体には、どんな高級ベッドよりも愛おしく感じられた。
「ふはぁぁぁ……! 自分の足で歩いて、自分の知恵で稼いで、自分で選んだ宿で寝る……! 自由って、最高すぎる……!」
仰向けになり、枕(硬めの綿が詰まった袋)に頭を預けて天井の木目をじっと見つめる。
公爵令嬢として生きていた頃は、毎日が決められたスケジュールで埋め尽くされていた。着る服も、食べるものも、会話する相手も、歩く歩数すらも制限されていた日々。それが今、この小さな部屋で、自分の意思ひとつで夜を迎えられている。
(よし、今日のところはこれでセーブ。今のレベルは3で、INTが異常に高かったけれど……それはそれで魔法の消費MP効率や見切り速度にプラス補正がかかるから結果オーライ! むしろ超強力なアドバンテージじゃない!)
前世の知識と高INTが組み合わさったことで、相手の動きや攻撃予備動作が一瞬で見抜けることがギルドでのやり取りで判明したのだ。これは近接戦闘においても圧倒的な強みになる。
(明日の朝一番でギルドに行って、まずは『薬草採取』と『スライム討伐』の依頼を同時受注! 薬草の群生地とスライムのポップ場所は被ってるから、同時並行でこなすのが一番時間効率が良いのよね。それから、質屋に売ったドレスのお金で初期装備を少し買い足して……)
頭の中で完璧な明日のレベリングルートと攻略チャートを組み立てながら、クラリスは満足げに目を細めた。
「待っててね、私のハクスラ&レベル上げライフ……明日から本気出すんだから……!」
魔導ランプの光を消すと、部屋は静かな月光の光だけに包まれた。
窓の外から聞こえる下町の遠い賑わいをBGMに、元悪役令嬢は幸せいっぱいの笑みを浮かべたまま、すやすやと心地よい眠りにつくのだった。




