冷徹騎士は看病する
鉱山都市ゴルゾの夜が明け、宿屋の窓から差し込む眩しい朝日に目を覚ましたクラリスは、ふかふかの高級マットレスの上で勢いよく上半身を起こした。
「ふぁぁぁ……! 快眠! あれ……? なんだか体調がめちゃくちゃ万全になってる……!?」
ステータス画面こそ見えないものの、まるで一晩で全回復ポーションを何本も煽ったかのように、身体が恐ろしいほど軽い。
クラリスはベッドの上で腕をぐーっと伸ばし、元気いっぱいに両頬をパンパンと叩いた。
「よしっ! 昨日はなんだか夕方くらいから急に睡魔が襲ってきて……そのまま爆睡しちゃってたみたいだけど……HP、MP、スタミナ全部全回復ね! さあ、今すぐ『黄昏の廃坑』周回に出発ー!」
クラリスの記憶は、昨日の夕方に宿へ戻り、自室のベッドに腰掛けたあたりで完全に途切れていた。
過酷な連戦による疲労と知らず知らずのうちに溜まっていた限界で、自分がそのまま高熱で倒れたことも、うなされながら涙を流して本音を零したことも、そしてジルベールに強く抱きしめられたことも——何ひとつ、これっぽっちも覚えていなかったのだ。
彼女にとって昨夜の出来事は、単なる「旅の疲れで泥のように熟睡しただけの夜」に過ぎなかった。
ルンルン気分でベッドから飛び降り、『漆黒の軽装革鎧』を身につけようとした、その時。
カチャリ、と静かな音を立てて部屋の扉が開いた。
「あ、ジルベール! おはよう! 見て見て、今朝は絶好調だよ! 昨日は夕方から急に眠くなって倒れるように寝ちゃったみたいだけど、もうバッチリ! 今すぐダンジョン攻略に行けるわよ!」
腰の『銀の細身剣』をチャキンと鳴らし、満面の笑みで振り返ったクラリス。
だが——そこに立っていたジルベールの様子が、明らかにいつもと違っていた。
いつもなら漆黒の甲冑を隙なく着こなした彼は、ラフな格好で手には湯気の立つ温かなスープが入った木製のボウルを乗せたトレイを抱えている。そして、その整いすぎた美貌はどこか強張り、紫紺の瞳はなぜかクラリスの顔を直視できず、不自然に泳いでいた。
「……起きたのか」
「うん! 快眠快眠! ねぇ、朝ごはん食べたらすぐ出発しよ——」
「……ダメだ」
「へ?」
短く、しかし絶対に突っぱねるような拒絶の声。
ジルベールはトレイをテーブルの上に置くと、静かな歩調でクラリスへと近づいてきた。
「今日は一日、ここで休め。ダンジョン攻略は延期だ」
「ええぇぇぇっ!? なんでよ! 今朝はすっごく体調が良くて、HPもスタミナも全回復してるのに! 昨日はちょっと早く寝すぎちゃっただけだし!」
クラリスが抗議しようと一歩踏み出した、その瞬間。
すっ、とジルベールの手が伸ばされ、クラリスの額へさっと触れられた。
「ひゃっ……!?」
思わず声を上げて身をすくませるクラリス。
手自体は熱を確認してすぐパッと離されたのだが、普段なら「触るな不快だ」と冷たく突き放してくるはずの彼が、自分からおでこに触れてきたのだ。
「……熱は、下がったようだな」
「な、なに……!? ジルベール、いきなりおでこ触ってどうしたの!? 熱って……私、熱なんてあったの!?」
パチパチと目を丸くして驚くクラリスに、ジルベールはわずかに眉をひそめ、冷徹な仮面を取り繕うように視線をそらした。その耳の先端がほんのりと赤くなっているのを、クラリスは見逃さなかった。
(……え? なにその反応……? なんか私、変なことした……? ていうか、今日のジルベール、なんかソワソワしてない……!?)
なんだかこちらまで居心地が悪くなってきて、クラリスの頬にもじわじわと熱が上っていく。
「……お前、何も覚えていないのか?」
「え? 覚えてないって……何が? 昨日の夕方、宿に戻って部屋に入ったところまでは覚えてるけど……」
「……」
ジルベールは沈黙した。
ジルベールは胸の奥で、小さく安堵すると同時に、どこか寂しげな複雑な溜息を吐き出した。
「……お前は昨夜、高熱を出して倒れたのだ。自分がどれほど無茶な身体で動き回っていたのか、少しは自覚しろ」
「えぇっ!? 私が、高熱で倒れた……!?」
クラリスは驚きのあまり自分の顔や手足をまじまじと見つめた。
「嘘でしょ……!? 私、体調管理は完璧だったはずなのに……! うわぁ、元公爵令嬢の身体って思ってる以上にデリケートだったんだ……。全然気づかなかった……」
「気づかないお前が愚かなのだ。だから言っている、今日はここで静養しろと」
「でもでも! 『黄昏の廃坑』の攻略スケジュールが狂っちゃうよ! 経験値稼ぎも素材集めも1日遅れちゃうじゃない!」
「無理をして途中で倒れられたら、こちらの足枷になる。病人はおとなしく休め」
「もう病人じゃないってばー!」
不満そうにほっぺたを膨らませるクラリス。
だが、ジルベールはトレイからスープの入ったボウルを持ち上げると、それをテーブルの端に置き、腕を組んで壁に背を預けた。
「……スープを用意した。冷める前に自分で食え」
「あ、うん……ありがとう」
拍子抜けしたクラリスは、おずおずとテーブルの椅子に座り、スプーンを手にとった。
チラッと横目に視線を送ると、壁際で腕を組んでいるジルベールが、直視こそしないものの、あからさまにクラリスの様子をチラチラと気にしているのが分かった。彼にしては珍しく、どこか立ち位置や手持ち無沙汰さに困っているような、絶妙な気まずさが漂っている。
(やっぱり、なんか距離感がヘン! なんなのこの空気……!?)
クラリスの頭の中で、前世のゲーマー知識と乙女ゲームの知識が激しく混乱を起こしていた。
(待って……これって何!? 『ファンクロ』にこんなイベント存在した!? それとも……え、まさか私、熱で倒れた時に何かとんでもないフラグ踏んじゃった!?)
いくら考えても、昨夜の記憶がすっぽりと抜け落ちているクラリスには、ジルベールがなぜここまで自分を静養させようとし、そしてなぜこんなにも絶妙に気まずい雰囲気を醸し出しているのかがサッパリ分からない。
「……ねえ。私はクラリスよ。マリアじゃなくて。」
「……わかっている」
「……元ヴァルハイト公爵家長女のクラリスだよ?」
「ああ。」
謎に緊迫した雰囲気に耐えきれず、気を紛らわすようにスプーンでスープを口に運ぶ。
ぱくり。
「……っ!」
口の中に広がったのは、柔らかく煮込まれたお肉と野菜の優しい旨味、そしてほんのりと効いた塩味だった。疲れた身体にしみわたるような、感動的な美味しさだ。
「……美味しい……」
「……そうか。なら良かった」
クラリスの小さな呟きを聞いた瞬間、ジルベールはそっと視線を合わせ、ふっと唇を柔らかく緩めた。
ほんの一瞬だけ見せた、穏やかで優しい笑み。
普段の冷酷な鉄仮面からは想像もつかないその表情に、クラリスの心臓がトクンッ! と大きく跳ね上がった。
(な、なに今の笑顔……!? 反則でしょ!? イケメン作画の威力が強すぎるんだけど!!)
あまりの破壊力と、部屋を満たす何とも言えない甘酸っぱい気まずさに、クラリスは慌てて顔を背け、耳まで真っ赤にしてスープを急いで口に流し込んだ。
「な、なんでもない! すごく美味しいよ!」
「……慌てて飲むな。喉を詰まらせるぞ」
「詰まらせないわよーっ!!」
◇ ◇ ◇
結局、スープを綺麗に平らげたクラリスは、真っ赤な顔のままベッドの布団に潜り込んだ。
「うぅ……なんなのよ、一体……。ジルベール、絶対にどこか頭でも打ったんじゃないの……?」
布団の中からモゾモゾと不満げな声を発するクラリス。
その傍らで、空になったボウルを下げたジルベールは、少し離れた位置から彼女を見守りつつ、静かに腕を組んだ。
「……とにかく、今日は大人しくしていろ。明日、体調に問題がなければ付き合ってやる」
「ほんと!? やったー! 約束だからね!」
「ああ」
正論と静かな気遣いで返され、クラリスは布団の中でふっと小さな笑みをこぼした。
(記憶はないけど……体調も良くなったし、こんな強くて頼もしいタンクがついててくれるなら、これからのダンジョン攻略も楽勝ね! よーし、明日こそは全快で『黄昏の廃坑』を爆速周回してやるんだから!)




