出始めた疲れ
二人は街道沿いにある頑丈な石造りの宿屋に一口分の部屋を確保すると、大きな荷物を放り投げ、そのまま活気に満ちたゴルゾの街へと繰り出した。
大通りに出ると、カンカン! カンカン! とあちこちの工房から打撃音が鳴り響いていた。すれ違う人々の大半は、汗と煤にまみれた頑丈な皮鎧の鉱夫か、見るからに頑丈そうな大剣や戦斧を背負った無骨な冒険者たちだ。商業国家の華やかさとは程遠い、骨太でどこか殺伐とした活気が街全体を支配している。
「へえ……! さすが鉱山都市、鍛冶屋や鉱石露店がずらりと並んでるわね!」
クラリスが目を輝かせながら店先に並べられたレア鉱石や防具のパーツを覗き込んでいると、ジルベールは彼女の斜め前を維持するように歩き、周囲へ油断なく視線を走らせていた。
「見慣れん土地だ。路地裏も多く、一歩迷い込めば厄介なことになる。クラリス、俺の視界から外れるなよ」
「分かってるわよ。子供じゃないんだから迷子になるようなヘマはしないわ。それより見てよジルベール! あの鍛冶屋の看板、グラットン・ロックの鉱石加工が得意って書いてある! ダンジョンの素材を持ち込んだら絶対に高く買い取ってくれそうじゃない!」
「……お前は本当に、どこへ行っても…はあ。」
ジルベールは呆れたように小さく息を吐いた。だが、その表情には先ほどまでの馬車の中での硬さはなく、いつもの冷静な前衛としての顔に戻っている。彼なりのやり方で、クラリスという「監視対象」兼「仲間」を守る態勢に入っているのが分かった。
二人が情報収集のために武具ギルドへ向かって傾斜のきつい坂道を上っていた、その時だった。
「おい、退けぇぇぇ!! 止まらねえええっ!!」
坂の上から、けたたましい悲鳴とガタガタという激しい金属摩擦音が響き渡った。
見上げると、採掘されたばかりの重厚な魔導鉱石を極限まで積み上げた大型の荷車が、車輪のストッパーを吹き飛ばして猛スピードで下ってきているではないか。坂道の途中で軸が狂ったらしく、そのまま勢いを増しながら一直線に彼らの方へと暴走してくる。
「うわっ、危ない!?」
周囲の冒険者や商人たちが蒼白な顔で左右の露店へ飛び退く。だが、坂道の幅は狭く、クラリスの足元には逃げ場を塞ぐように重い鉱石の箱が積み上げられていた。
「下がれ、クラリス!」
威厳に満ちた声と同時に、目の前に漆黒の壁が立ちふさがった。
ジルベールだ。彼は迷うことなく彼女の前へ割り込むと、左腕の重厚な大盾を力強く正面へ構え、右足の踏み込みで石畳を粉砕せんばかりに大地を捉えた。
ドゴォォォォン!!
腹に響く凄まじい衝撃音が街中に木霊した。
トン単位の重量を誇る暴走荷車が、ジルベールの大盾へ正面から激突する。普通なら人間ごと吹き飛ばされて挽き肉になるところだ。しかし——。
ガガガッ……! とわずかに数センチ滑っただけで、暴走荷車はまるで巨大な岩壁にぶつかったかのように、その場で完全に前進を阻まれ、沈黙した。
「……ふむ。手首の軸が、まったくぶれんな」
ジルベールは驚くほど平然とした様子で、甲冑の袖の奥に隠された『紫水晶の護符』の感触を確かめるように左手首を軽く捻った。そして、何事もなかったかのように大盾を引いて体勢を整える。
「……おいおい、嘘だろ……? あの騎士、積み荷満載の鉱石荷車を真っ正面から盾一枚で受け止めやがったぞ……」
「バローネでクラーケンを倒したっていう噂の二人組か……? 化け物かよ……」
息をのんでいたギャラリーの冒険者たちから、一気にどよめきが湧き起こる。
(ふふん! 見たか! これが私の先行投資でビルドを最適化された最高スペックのタンクよ!)
クラリスが自分のことのように鼻高々で胸を張っていると、荷車の持ち主である鉱夫が顔を真っ青にして駆け寄ってきた。
「た、助かった……! 申し訳ねえ、怪我はなかったか、騎士様!?」
「問題ない。だが、街中での過積載は重大な事故につながる。次からは車輪の点検を怠るな」
「は、はいっ! 本当に申し訳ありませんでした!」
深々と頭を下げる鉱夫を冷徹に制し、ジルベールは何事もなかったかのように歩き出した。その頼もしい背中を見上げながら、クラリスは改めて確信した。
(うん、準備は完全に整ったわね! ゴルゾの街の空気感も把握できたし、ジルベールの【AGI】補正の馴染み具合もバッチリ! これならダンジョンハックも余裕だわ!)
「よし! ギルドで『黄昏の廃坑』の最新マップ情報と注意事項だけ買い取ったら、今日は宿でしっかり休んで、明日の早朝から一気に突入するわよ!」
「……ああ。万全の状態で挑むとしよう」
夕闇に包まれ始めた街の喧騒を背に、二人は期待と意気込みを胸に宿へと戻っていった。
——そして、翌朝。
薄暗い朝もやが立ち込める中、二人は『黄昏の廃坑』の深部へと足を踏み入れていた。かつて大規模な魔導鉱石の採掘が行われていたという巨大な坑道は、ひんやりとした不気味な静寂と、どこか湿った鉱物の匂いに満ちている。
ズサァッ! と薄暗い天井から降ってきたのは、全身が硬質な魔導鉱石で覆われた体長2メートルを超える巨大甲虫——『アーマー・ビートル』の群れだ。それも一匹や二匹ではない。ざっと見渡すだけで六匹以上の集団エンカウントだった。
「出たわね! 物理耐性高めの高耐久モンスター! ジルベール、ヘイト集め頼むわ!」
「任せろ!」
ジルベールが一歩踏み出し、重厚な大盾を地面へ力強く叩きつけると同時に、凄まじい圧迫感を伴う戦吼を放つ。赤いヘイトラインが宙を走り、ビートルたちのギラついた殺気が一斉に彼へと向けられた。
ギィァァァ! と甲高い咆哮をあげて突進してくるビートルたち。
「ハッ——!」
ジルベールは大剣を一閃。踏み込みの勢いを乗せた豪快な横薙ぎが空気を切り裂き、先頭のビートルを肉迫する勢いごと強烈に叩き伏せる。
(あッ、出た! 大剣スキルの最大火力技! いつもならここで重い硬直が入って反撃を食らうタイミング——!)
クラリスは動気を感じて反射的に息を呑んだ。
普段の戦闘であれば、大剣を振り抜いた反動と遠心力によって、ジルベールの身体には一瞬だけ体勢が崩れる「スキ(フレームの隙)」が生まれる。そのスキを突かれて左右から追撃を受けるのが、これまでの彼の唯一の課題だった。
だが——。
シュッ、と空気を切る滑らかな動作。
大剣を振り抜いた直後、ジルベールは自分でも予期していなかったほどの軽やかさで軸足を滑らせ、反動を綺麗に逃がしながら間髪入れずに左手の大盾を正面へ構え直したのだ!
ドゴォン!!
左右から迫っていた2匹の太い爪が、完璧なタイミングで大盾の表面へと弾き返される。重厚な金属音が響き渡り、ビートルたちは体勢を大きく崩して隙を晒した。
「……ッ!? 硬直が……消えている!?」
迫り来る攻撃を完璧にパリィしてみせたジルベール本人が、一瞬だけ目を見開いて自分の動作のキレに驚いたような顔をした。大技の後のあの重苦しい身動きの取りづらさが、まるで嘘のようにスムーズに次の防御行動へ移行できていたからだ。
(やったぁぁぁ!! やっぱり昨日の荷車止めだけじゃなく、実戦での【AGI】補正のフレーム硬直短縮も完璧に機能してるわ!!)
「ナイスパリィ! 完璧な硬直キャンセルよ、ジルベール! そのままターゲット固定してて!」
「くっ……応!」
彼がガッチリとヘイトを固定している間に、クラリスは爆速の【AGI】を活かしてビートルたちの背後へ瞬時に回り込む。硬い甲殻と甲殻の継ぎ目——剥き出しになった関節部へ向けて、正確無比な連続突きを叩き込んだ。
「細身剣スキル——『フラッシュ・ピアシング』!!」
シュシュシュッ! と銀色の閃光が疾走し、弱点を的確に穿たれたアーマー・ビートルたちは、断末魔をあげる余裕すらなく光の粒子となって次々と消滅していった。
「ふぅ……! タイム14秒! アーマー・ビートルの群れを14秒で完封……! 完璧な連携ね!」
クラリスは細身剣をサッと納刀し、満足気に胸を張った。
「……信じられん。大剣を振るった後のあの不自然な身体の重さが、綺麗に立ち消えていた。あの一瞬で体勢を立て直し、すぐさま盾を構え直せるとは」
ジルベールは驚きを隠せない様子で、自分の手元や足運びの感覚を確かめるように静かに拳を握り直している。
(ふふふ、手応えを感じてるわね! それもそのはず、タンクの性能を100%引き出すための最適化を組んであげたんだから!)
「でしょでしょ〜!? あんたの圧倒的な戦術スキルに俊敏性(AGI)の補正が合わされば、向かうところ敵なしなんだから!」
「……お前は、ここまで見越して俺の装備を整えたというのか」
ジルベールが深みのある低い声で問いかけてくる。その紫紺の瞳には、冷徹な監視役としての警戒ではなく、クラリスの底知れない戦闘感性と先見の明に対する純粋な驚嘆と信頼が滲んでいた。
「当たり前じゃない! タンクが安定してこそ、アタッカー(私)が最高のパフォーマンスを出せるんだから! 攻略の安定化と効率化のためなら、先行投資なんて惜しまないわよ!」
「……そうか。ならば俺は、その期待に応えるまでだ」
ジルベールは短く頷くと、頼もしい足取りでクラリスの前へと立ち、前衛としての隙のない構えをとった。
(よしっ! パーティの基盤はこれで完全に完成したわ! バローネでの秘宝獲得、そしてゴルゾでのビルド最適化……! このペースなら、この鉱山都市エリアのレベル帯なんて一瞬で駆け抜けられる!)
クラリスの頭の中に広がるのは、この世界の「最適攻略マップ」だ。
ゴルゾで素材と経験値を荒稼ぎしてレベルを上げれば、次なる高難易度ゾーン——広大な『雪山エリア』への最短進出が見えてくる。雪山エリアには、さらに強力な装備と隠しダンジョンが待っているのだ。
「ねえジルベール! 今日の成果でこのエリアのエンカウントパターンは完全に把握できたわ!」
「……ほう? それは頼もしいな」
「でしょ! だから明日からもこの調子で、毎日きっちり周回してレベルを上げていくわよ!」
細身剣をサッと鞘に納め、満足気に胸を張るクラリス。
……だが、ふと息を吐いた瞬間、ほんのわずかに足元が揺れたような感覚を覚えた。
(……あれ? なんだか急に、どっと疲れが……)
バローネでの過酷なボス戦、移動の長旅、慣れないゴルゾの環境、そして連日の緊張感。
本人は「ゲーム感覚」で楽しく快適に旅をしているつもりだったが、その華奢な体は確実に「元公爵令嬢」のものだ。本人が自覚している以上に、疲労はジワジワと蓄積していた。
クラリスはそっと自分の首筋をさすり、なんでもない風を装って小首を傾げた。
「……んー、まあでも、焦って無茶して倒れたら元も子もないしね。探索のペースも、いつも通りの無理のないスケジュールでコツコツ進めましょ!」
「……そうだな。お前がそう言ってくれて安心した。冒険者の探索は体力が資本だからな」
ジルベールも安堵したように息を吐き、頷いた。




