変異種のクラーケン討伐!
「グオオオオオオオオオオオッ……!!」
最深部『潮騒の玉座』に轟く咆哮。海中ダンジョンの奥底に響き渡るその声は、水圧すらも物理的に歪めるほどの凄まじい衝撃波となって押し寄せ、周囲にそびえ立つ太古の巨大石柱群をグラグラと激しく揺らした。
「くっ……おい、クラリス! 本当にこの怪物と真っ向からやり合うつもりか! この規模の魔物、正面から対峙して無事で済むはずがないぞ!」
ジルベールは漆黒の甲冑を軋ませ、重厚な大盾を深く構えた。全身に魔力を巡らせ、押し寄せる激しい水圧の波を前線で受け止めながら、叫ぶように声を張り上げる。その紫紺の瞳には、これまで見せたことのないほどの鋭い緊張感と、深不可測な巨大怪獣に対する本能的な警戒が宿っていた。
ジルベールの本業は騎士であって冒険者ではない。本来相手をするのは人であって、魔物は訓練や試験程度しか相手をしない。
(そういえばゲームの最初でも、自分のぶっ壊れステータスを知らなくて、臆病な節があったっけ。)
「大丈夫だってば! デカいモンスターほど動きのアルゴリズムは単純なの! 攻撃パターンさえ完全に見切っちゃえば、ただの巨大な経験値なんだから!」
対照的に、クラリスは新調した『漆黒の軽装革鎧』のフィット感を確かめながら、腰の『銀の細身剣』をチャキンと軽やかに構えた。恐怖の色など微塵もなく、瞳を爛々と輝かせながら、不敵な笑みをその唇に浮かべている。
「いい、ジルベール? タンクとしての最高効率の仕事をお願いするわよ! この変異種クラーケンは、ターゲットが10メートルに近づくと、必ず『右側の巨大触手による広域薙ぎ払い』を繰り出すの! だから、真正面10メートル地点にドンと立って、全ヘイトを集めて!」
「……ああ! もうわかった!」
冷徹な騎士としてのプライドが恐怖に打ち勝ったのか、ジルベールの身体はクラリスの指示に寸分の狂いもなく完璧に応答していた。
特製ポーションの『水圧デバフ完全無効化』と『浮力補正』の恩恵をフルに活かし、水中の抵抗をまったく感じさせない完璧な足取りで、クラーケンの正面10メートル地点へと滑り込む。大剣と大盾に漆黒の魔力を充填し、圧倒的な存在感と威圧感を放ってクラーケンの注意を一手引き受けた。
巨く禍々しく光るクラーケンの赤き単眼が、一新されたターゲット——ジルベールを鋭く捉える。
——ズドォォォンッ!!
水流の摩擦を置き去りにする異次元の速度で、太さ数メートルはある巨大な触手が右側から横一文字に叩きつけられた! 周囲の水が瞬時に沸騰したかのような気泡と衝撃波が発生する。
「本当に……右側からの薙ぎ払いか……!?」
ジルベールは大盾の角度を極限まで精密に調整し、直撃を真っ正面から受けるのではなく、滑らせるように威力を受け流す。
ドドドォンッ! という凄まじい水圧の破裂音が水中に響き渡る。本来であれば、その衝撃波だけで骨が砕け、数百メートル跳ね飛ばされるような一撃だ。しかし、クラリス特製ポーションの『デバフ完全無効化』と『高レベルタンクのステータス』が噛み合ったジルベールは、海底の石畳に深く足を踏み込み、一歩も後退することなくその大打撃を完璧に防ぎ切ってみせた。
「よしっ! 行動パターン完全固定成功! ここからがガチ勢の手順よ!」
クラリスは足元に身につけた指輪『疾風の微光』とポーションの加速補正を全開にし、水中の弾丸のごとき爆速でクラーケンの背後へと回り込んだ。
「クラーケンの裏設定! 頭部の真後ろにある『排水器官(漏斗)』! ここが唯一、突刺属性ダメージが3倍になる弱点!」
銀の細身剣が、水圧を置き去りにして目にも留まらぬ速さで一点へと突き刺さる!
シュババババババッ!!
「ギシャァァァァァッ!??」
弱点を正確無比に穿たれたクラーケンが、狂ったような断末魔の悲鳴を上げた。巨大な体躯が水中で大きく悶絶し、体勢を崩して海底へと沈み込む。
「漏斗への確定クリティカルで、5秒間のダウン状態発生! ジルベール、最大火力(DPS)叩き込んで!!」
「……言われずとも!!」
疾風のごとき踏み込み。ダウンして無防備に晒された単眼の中央へ向け、ジルベールの漆黒の大剣が極大の魔力を纏って振り下ろされる。
『雷閃断ち!!』
ズバァァァァンッ!!
一閃。巨大な単眼が真二つに引き裂かれ、紫色の体液と激しい泡が部屋全体に吹き荒れた。まさに完封。本来ならば何十人ものベテラン冒険者が死闘を繰り広げるはずのSランク級ボスが、クラリスの理論と指示、そしてジルベールの圧倒的な戦闘スペックにより、一切の被弾なしで討伐された——はずだった。
——しかし、次の瞬間。
ズズズ……グラグラッ……!!
「っ……!? なになに!?」
絶命して魔石へと変わる直前、クラーケンの巨体が|死に際の狂乱動作として、残された数本の巨大な触手をデタラメに暴れ狂わせたのだ。
「しまっ……! 『変異種』特有の死亡時ランダム判定!?」
想定外の超広域ランダム攻撃。
全力の一撃を振り下ろした直後であり、全身の魔力を放出しきって最大の攻撃後の硬直に入っていたジルベールの真上から、崩壊した石柱の破片とともに、太い触手が水圧の塊となって容赦なく襲いかかる。
「……くっ!?」
硬直状態にあるジルベールには、回避する時間も、大盾を再展開する隙すらも残されていない。
死を覚悟し、ジルベールが歯を食いしばったその絶対絶命の瞬間。
シュバッ——ッ!!
水圧と激しい泡を切り裂き、一筋の閃光が滑り込んできた。
ジルベールの視界を掠めたのは、小さく華奢な、しかし誰よりも素早い後ろ姿だった。
クラリスは『疾風の微光』とポーションの加速補正を全開にし、己の許容量を超えた限界突破の速度で、硬直中のジルベールの真正面へと飛び込んでいたのだ。
彼女の手には、地下洞窟の素材と発光塩で特製抽出していた『高濃度衝撃緩和液』のガラス瓶。それをためらいなく、自身の目の前で勢いよく叩き割る。
バリンッ!!
瞬時に広がった強力な魔導衝撃波の膜が水中に展開され、上空から振り下ろされた巨大触手の攻撃軌道を、ほんの数センチだけ斜め上へと無理やり逸らした。
ドドドガァァァァンッ!!
触手はジルベールの目と鼻の先の石畳を粉砕し、凄まじい濁流と水流の波が二人を激しく吹き飛ばす。
「ハぁ、ハぁ……! 間一髪……! どんなに強力な奥義でも、攻撃終わりのフレーム硬直はちゃんと計算に入れておきなさいよ、このバカタンク……!」
乱れた髪をサラリと払いながら、クラリスは膝をつきつつも『銀の細身剣』をしっかりと構え直し、少し肩で息を吐きながら不敵に笑ってみせた。
「……な……」
濁流の中で体勢を立て直したジルベールは、目の前で起きている事象に息を飲んだ。
自分を庇い、死線の一撃を完璧な判断力とアイテムの駆使によって弾き返してみせた少女。
王宮で見ていた、高慢で無能で、他者を貶めることしか頭になかったはずの悪役令嬢——その影など、目の前の彼女にはどこを探しても存在しなかった。
そこにいたのは、圧倒的な戦闘IQを持ち、あらゆる局面を冷徹なまでに計算し、土壇場で仲間を救い上げる本物の戦士だった。
ジルベールの紫紺の瞳から、それまで崩さなかった冷たさや疑念、警戒心が完全に吹き飛び、凄まじい衝撃と戸惑い、そして——確かな敗北感が宿った。
(……この女は、本物だ。ただの知識やハックではない。この土壇場での一瞬の判断力、そして……俺を躊躇なく庇い切る覚悟……)
冷徹な監視役として、そして誇り高き王宮騎士として保ってきた心の壁が、音を立てて大きく揺らぎ始める。
「……お前……なぜ、俺を庇った……お前的には監視役なんていなくなった方がいいだろう…」
擦れた声で、喉の奥から絞り出すように問うジルベール。
クラリスは、倒れたクラーケンの残骸から出現した青く輝く宝箱へと歩み寄りながら、呆れたように肩をすくめて振り返った。
「は? なに言ってるのよ。あんた(タンク)にここで死なれたら、私が困るの!」
「は……」
「これからもずっと一緒にいたいし(ダンジョン攻略的に一緒にいたい)。死なれると……(次に計画がやばい)。とにかく! 私のために自分を大切にしなさい!」
「……ッ」
変異クラーケンの巨体が黒い煙となって完全に消滅し、周囲の海に静寂が戻る。そこには、巨大な魔石とともに、神秘的な光を放つ秘宝『深海のエレメント』がぽつんと残されていた。
「やったぁぁぁぁ! 秘宝『深海のエレメント』ゲット! これで【INT】と【AGI】のステータス永久+20確定よーーー!!」
宝箱を開けて無邪気に飛び跳ね、大喜びするクラリス。
ジルベールは深々と溜息をつきながら、ゆっくりと大剣を鞘へと納めた。
「……お前の指示、そして……その異様な手際だけは、認めざるを得ないな」
ジルベールのぐるぐると回る思考の中、ぽつりと口から漏れ出た言葉。
「え? なに? ジルベール、今なんて言った?」
「……二度は言わん。用が済んだなら、さっさと荷物を持って浮上するぞ」
不機嫌そうにぷいっと顔を背けたものの、ジルベールの頬は赤く染まっていた。




