地下洞窟ダンジョンは疑惑の始まり
「……威勢がいいのは最初だけだな」
湿った冷気が肌を刺す『地下洞窟ダンジョン』の入口で、ジルベールは腕を組み、不機嫌を隠そうともせずに冷ややかな視線を送っていた。
洞窟の暗闇からは、不気味な水滴の音と、じめついた魔物の気配が漂ってくる。中級ダンジョン——本来であれば、駆け出しのFランク冒険者が一人で足を踏み込めば数分で命を落とす危険地帯だ。
しかしクラリスはゲームと同じ状況に完全に興奮していた。
「うわっ! すごい! 現実だと発光茸ってこんな感じになるんだ! 思ったより気持ち悪い!」
と言いながら発光茸を摘み始める。
「INT値の上昇で暗視のパッシブ補正も少し効いてるし、コンディションは最高!」
クラリスは新調した『漆黒の軽装革鎧』のフィット感を確かめるように肩を慣らすと、腰の『銀の細身剣』の柄に手をかけた。
ジルベールは新種の動物を見たような目でクラリスを見る。
「普通、中級ダンジョンであればDランクやCランクが数人のパーティーを組んで入る場所だ。そんなんで到底ここをクリアできるとは思えない。」
「あ、それは大丈夫。前世では名前だけダンジョンって言われてたから。」
「は? ぜんs——」
その直後——頭上の暗闇からシュバッ! と、鋭い風切り音が響く。
岩肌と同化していた『洞窟コウモリ(Fランク)』が、超音波を撒き散らしながらクラリスの首元へ急降下してきた。普通なら、闇からの強襲に悲鳴を上げてすくみ上がる場面だ。
「甘い! 攻撃モーションの予備動作、丸見えだったから!」
クラリスは身を翻すことなく、指輪『疾風の微光』によるパッシブ補正を活かし、最小限の動きで右へ一歩だけスライド。
直後、銀の疾風が閃いた。
ズバッ!!
バルド謹製の『銀の細身剣』が、寸分の狂いもなくコウモリの弱点である眉間を正確に穿つ。断末魔すら上げさせず、魔物は小さな魔石とを残して弾け飛んだ。
「……なっ!?」
後ろで見張っていたジルベールの紫紺の瞳が、驚愕に見開かれた。
「よし、ドロップ回収! 疾風の指輪のおかげでスタミナ消費も抑えられてるわ。ジルベール、次行くわよ!」
「……おい、待てクラリス。今の一撃、なぜ攻撃が来る位置が解った?」
「え? コウモリ系モンスターは襲いかかる直前に翼を大きく開く『前兆モーション』があるじゃない。判定が分かりやすい代表例よ!」
「……。」
もう何もいうことのないジルベールを置き去りにし、クラリスは迷いなく洞窟の分岐点を右へと進んでいく。
それを見たジルベールは慌てて正気を取り戻す。
「ちょっと待て! 左の道の方が道幅が広く、見通しが良いだろう! 右は天井が低く、袋小路に見える!」
「ダメダメ! 左は行き止まりで『毒スライム』が大量湧きするトラップ部屋! 右が最短攻略ルート兼、隠し宝箱のルートよ!」
「……は?」
ずんずんと迷いなく突き進むクラリスの後姿を追いながら、ジルベールは深々とため息をついた。
◇ ◇ ◇
「……おい、クラリス。立ち止まれ」
洞窟の深部へと進むにつれ、湿気は重くなり、壁面には怪しい発光苔がびっしりとへばりついていた。ジルベールが足を止め、剣の柄に手をかける。
「気配が変わった。前方の曲がり角の先、数十頭の気配がある。足音を殺して撤退するぞ。Fランクの手に負える規模ではない」
「あ、それ『毒胞子ゴブリン』の群れね! 大丈夫、想定内だから!」
「想定内だと!? ゴブリンは単体でもEランク、群れを成せばDランク相当の脅威だぞ! お前のようなFランクが一瞬で包囲されれば——」
「包囲されないように立ち回るのが『ソロ攻略』の基本でしょ!」
クラリスはへらへらと笑いながら、ウエストポーチから小さな硝子瓶を取り出した。中に入っているのは、先ほど摘んだ発光茸と干し肉の油と混ぜ合わせた自家製の怪しげな液体だ。
「おい、それはなんだ」
「これ? 『発光茸の油脂抽出液』。ゴブリンの視界って、発光苔の特定の波長に極端に弱くて、強光を受けると3秒間の『麻痺状態』に入るっていう裏設定があるのよ。……じゃ、ヘイト管理よろしく〜!」
「勝手な真似を——ッ!」
クラリスは曲がり角の先へ、一瞬の躊躇もなく硝子瓶を投げ込んだ。
カチャ、パリンッ!
強烈な青白い光が角の向こうを照らし出した直後、ギニャァァァ!? という耳を突く悲鳴が脱兎のごとく巻き起こる。
「今よ! AGI特化の爆速刺突連打!」
クラリスは『疾風の微光』の効果で跳ね上がった移動速度を全開にし、低空を滑るように曲がり角へと躍り出た。
そこにいたのは、目を押さえて悶絶する20頭近くのゴブリンの群れ。
「弱点(喉元)一撃、確殺判定!」
シュババババババッ!!
一秒間に数回繰り出される、完璧なラインを描く連続突刺。まるで精密機械が寸分の狂いもなく作業を遂行するように、クラリスの『銀の細身剣』が次々とゴブリンの喉元だけを射抜いていく。
無駄な振りかぶりは一切なし。攻撃後の硬直を最小限に抑えるキャンセルの挙動。
ドサッ、ドサッ、ドサドサッ……!
わずか十数秒。悲鳴を上げる暇すら与えられず、ゴブリンの群れはことごとく絶命し、黒い煙となって魔石へと姿を変えた。
「ふぅ……! 弱点特効の確定クリティカル乗ると気持ちいい〜! INT振りの弱点知識とAGIの攻撃速度が完璧に噛み合ってるわ!」
銀の刀身に付着した泥をサラッと払い、クラリスは何事もなかったかのように魔石の回収を始める。
「……………………」
後ろで見ていたジルベールは、言葉を失って固まっていた。
「ジルベール? なにぼーっとしてるの? 落ちてる素材の回収、手伝ってよ!」
「……貴様、何者なんだ……?」
ジルベールは擦れた声で、喉の奥から絞り出すように問うた。
「え? なに言ってるの、私以外の誰に見えるのよ。ほら、手伝わないと次のボス部屋に間に合わないわよ!」
「……ボス部屋だと!?」
◇ ◇ ◇
「ここが地下洞窟の最深部……ボス部屋ね!」
クラリスたちが辿り着いたのは、巨大なドーム状の空洞だった。中央には禍々しい赤紫色の紋様が浮かび上がる大理石の台座があり、その上には巨大な影が佇んでいる。
『洞窟の主・アーマード・レック・スパイダー(Dランク)』
八本の巨大な脚は鋼鉄並みの甲殻で覆われ、口元からは凄まじい溶解液が垂れ落ちている。本来であれば、Dランクパーティ(5〜6人)が周到な準備を重ねてようやく挑むレベルの強敵だ。
「おい、クラリス! 冗談も大概にしろ!」
ジルベールが激昂し、クラリスの前に立ちはだかった。漆黒の大剣を抜き放ち、圧倒的なプレッシャーを放つ。
(……っ! 何この威圧)
「Dランクの巨大蜘蛛だぞ!? 表面の甲殻は鉄の盾すら容易く叩き割る! 貴様のその細身剣など、皮一枚傷つけることすらできん! ここは引き返すぞ、私の命令に従え!」
「大丈夫だって! このボス、甲殻はカチカチだけど『確定ハメパターン』があるんだから!せっかくジルベールもいるし。」
「はめ……パターン……!?」
ジルベールの制止を聞き入れず、クラリスはサッと身を乗り出した。
「ジルベール! 私の指示通りにヘイト(攻撃対象)を買って! このボスのAI……じゃなくて行動パターンは、ターゲットが真正面5メートル以内にいると、必ず『右前脚による振り下ろし大振り攻撃』を繰り出すの!」
「 行動パターン!? 貴様、魔物が決まった動きしかしないとでも言うつもりか!」
「言うつもりじゃなくて、事実なの! ほら、正面に立ってみて!」
「くっ……! 言う通りにしてやるが、無茶だと分かったら速やかに撤退しろよ!」
ジルベールは舌打ちをしながらも、完璧なタンクとしての習性でボスの真正面へと足を踏み出した。
巨蜘蛛の赤く光る複眼が、ジルベールを捉える。
——ギシャァァァァッ!!
咆哮とともに、巨蜘蛛の右前脚が跳ね上がった。重厚な甲殻を纏った脚が、空気を切り裂いてジルベールへ振り下ろされる!
「なっ……本当に右前脚の大振り……!?」
ジルベールは大盾で威力を受け流しながら、驚愕に目を見張った。
「よしっ、ここからがガチ勢のハメ手順よ!」
クラリスは足元の指輪『疾風の微光』を輝かせ、巨蜘蛛の腹の下へと滑り込んだ。
「大振りの直後、ボスの左後脚の関節部分にある『青い小さな発光器官』! ここが唯一の防御力ゼロエリア!」
銀の細身剣が、目にも留まらぬ速さで一点に突き刺さる。
ズドォン!!
『ギギャァァァッ!??』
巨蜘蛛が狂ったような悲鳴を上げた。ダメージが通ったのではない。体制が大きく崩れ、その場に崩れ落ちたのだ。
「関節の発光器官に弱点属性(銀)のダメージが入ると、ボスの内部流体が逆流して5秒間のダウン状態が発生する! ジルベール、今よ! 胸元の真ん中の核に向かって最大火力(DPS)叩き込んで!!」
「……ッ!! 手伝うつもりは無かったのに!!」
しかし、身体は完璧に反応していた。
ダウンして無防備に晒された胸元の核へ向け、ジルベールの漆黒の大剣が極大の威力を伴って振り下ろされる。
ズバァァァァンッ!!
一閃。巨大な蜘蛛の胴体が真二つに引き裂かれ、凄まじい衝撃波が部屋全体に吹き荒れた。
本来ならば数時間の泥沼の死闘になるはずだったDランクボスが、わずか「十数秒」の完璧な立ち回りによって、一切の被弾なしで討伐された瞬間だった。
◇ ◇ ◇
静寂が戻ったボス部屋で、クラリスはホクホク顔でドロップアイテムを回収していた。
「やったー! 『巨蜘蛛の紫毒腺』に『鋼鉄甲殻の欠片』、それにボスのレアドロップ『敏捷のオーブ』まで出たわ! 超大豊作! ジルベール、ナイスアタッカー!」
「………………………………」
ジルベールは大剣を鞘に納めることも忘れ、その場に立ち尽くしていた。冷や汗が額を伝い、甲冑の中の背中が濡れている。
クラリスが振り返り、ニコニコと無邪気な笑顔を向けてくる。
「ねえ、ジルベール? 落ちてる宝箱から『金貨5枚』と『魔法のロープ』が出てきたわ! これで帰りはショートカット(脱出)できるわね!」
ジルベールは重い足取りでクラリスの前まで歩み寄ると、その肩をがしっと掴んだ。紫紺の瞳には、かつて見たことのないほどの真剣さと、深い戸惑いが宿っていた。
「貴様……一体何者だ? 王宮にいた頃の無能な悪役令嬢のフリは、誰かを欺くための演技だったのか……?」
「え? 演技? ううん、単に『ファンクロ』ガチ勢の知識をフル活用してるだけだけど?」
「ふぁんくろ……? がちぜい……!?」
「あ、やべ……もう、難しいこと考えないの! 攻略大成功なんだから、街に戻ったら高級ホテルのおいしい夕食、奢ってあげるわよ!」
「……監視対象におごられる筋合いなど——」
「いいからいいから! ほら、ショートカットで帰るわよー!」
キャッキャと嬉しそうに走り出すクラリスの背中を見送りながら、ジルベールは頭を痛めるように深くため息をつくのだった。




