09 大僧正コーネリアス
シンカー王国は、ベスタ・プラデッラ大陸南方に位置する小国である。
超大国ゴルドベルク王国から見れば『一地方』とすら言えるくらいの規模で、軍事力はさほど強くないが海上貿易を主要な産業とする商業国家だ。
国境を接するサンサルバシオン王国とは百年以上前から犬猿の仲であり、特に現在の王バルザックの父が王を務めていた時代には国境で度々小競り合いが起きるほど、関係は悪化していた。
兵力に乏しく国土も狭い、さらに人口も少ないシンカー王国にとって頼みの綱となっていたのは、塩ともう一つの特産品、コバルトである。
青い顔料として珍重されるコバルトは、ベスタ・プラデッラ大陸ではシンカー王国のさらに南部でのみ採掘される鉱産資源だ。シンカー王国はこのコバルト顔料の産出量において、実に世界の4割を占めるほどの埋蔵量を誇っていた。
船に乗せて大量に輸出されるコバルトは、一時期莫大な富をシンカー王国にもたらした。
その富に目をつけたのが、サンサルバシオンの2代前の王、アレキサンダー王である。
宣戦布告とも取れるほどに強圧な外交文書を叩きつけた上、シンカー王国にとって生命線とも言える外洋貿易港に対する破壊工作や海上封鎖を行うなど、もはや弱いものイジメどころかカツアゲとしか言いようがない扱いだった。
大陸の端に位置し、いわば「どん詰まり」の地理的な要因もあって、シンカー王国は他国に容易に援軍を求められる状態ではない。超大国ゴルドベルクに至っては、陸路でも海路でも絶望的に遠くお互いの国に大使館すら置かれていない状態だ。
中堅国家であったサンサルバシオンに追い詰められたシンカー王国は、ついに禁忌とされる術の研究に乗り出した。
「くっふふふふ……やはり、やはりそうでしたか……」
不気味な声とともに愉悦の笑みを浮かべた男は、手にした分厚い書物をぱん、と勢いよく閉じたかと思うと、羽根ペンで何事かを凄まじい速度で書き記していく。
シンカー王国における魔術の頂点、大僧正の位をいただく天才魔道士コーネリアスにとって、勇者召喚術の研究はライフワークともいえるものだ。
つい2年ほど前、ディメン正教会の神官長ネメスが、何度かの失敗の後に召喚術を成功させたと聞いたときは、周囲が手が付けられないほどに勘気をおこして暴れまくったものである。
小国のシンカーにとって、勇者召喚術は起死回生の一手となりうるもの、というよりも周囲の国々からの圧力を跳ね除けるための乾坤一擲の一撃となるものだ。
世界の制約に縛られず、理外の力を存分に振るうことが出来るという『召喚勇者』たちは、エルフ族を凌ぐ魔力にドワーフ族を遥かに超える膂力、さらにはヒト族に匹敵する繁殖力をすべて併せ持つという。
一騎当千どころか、1人で一軍に匹敵するとすら言われる召喚勇者を囲い込めば、シンカー王国にとって明確な『抑止力』になりうる。
小国と侮ってせめて来ようものなら、勇者たちによる殺戮劇が繰り広げられることになる。そう周囲の国々に理解させる事ができれば、少なくともシンカー王国に攻め込んで富を略奪しようなどという国は鳴りを潜めるに違いない。
そう考えたのがシンカー王国内でも多数派になりつつある『剣の派閥』であり、大僧正コーネリアスは剣の派閥の筆頭である。
「大僧正、やはり今のままでは召喚術の成就は難しいのでは」
シンカー王国において魔術、呪術を極めた第一人者としてその名を知られる若き天才、コーネリアス・ギキは長年の研究の末、召喚術をも極めゴルドベルク王国の雷帝エアリア・ダンタンに、氷雪のネストリウスをはじめとする『大魔道士』と並ぶほどの実力を持っている、と言われている。
彼らゴルドベルクの大魔道士とコーネリアスが決定的に異なるのは、ゴルドベルクにおける大魔道士達が持つモラルや自重というものが、コーネリアスは根本的に欠落しているという点だ。
「その事が分かっただけでも一歩前進です。今のままでは召喚術の確実な成功には程遠い……ということはつまり、召喚術の確実な成功に近づくための道は他にある、ということです」
コーネリアスは、不幸なことに非常に優秀な男である。
俗に言う天才という人種であり、努力をすればしただけの成果を得続けてきた男だ。それだけに、自分が『出来る』と見込んだものは必ず出来るという確固たる信念をもって生きている。
自分の説が一時的に間違う事があったとしても、手段を選ばなければ必ず目的を達成する事が出来る。そう信じて疑わず、おまけに目的を達成し続ける人生を送ってきている。
「やはり生贄の『数』は次元の壁を開く大きさにこそ影響するものの、引き寄せる事が出来るか否か、そして『何』を引き寄せるかには影響しない……となれば、生贄の数ではなく、質こそが召喚術の成功の鍵となるはずです……何かがある。召喚術の成否に影響する生贄の要素が。それが分かりさえすれば、召喚術を意のままに操れるはず!」
シンカー王国はともかくとして、ゴルドベルク王国における魔法研究の最も根底あるもの、研究者に大前提として求められる資質は『倫理』である。
いかに大きなメリットをもたらす魔法であっても、その過程や必要条件が人倫にもとるものである場合は、研究そのものを禁忌とする、それが魔法先進国ゴルドベルクの基本方針だ。
若き王ヨシュアにより絶対の大前提とされているこの基本方針により、ゴルドベルクにおいては召喚術の理論研究までは許されているものの、実験を伴う実践研究は固く禁じられている。
実践研究を行ったものは例外なく逮捕投獄され、精神魔術にも長けた大将軍、ネストリウスにより研究に関する全ての記憶を消去され、さらに魔力を封じる術式を入れ墨され、二度と魔法を使うことが出来なくなるという厳罰が課せられる。
それほどに危険な勇者召喚術を繰り返す大僧正コーネリアスは、決して狂人ではない。
むしろ、ただの狂人であったほうがマシ、という『狂った天才』であった。




