10 悟りへの道
大僧正コーネリアス・ギキは、一言で言えば天才である。
もしもゴルドベルク王国に生まれており、かつゴルドベルクで求められる倫理を持ち合わせていたら、確実に召喚魔術の歴史を書き換えていたであろう、というほどの天賦の才を持っていた。
その天才が、倫理を完全に度外視した実践的研究を行っていたとしたら。
例えるならば、狂った研究者が、実際の核爆発を伴う核実験を好きなだけ出来る国に生まれたとしたら。
その仮定をすべて具現化したのが、大僧正コーネリアス・ギキという男だ。
「この生贄は片付けておきなさい」
助手にそう告げると、緋色の法衣をまとった大僧正はゆっくりと地下の実験設備をあとにする。
片付けを命じられた助手も、数年前までは倫理的疑問と良心の呵責というものを持ち合わせていた。
生贄の『片付け』を命じられた翌日から3日程は食事が喉を通らない、そんな状況に陥りもした。だが、長くコーネリアスとともに研究を続けるにつれ、『片付け』の当日から肉を食べられるようになり、今となっては『片付け』の現場で肉汁したたる串焼きに平気でかぶりつけるようにまでなっている。
その姿を見たコーネリアスは、心底嬉しそうに優しい笑顔を浮かべながら助手の肩をぽんと叩き『あなたもようやく一人前になりましたね』と祝福の言葉をかけたものだ。
「猊下、次の実験まで生贄は何人ほどご入用ですか?」
「そうですね、しばらくは理論研究だけですので……まぁ当面の間は結構です。あなたにも少し休暇が必要でしょう」
「ありがとうございます猊下。では、お言葉に甘えます」
恭しく頭を下げた助手は、ちらりと『使用済み』となった生贄たちに目を向ける。
骨と皮ばかりに干からびた屍が累々と折り重なっている。この屍が、ほんの数時間前まで若者であったことなど、誰が想像できるだろう。
地下施設に響く阿鼻叫喚の断末魔の大合唱を聞いたせいか、若い僧達は地面にうずくまり、嗚咽を漏らしながら嘔吐を繰り返している。
はたしてこの中の何人がこの施設で生きていくことが出来るだろうか。
助手はそう考えながら、泣きながら何かに謝り続けている若い僧に歩み寄る。かつての大僧正が自分にそうしたように、優しくその背中をさすり、できるだけ穏やかな声を掛ける。
「最初は誰でもそうなります。誰もが通る道です。ですが、これは必要なことなのです」
「あ、阿闍梨、これは、私は本当にこんな事をして……これは人の道に外れたものではないのですか!? これは本当に御仏の尊い御教にかなったものなのですか!?」
つい先日僧となり黒い質素な法衣を授けられたばかりの男は、涙と鼻水を垂れ流したままの顔をコーネリアスの高弟、大僧都アーロンに向けた。
穏やかな笑顔を浮かべたアーロンは、シンカー王国において『本山』と呼ばれる聖職者の機関に入ったばかりの若き男を優しく立たせ、乱れた法衣を手際よく整える。
「これはすべて世のため人のための研究です。勇者召喚術が確実に成功するようになれば、このシンカー王国を脅かす国はもはやいなくなります。勇者の強大な力をもって国を守るのです。国民を守るために、どうしても必要なことなのですよ」
「し、しかしアーロン阿闍梨……この、この犠牲はあまりにも……」
「私たちが歩みを止めることは、彼らの尊い犠牲をムダにしてしまうことと同義。私たちは歩みを止めてはならないのです。間違っても麗しき我がシンカー王国を無防備にしようなどという、寝ぼけた戯言を繰り返す『盾の派閥』の連中の思い通りにさせてはなりません」
かつてはアーロンも、この黒い法衣の若者と同じく、自分の眼の前の光景に嘔吐したものだ。
だが、人間は日々がどれだけ過酷でも、そしてどれだけ恵まれた幸福な環境でも、いずれは慣れる。
慣れて、それが当然の事となり、やがては心が揺らぐことのない境地に達する。それこそがコーネリアス大僧正が到達した『悟り』の境地だ。
大僧都の位階にあるアーロンは、まだ涅槃への道半ばの修行中の身である。だがコーネリアスからは直々に『私の意思を継ぐものがいるとすれば、それは大僧都、アーロン阿闍梨にほかならないでしょう』と王の前で語られている。
まだ10歳と幼く、政治を行えない王に変わり、コーネリアスこそがこの国を真の繁栄と平安に導いてくれるはず。
国民の多くも、そして剣の派閥のほぼ全員がそう信じて疑わない。
農産資源も水産資源も、鉱物資源も人的資源も、さらには国土ですら乏しい弱小の商業国家シンカー王国。彼らにとって、ベスタ・プラデッラ大陸諸国が悪と断ずる勇者召喚術こそが、生き残りをかけた最終手段である。
国民の生き残りと国家の存続をかけた手段のどこに悪の要素があろうか。
アーロン阿闍梨はそう確信し、首から下げたミスリルの珠を連ねた数珠を握りしめる。
「すべては我々の未来のため。彼らは未来のため、その身を捧げたのです。私たちは彼らの遺志をムダにしてはならないのです」
がっくりと項垂れた若き魔道士は、再び大僧都の手が自らの肩にそっと置かれる暖かさを感じ、再び嗚咽を漏らした。
その嗚咽が、悟りという涅槃に近づいた歓喜によるものなのか、それとも自らが引き返すことの出来ない地獄の入口、賽の河原に立ってしまった後悔によるものなのか、それは若者本人もわからなかった。




