08 母の覚悟
サブは降り立った貧しい漁村、マシッツでシスターの僧服を纏った女をジロリと睨みつける。
「知らねぇ顔だが、あったことがあるような気がするな」
「……確かあなた……召喚されたときに、拳王とか」
「なんだ、知ってたか」
さほど興味がなさそうに呟いて、サブは藍子の腕の中にいる赤ん坊に視線を向けた。
「お前の子か? 父親はいねぇのか」
「私の子じゃないわ。……私、中西藍子よ。覚えてなさそうだけど、一緒にこの世界に召喚されて、大魔道士の神託を受けたのよ」
「あぁ、思い出した。あの生臭坊主に役立たずのガキとつるんでた女か。酒に逃げてアル中になったらしいな。で、そのガキは」
散々な言われようで、以前の藍子なら激昂して殴りかかるくらいのことはしていただろう。
だが、今の藍子にそんな余裕はどこにもなかった。
なれない子育てで、最近ようやく夜泣きが収まってつかまり立ちするようになり、四六時中目を離せない状態になっていたのだ。
「……この子の父親は、あなたが言う生臭坊主、村上允恭よ。あいつ城の中でこの子の母親を散々慰み者にして……」
「母親はどうした」
「死んだわ。4ヶ月前に……元々出産に耐えられるような身体じゃなかったのよ。あんなまだ子供としか言えないような子が妊娠させられて……」
リズは、結局子供を2回だけ腕に抱いて、それきりだった。
出産時、綾子の法術でなんとか子供を産むことだけは出来たが、その後の産後の肥立ちも悪く、ほぼベッドから出られない日々が続いていた。
この年の夏を目前に控えた頃、ただでさえ心身ともに弱りきっていたリズは日本で言うインフルエンザのような感染症にかかり、高熱にうかされた挙げ句まだ1歳になったばかりの幼い女の子を残して力尽きた。
「分かってるわよ……あなた達のせいじゃない、あの子を、リズの置かれた立場に気づけなかった私たちのせいだって……助けてあげられなかったのは私たちだって、それくらいのことは理解してる。だから、せめてこの子はちゃんと責任持って面倒を見ると決めたのよ」
「そうか」
サブの言葉は短く、それで低く重いものだった。
目の下にはクマをつくり、化粧もなく髪もボサボサに傷んでいる。
地味なことこの上ない修道服は汚れ、ところどころ子供のよだれや鼻水までこびりついている。
今の藍子は、そんな事すら『その程度の事』として片付けてしまうほどに必死だった。
「城で見たときはいけ好かねぇ、ションベン臭ぇ小娘だったが……今の方がよっぽどいい女だぜ」
「何よそれ……からかいに来たならもう帰って」
「これに見覚えは」
険悪な雰囲気を全く気にせず、サブは青い上着を藍子に見せつけるように差し出した。
「これをどこで見つけた」
「あぁ、これなら……村の南側、東の海岸に近いところで怪我してる人がいたのよ。手当をしたらお礼にって渡されたわ」
「いつ頃のことだ」
「もう3ヶ月くらい前よ。この子がまだ立つ前だから」
「そいつに何か聞かれたか、それかなにか言ってなかったか」
「覚えてないわよそんな事。……ただそうね、確か……道標となる者を探してるとかなんとか……」
「道標、か」
サブは黙って視線をマシッツの村の南東へと向ける。そのまま視線を全く動かさずに、村長に重く低い声をかけた。
「南東には何がある」
「ここから南東に三日くらい歩けば、シンカー王国との国境の関所がありますが……」
「なるほどな」
じろ、と上着を睨みつけたサブは、少しばかり忌々しげなため息を付いてポケットを探ると、小さな革袋を藍子に握らせる。
「とっとけ」
「何よ、哀れみのつもり? バカにしないで、私にだってプライドは――」
「お前にじゃねぇ。この子供にだ。この子が大人になるまで、お前が預かっとけ」
短くそう告げて、さらにサブは腰に備えた革のバッグの蓋を開ける。
「それから村長、こいつは俺の親分からの差し入れだ。とっときな」
サブが教会の床にどさどさと無遠慮に放り出したのは、大量の保存食だ。
小麦に大麦、チーズに干し肉といった最低限の食料が、教会に並べられた椅子がいくつか埋もれて見えなくなるほどに積み上げられた。
「あ、あなた様の親分さま、とは一体……?」
「俺の親分なら名乗るほどのモンじゃねぇ、と答えるだろうな。だがその上、大親分は、ゴルドベルク王国のヨシュア王だ。こいつはお前らの国の王も承知のモンだ。ガキどもが腹ァ空かせてんだろ。たまにゃあ腹いっぱい食わせてやりな。それからお前にはコレだ」
唖然として立ち尽くす藍子に渡されたのは、不思議な文様が書き記された小さな巻物が数本。
「……これは……?」
「魔導伝書……ってやつらしい。俺は詳しい事ぁわからねぇが、それに伝えたい内容を書けば、対になる巻物に自動的にその内容が伝わる、って代物らしいな。今渡したやつの対になるのは、俺の女房とお嬢が持ってる」
「女房……って、あなた結婚したの? こっち側で? 一緒にいたあの、背の低い人?」
「あ? お嬢じゃねぇ。悪いか?」
「い、いえ……そうなのね……その、なんて言えば良いかわからないけど……おめでとう」
「おう。じゃ、俺はもう行くぜ。この上着はもらっていく。何かあったらその魔導伝書とやらを使って知らせな」
筋肉の鎧をまとったような屈強な大男は、そう言い残すと鷹揚な足取りで教会を跡にする。
途中、再度中年の男がサブに絡んで来たが、大慌てで駆け寄った村長が何事かを耳打ちすると、別人のようにサブに向かって土下座をしてきた。
面倒くさそうに手を振って、不器用な男サブはマシッツの村を跡にする。
このときのサブの報告が、マシッツの村についての最後の報告となることなど、このときは誰も知らないことだった。




