06 貧しい漁村
エミリアは大きな手で優雅にコーヒーカップを置くと、忌々しげに眉間にシワを寄せて腕を組む。
女性にしては鍛え上げられた筋肉が、服の上からでもわかるくらいに盛り上がりを見せた。
「そもそも勇者召喚は不確実な術だ。世界を隔てる壁に穴を開けて、その穴に目を閉じたまま手を突っ込んで『なにか』を掴んで引きずり出す、というものだ。その壁に穴を開けるだけで、人間500人から1000人の生命が枯れ果てるほどの生体エーテルを必要とする。いわばそれだけの生贄が必要な上、何が召喚されるかは運次第、というたちの悪いバクチだ」
「……そんなギャンブルのために、国民を犠牲にするなんてね……冗談にしたってタチが悪いわ」
「うむ。だからこそ、勇者召喚術は多くの国で邪法、外法として忌み嫌われている。シンカー王国の盾の派閥は『人民を犠牲にして得体のしれぬものを呼び寄せるなど国を滅ぼすだけだ』という主張、剣の派閥は『勇者ひとりは人民1000人にまさる価値がある。他国を圧倒するためには多少の犠牲はやむを得ない』という主張であるようだな」
「気に入らねぇ」
サブも低い声で呟くと、エミリアは大きく頷いた。
「うむ、私も旦那様と同じ意見だ。己の国の命運を己で切り開く努力を放棄した末にあるもの、それが勇者召喚術だ。私に言わせれば……」
「言語道断だな」
サブとエミリアの夫婦はどこまでも息がピッタリである。
「我が国でも同じ意見です。父アレキサンダーの召喚術で、綾子さんにサブさん、それに菫さん達をこの国に呼び寄せてしまいましたからね。我が国では勇者召喚術は絶対の禁忌として扱っています」
召喚術を禁忌として扱っているのはゴルドベルクも同様だ。
何より、過去の記録によれば、勇者召喚術で呼び寄せたものが異形の怪物であり、国を滅亡寸前にまで追い込んだ、などという事例もある。
多数の人命という多大なコストに対して、非常に不確定な結果しか得られないということから、『こんな分の悪いギャンブルなど、人類滅亡の危機でもなければ手を出すべきではない』というのが国際社会の共通認識となっていたはずだ。
「んで? そのバカみたいに分の悪いギャンブルを進めようとしてるのが、シンカー王国の剣の派閥っていうバカどもなわけね」
「そうなりますね」
苦笑気味にバルザックが頷き、書類に手を伸ばそうとしてアレクサンドラの睨む視線に気づき、手の行く先を書類の山からクッキーの山へと変える。
「で? 国境侵犯が起きてたって話だけど、シンカー王国ってサンサルバシオンの南側なワケでしょ? やっぱり南側の国境?」
「そうですね。南の海に面した地域で怪しい者が出没したという知らせを受けています。具体的にはマシッツという漁村です」
「マシッツですか!?」
反応を見せたのはアレクサンドラだ。
彼女は過去、何度と無くマシッツという貧しい漁村を訪れていた。
綾子達が召喚された召喚術において、同時に異世界から召喚された大魔道士という女がおり、聖騎士の子を身ごもった幼いシスターを守り暮らしている小さな寂れた村である。
何度か食料支援を目的として村を訪れた事があるが、最後に訪れてからもう半年が経とうとしている。
「あんな貧しい村……近辺にも何かシンカー王国にとって何か欲しがるようなものがあるとは思えませんが……」
「そのとおりです。警備の強化と調査を……と行きたいところなんですが、何分我が国は人手も予算も何もかもが不足していまして……あの、綾子さん? 何をそんな難しい顔を?」
「んー……いや、何か聞いたことがあるのよね。そのマシッツて名前……何だっけ、何かで聞いたような」
「あ、あの、綾子様? その村には、綾子様やサブ様、菫様と同時に召喚された大魔道士様がおられます。以前王宮に努めておりました使用人のリズという少女も」
「そう! それよ! それが言いたかったの! えっとほら、あのアレよ、大西だか中西だか小西だか、そんな感じの名前のあのヤな感じの女! それにそのリズちゃん? だっけか? その子ってあれでしょ? あのロリコンハゲの犠牲者でしょ?」
散々な言いようと言葉の選び方だが、大筋では間違っていない辺りは綾子の言葉使いのセンスの絶妙さが成せる技である。
「その何とかっていう大魔道士にしたって、訓練から逃げて酒浸りになったっていうあれでしょ? そんな役立たずが目当てってワケでもないでしょうに、気味悪いわねそいつら」
「綾子、ひとつ私から提案だが」
エミリアが大きな手を挙げ、ちらりとバルザックにも視線を向ける。
「少々遠回りにはなるが、我々がゴルドベルクへ戻る途中で寄ってみる、というのはどうだ?」
「いや、エミリアさんは寄り道しちゃダメじゃない? 軍での仕事もあるんだし。私もちょっとスミレちゃんを残しておくのも心配だから……そうね、サブ」
「はいお嬢」
「あんた行って来て。なにか分かったら教えてくれる? エミリアさんもゴメンね? でもまぁ、結婚して1年半経つんだし、新婚っちゃ新婚だけど、ちょっとだけサブに出張させて」
「ふむ」
エミリアは腕を組んで、今度は愛する夫、サブへと視線を向けてにやりと口角を上げる。
「良いだろう。だが出張先で女を作ったりしたら……浮気は許さんぞ旦那様。そのようなことをしたら可愛い妻が夫の不貞で枕を濡らす羽目になるぞ」
「バカ言え」
ふん、とサブが鼻を鳴らし、少し嬉しそうに笑みを浮かべた。
「可愛い女房が待ってるんだ、仕事を終えたら飛んで帰る」
「ふふふ、待っているぞ旦那様」
相変わらず仲睦まじい夫婦を眼の前にして、綾子は少し眉間にシワを寄せて表情をヒクつかせる。
「……ねぇ、さっきから私、何見せられてんの? イチャイチャするなら宿に戻ってからにしなさいよね」
王の執務室という場違い極まる状況で、人目も憚らずイチャつく新婚夫婦には、流石に王も水を差す気になれず苦笑を浮かべるばかりであった。




