58 やったことの報い
アーロンは少しずつ、自らの術が『誰に』『何を』伝えたのかを理解し始めていた。
一方の綾子は、すでに事態が取り返しのつかない段階まで進んでいることに気づいていた。
「アシュさん、それ何とか出来ない? 例えばさ、アシュさんの世界からこっちに来られないようにするとか」
『完全に防ぐことは難しかろうな。まぁ、吾輩の軍団を動かせばある程度は防ぐことは出来る。が、「あちら側」には吾輩とは別の勢力などいくらでもある。全てを抑えることは出来んな』
出来ることならば、理解できないままで死んだほうがはるかに幸せだっただろう。
だが、彼はたった今、自分が異世界から勇者を召喚しただけではなく、高次元の存在に故郷の場所を知らせてしまったということを理解した。それがどのような危険を孕んでいるのかも。
『理解できたか? 「向こう側」には吾輩のような慈悲深く理知的なものだけではない。血に飢えた魔獣も、殺戮を愉しむ下卑た魔神もいる。そのような者達はいずれこの世界に気付くであろうな。貴様らと同じ次元の存在である召喚勇者とやらを使っても、到底防ぎ得るものではない者どもが、この世界を知る切っ掛けを作ったのだ。それで国を護るだと? 貴様よほど吾輩を笑い死にさせたいらしいな?』
アーロンの顔からは既に血の気が引き、ガチガチと奥歯が鳴り全身は痙攣に近いほど震えが激しくなっていた。
「やってくれやがったな、このクソ坊主が」
サブが、アーロンの肩を押さえつける手に力を込めると『ぐしゃ』という実に嫌な、骨と肉が潰れる音が響いた。
高僧の口が限界まで開き、魔獣の咆哮のような悲鳴が響き渡る。
『だが、その発見を遅らせることは出来んでもない』
「え、なにアシュさん、何か方法あるの?」
『なに、簡単なことだ。この男を吾輩の世界に放り出せば良い。召喚術実行に伴うエーテル震の発信源が「向こう側」にあるということにすれば、壁を超えた先のこちらの世界に気付く者は吾輩と同じ地獄の魔王クラスに限られよう。吾輩の同僚たる魔王達は、いずれも話が通じる相手だ。であれば、こやつを吾輩の世界、地獄に生きながらにして放り込んで、魔王らに話をすれば、交渉の余地はある』
「わかったわアシュさん、やって。今すぐ」
綾子には寸毫の迷いもなかった。
ひとりの人間を生きたまま地獄に叩き込むと何が起きるのか、その事を考えるまでもなく、綾子は瞬時に決断する。
「やったことの責任、取らせてもらえるだけありがたいと思うのね」
「ま……待て、待ってくれ、何だそれは、生きながら地獄に堕ちるだと……? 何故だ、なぜ私がそんなことに! 私は正しいことをしたはずだ! 私は正義だ! 私は国を守るという大義のために!」
「目的は正しくても、アンタは手段を間違えたのよ。せいぜい地獄で考えなさい。どうすれば良かったのか。何をどう間違えたのかをね」
綾子がアーロンの横っ面に拳を叩き込むと、サブが握りつぶした肩関節が瞬時に癒やされる。
「よし、じゃあアシュさん、すぐやって」
『くくくく……相変わらず冷徹な女だ。吾輩の好むところだな』
「だからアシュさんは範囲外だって言ってんでしょ。ナンパしてる暇があるならさっさと行きなさい」
くくく、という笑い声の残響だけを残し、一瞬でアシュタロスとアーロンの姿が消える。
しばらく目を閉じた後、綾子は意を決したように立ち上がる。
「さて、と……」
綾子が視線を向けた先には、ボロボロに朽ちた床の上で気を失った3人の若者の姿があった。
特徴的な黒い衣服の様式は、綾子にとってもサブにとっても懐かしく、そして馴染み深いものである。
「とりあえず、この子達をどうするか、よね」
「お嬢、こうなっちまった以上は……放っておく分けにもいかねぇでしょう」
「そうよね……あぁもう! まったくどいつもこいつも! 次から次へと!」
とりあえず、短い八つ当たりを済ませて深呼吸を終えた綾子は、完全に冷静さを取り戻していた。
「サブ、この子達を馬車に運んで。怪我をしてるようなら私が治療するけど……とりあえずここで目を覚まさせるのはダメよね」
「はいお嬢。こいつらは多分……高校生くらいのガキでしょう。この光景は見せるワケにゃ行きません」
「ったく、あのクソ坊主、面倒くさいことしてくれやがったわね。あのロリコンハゲと言い、私ってひょっとして坊主と愛称悪いのかしら」
「間違いなく悪いでしょう。極道と坊主なんざ、どうやったって仲良くなれる生きモンじゃありませんぜ」
「そうよねぇ。まったく」
ぼやきながらも、両脇に一人ずつを軽々と抱えたサブが悠然と馬車に向かって歩き出す。
『とりあえずは終わったぞ、綾子』
「あら、おかえりアシュさん、早かったわね。あっちはもうハナシついたの?」
『とりあえずはな。まぁあの坊主は今頃地獄の素晴らしさを全身で堪能していることであろうよ。生きながらの地獄ならばこそ、あやつは死ぬことも許されん。未来永劫、地獄の責め苦を堪能できることだろうよ。ひとまず身柄は吾輩の同僚たるアスモデウスに預けてある。まぁ、ヤツについてはまた今度語るとしてだが……この小僧どもはどうする、ひとまず叩き起こすか』
「ううん、逆よ逆。しばらく眠らせたままにしたいの。出来る?」
ふん、とやや不機嫌そうに鼻を鳴らしてアシュタロスが傲然と綾子を見下ろした。
『吾輩を誰だと思っている。偉大なる地獄の大公爵アシュタロスだぞ。人間3人を眠らせるなど造作もない』
ぱちん、と青白い指を鳴らすと、3人の学生服を纏った若者たちの全身から、一気に力が抜ける。
『吾輩が良いというまでこやつらは目を覚まさんよ。で? どうする、コイツらはそのへんの魔獣にでも食わせるか?』
「そんなマネしないわよ。この子達は私たちと同じ、望みもしないのにこっち側に連れてこられた上に、もう戻れない。なら、人生の先輩として生き延びるための知恵と力くらいは、分け与えるべきじゃない? 人間として」
何故かやや面白くなさそうな顔で眉間にシワを寄せたアシュタロスは、綾子に顔を近づける。
『貴様にしては随分と優しいではないか。どうした? 何かそのへんに落ちているものでも喰ったか?』
「……何? アシュさんひょっとして私にケンカ売ってる?」
『はっはははは、冗談だ。どれ、こやつらは吾輩が馬車まで運んでやる。ゴルドベルクまで連れて行くのだな?』
「そうよ。……ったく、次から次へと面倒事が起きるわね……退屈しない人生だわ」
少々乱暴にどさ、と荷台の上にセーラー服の2人を転がしたサブが、苦笑いを浮かべて振り返る。
「お嬢の人生に退屈なんざ、死んでからも訪れやしませんぜ」
サブの言葉に、綾子は呆れ返った表情を浮かべ、アシュタロスは豪快に笑い声を上げた。




