57 間に合わなかった
雷鳴のような轟音がなり響き、まるで落雷のような閃光が辺りを照らし、馬車を曳く軍馬も流石に足を止めた。
「クソが! やりやがったわね!」
荷台から身を乗り出した綾子は、御者席の隣で仁王立ちになり、周囲の惨状を険しい顔で見渡した。
大勢の、干からびたような亡骸が無造作に打ち捨てられ、醜悪なエーテル虫の死骸が腐臭を漂わせていた。
馬たちを繋ぐロープを直ぐ側の樹にくくりつけた拳王、サブはボキボキと拳の骨を鳴らしながら、屍が敷き詰められたような広場へゆっくりと歩み出る。
綾子とサブの視線の先では、まるで人形のように虚ろな表情のまま、数名の僧が虚空に開いた口のような穴から、人のような何かを引きずり出していた。
『召喚したか』
「そうみたいね」
短い言葉のやり取り。だが、これだけで3人の意思疎通は十分であった。
周囲には多くの亡骸が横たわり、醜悪なエーテル虫の干からびた死体も転がっている。
亡骸はその全てが僧侶であろう、袈裟のような装束を身に付けており、例外無くミイラのようにしなびてしまっていた。
かつてシンカー王国の僧侶による襲撃を受け、多くの村人の血が流された貧しい漁村マシッツで、今度はシンカー僧院の若き僧侶達が屍を晒している。
「サブ」
「はい、お嬢」
村の入口に降り立った綾子は、指先が露出した革製の薄いグローブを身に付ける。
サブはまるで守護神のように綾子のすぐ後ろに立ち、ボキボキと指の骨を鳴らし始めた。
「ここから先は情けは無用、修羅の地獄よ。召喚された側には手を出さない。手向かう奴らは皆殺し。アシュさんはあの穴を何とか出来る?」
綾子が指さした先にある『穴』は、本来ならば何もない空間であった。
だが、その空間には大きな穴が口を開けている。今も数名の僧侶たちが穴の中に片足を突っ込んで、上半身を大きく乗り出して何かを引きずり出そうとしていた。
『吾輩を侮るな。そもそもあの穴は吾輩らの世界を経由する次元の穴。吾輩が閉じてくれよう』
「よし」
ぱん、と小気味良い音を立てて綾子の小さな手がアシュタロスとサブの背中を叩く。
「カチコミよ!」
綾子の声を合図にするように、サブが地面を蹴る。
まるで地雷でも炸裂したかのような音を立ててサブの足元の土がえぐれた直後、サブの巨体は数十メートルの距離を移動していた。
130キロを超える全体重を載せた拳が、咄嗟に立ちはだかった緑の法衣の男の胸に直撃すると、僧の上半身が消し飛んだ。
「な、何者だ!」
アーロンは咄嗟に防御のための結界を展開する。
本来ならばオーガ兵の渾身の一撃でも弾き返すことが出来る結界も、拳王のヤクザキックを防ぐことは出来なかった。
蹴りの一撃で粉砕された結界ごとアーロンは弾き飛ばされ、数メートルほど飛んだあと地面を転げ回る。
「なっ……何者だ! 何故我らの正義の邪魔をする!」
「正義? あんた随分器用なのね、目を開けたまま寝言言えるなんて」
オーガの戦士のような巨漢の背後から、小柄で華奢な少年のような姿が現れる。
アーロンの意識は、直ぐ側から聞こえる場違いなソプラノの声に向けられた。
肩を怒らせ、大股で歩み寄る小柄な女は大きく手を振りかぶる。
ぱん、という破裂音、
綾子の平手がアーロンの頬に直撃した。
「何のために! 何のために私たちが、お祖父ちゃんが、ティベリウスさんが召喚術を食い止めようと頑張ってたと思ってんの! アンタ達、自分が何やってるかわかってんの!?」
「私たちは……私たちは正義だ! シンカー王国を守るため、僧院を、僧院の教えを守るための! これは正義の行いだ! 国を、民を、聖なる教えを守ることが正義でなくて何だというのだ!」
「ならその腐った目ェ見開いて見なさいよ! ここで何人死んでるか数えて見なさいよ!」
綾子が指さした先には、累々たる屍が横たわっている。
『196人だ』
アーロンのすぐ背後で、低い声が短く答えた。
『貴様らが196人とエーテル虫とやらを犠牲にして開いた「ゲート」はもう閉じてある。……が、吾輩らも少々遅かったな。3人が召喚されていた』
アシュタロスの言葉に、一瞬だけアーロンは歓喜の表情を浮かべる。
「や、やった! やったぞ! 勇者の召喚に成功したのか! これで我が国はどの国からも攻め込まれない! 我が国は、シンカー僧院はこれで守られたのだ!」
じろ、とアシュタロスの赤い瞳がアーロンを睨みつける。
本能的に、自らよりも高次元の存在である事を感じ取ったのか、ようやくアーロンの表情に恐怖という感情が蘇った。
『そうだな、誇るが良い、貴様は低次元の身でありながら、世界の壁を打ち破り異なる世界へのゲートを無理やりこじ開けた。これは偉業といって差し支えなかろう』
「そ、そうだろう! 我々は国を守るために――」
『だがな、やはり召喚術は禁忌とすべき術だな。この世界へのゲートを無理やり開いたことで、吾輩らの世界の者たちも、この世界の存在に気づいたぞ』
アシュタロスがしゃがみ込み、倒れ込んだままサブに押さえつけられているアーロンの髪を乱暴に掴んで引き上げた。
『貴様がやったことは、地獄の下級悪魔どもにこの世界の場所を、座標を知らせたに等しい。次元の壁を破れるだけの力を持ったものは多くはないがな、そのうちに現れる。国を護るだと? 笑わせるな、それが貴様のジョークだとすれば、三流以下の笑えんジョークだ』
高揚したアーロンの心は、大悪魔の言葉によって急激に凍りつくこととなる。
アーロンは、自らの行いの結果をまだ理解できていなかった。




