55 強運の持ち主
サンサルバシオンの王妃……となる予定のアレクサンドラが預かっている伝書に文字が浮かび上がったのは、冬にしては珍しく晴れ渡った昼のことである。
伝書を手にしたアレクサンドラが足早に向かったのは、王バルザックのもとではない。かつてバルザックとチェスの腕を競い、今はこのサンサルバシオンで軍事顧問を務めているオーガ族の勇士、アイザック・ボルド少将の部屋である。
「こいつァ王妃様じゃねェですかい、そんな切羽詰まったお顔で、何事で?」
「アイザックさん、大至急相談に乗って下さい」
「へぇ、もちろンでさ。あっしはそのためにここにいやすンでね。それで、その伝書は?」
「これはあなたの上官、エミリア・ダンタン中将閣下からのものよ。シンカー王国で勇者召喚術が実行された疑いあり、そちらの『道標』の警護について十分に用心されたし、とあるわ」
「……親分から、用心されたしと?」
「えぇ」
アイザックは無言で立ち上がり、直ぐ側に控えていたゴルドベルク軍の士官たちに指示を出し始めた。
王宮の警護、そしてベルナデッタ前女王が幽閉されている修道院の警護のため、追加の部隊を派遣すること。それにシンカー王国からの侵入の恐れもあるため、特に前女王とその子の近辺の警護は厳重にすることを手短に伝える。
アイザックは、アレクサンドラからみても非常に優秀な軍人であり、指揮官であり、そして戦術家でもある。
エミリアからの『警護について十分に用心されたし』の一文だけで、即座にこれだけの指示を出したのだ。
「相変わらずの敏腕ね、ボルド少将」
「よしてくだせェ、あっしなんざティベリウスのオジキやエアリアの大親分に比べりゃ、ガキの遣いもいいとこでさ。同じ将軍職でも、少将と大将軍じゃガキとオトナ以上の差ァがあるってモンで」
ふぅ、と大きくため息をついてアレクサンドラは苦笑を浮かべる。
かつて自分が勝手に『互角に渡り合える』と思っていたエミリア・ダンタン中将、そのエミリアをして『傷一つつけられれば御の字』と言わしめた人類最強の大将軍、エアリア・ダンタン。そんな傑物から『将としてふさわしい』と認められたアイザック・ボルド少将は、どれだけ控えめに評価しても超一流の傑物だ。
今はサンサルバシオンの騎士団長を勤めるフォードも、アイザックに戦術や戦史研究において教えを請う状態である。かつてオーガ族は人語も解さず共食いも辞さない蛮族、などと言われていたが、現在のサンサルバシオンでその説を信じるものは誰一人いなくなった。
「エミリアの親分からは、他に何と?」
「そうね、シンカー王国には綾子さんとサブさん、それにアシュタロスという人が向かうそうよ」
「あぁ、なるほど、姐さんとサブのダンナが向かわれるッてンなら安心だ。王妃様も、もう大船に乗ったつもりで安心して大丈夫ですぜ」
「随分高く買ってるのね、あの人たちのこと」
「そいつァもちろんでさ。なにしろあの姐さんと来たら、死んでも生き返らせる事が出来る。サブのダンナはどんな敵でも殴り倒しッちまう。アシュタロスのアニキはあっしらでも敵に回したくねェ御仁ってなモンでしてね。この御三方なら、そこらの国ィ相手にケンカ出来るくらいですぜ」
「ホントに……召喚勇者というのはバカバカしくなるくらいの力を持ってるのね……だからこそ、新たな召喚は食い止めなければ行けないわね」
「まったくでさァ」
本来であれば、緊迫感を持たねばならず、さらに国王にも急ぎ報告を要する事態であるにも関わらず、未来の王妃と軍事顧問の2人はすでに対処を終え一息着くだけの余裕を見せている。
「さて、じゃあ陛下には私から報告しておくわ。ボルド少将は引き続いて警戒をお願い」
「へい、お任せくだせェ」
アイザックはゴルドベルク王国式の敬礼で王妃を送り出す。
馬車を尋常でない速度で走らせている綾子とサブの2人はサンサルバシオンの南を通り、シンカー王国との国境を目指していた。
「剣の派閥なんて、やっぱ皆殺しにしておけばよかったわね」
極めて物騒で剣呑な事を口走ったのは、菫から持たされた大量の塩バタークッキーを頬張っている綾子だ。
「あの下水道のときに集まってなかった奴らもいたんでしょうや」
「ったくしぶといわね。ゴキブリと同じじゃないの。それで? 場所とかはわかってないの?」
「組長たち百八龍が調べてるそうで。まだ場所までは」
「そう。じゃあそこは待ちか……あぁもう、ムカつくわね。アシュさん、何かわかんないかしらね」
『そうだな、貴奴らが術を試みたら恐らく次元干渉が起きるであろう。吾輩がその干渉を検知すれば、貴奴らの居場所がわかるかもしれん』
「うん、ちょっと何言ってるかわかんないわね。とりあえず何かわかったらすぐ教えて」
実に適当な指示を出して、馬車の手綱を操るサブの肩の向こう側、はるか前方へと視線を向ける。
シンカー王国も落ち着きを取り戻しつつある。
少年王アルターのもと、摂政のティベリウスと関白のネイオミの2人が政治を補佐し、剣の派閥に属していた官僚や大臣、貴族、僧たちが大勢姿を消したあとでも、混乱は最小限に押さえられる。
新たな国が築き上げられる中、最後の闘いが綾子達を待ち構えていた。




