53 春の嵐
長い冬の間、綾子と菫、それにサブはダンタン中将邸へ戻り、藍子はまだ赤ん坊のリサと共にエアリアのもとに身を寄せることになった。
藍子の処遇をどうするかについては、ゴルドベルク政府内でも若干揉めたのだが、意外なことに大将軍筆頭のエアリアが身元引受人を名乗り出たお陰ですんなり決着することになった。
『孫の面倒を見る練習と思えば、良い機会ですから。それに藍子は私の弟子。師が弟子の面倒を見ることに文句がお有りでしたら、どうぞ剣を取って私の屋敷へいらしてください。存分に語り合いましょう。剣で』
とにこやかに話した時点で、もはや反論する者は誰一人いなくなった。
「まぁ一安心よね。エアリアさんちなら、これ以上安全な場所もないだろうし」
「ん」
菫は小さく頷いて、久々の塩バタークッキーをもくもくと食べている。
このところ菫は身体の成長も著しく、既に背丈は綾子を追い抜き、胸のサイズに至っては綾子が羨ましいと呟いてしまうくらいにはなっている。
だが当の本人は急激に身長が伸びているせいで成長痛が起きているのか、やや不満そうな顔でいることが多い。
さらに、今年に入ってから始まった生理のせいか、生理痛で寝込むことが増えてしまった。
ゴルドベルクの錬金術師に綾子が直談判して、痛み止めを開発していたのが大いに役に立っているが、エルフ族やノーム族、ドワーフ族の女にはそもそも生理というものがない。
「羨ましいわよね、エルフなんて生理っていうか発情期が5年とか10年に1回なんだってさ。毎月アレが来るのって私たちヒト族? だけらしいわよ」
「う、う、うら、う、うらやま、しい……」
どちらかと言うと恨めしげにそう呟く菫は、腹のあたりに温石を布で包んだ物を当てている。今まさに生理痛と頭痛に悩んでおり、綾子から痛み止めを分けてもらい飲んだばかりだ。
「だからなんだろうね、生理痛とか言ってもエルフの錬金術師の先生も『生理痛ってなんですか』とか言ってくるの。エミリアさんもそういうの、なかったの?」
「あぁ、ないな」
まだ妊娠初期も初期、出産までかなり時間があるエミリアは、ベルトなどで腹を締め付けない服を着てはいるが、体つきも身動きもいつもと変わらない。
「じゃさ、エミリアさんの妊娠って、どうやってわかったの? ってかさ、私たちって『生理が来ない』とか『つわりが』とかで妊娠に気付くんだけど、エルフの人達ってどうやってんの?」
「あぁ、ヒト族は随分難儀なものだな。私たちは……まぁ私はエルフ族とオーガ族の混血だが、エルフもオーガも、女は身ごもったらエーテルの流れが変わる。それは簡単に自覚できるレベルでガラッと変わるからな。私が気付いたのもそれでだ」
「へぇ……良いなぁ、生理痛がないってだけで羨ましい……」
「う、うら、うら、うらやましい」
「はっははは、綾子も菫もそう睨んでくれるな。私からすれば、毎月子を作れるチャンスに恵まれているお前たちのほうが羨ましい。私が今サブの子を宿したのも、本当に幸運だったからな。今回を逃せば次は10年後だ。サンサルバシオンのバルザックの后は、あいつはヒト族だったか? であれば早くに子に恵まれることだろうよ」
この世界では、種として長命であればあるほど、女が子を作れるチャンスは少ない。
短命種に分類されるヒト族が毎月子作りのチャンスが訪れるのに対して、もっとも長命となるエルフ族は10年に一度。人類の枠を超えれば、数千年の寿命をもつと言われる古巨人族や古龍族に至っては数十年に一度程度しか子を残すチャンスがない。おまけに生態系の頂点である古龍族は、生涯一度も妊娠を経験しないまま数千年の寿命を終える個体も少なくない。
逆に生態系の下位に属するゴブリン族やコボルト族などは寿命も短く新生児の死亡率も高いが、その分非常に子沢山である。
ゴルドベルクに暮らすゴブリン族達は、医療の発達に伴い新生児死亡率が低下した部族では、出生数が低下傾向にあるという研究結果が出ている。王国内での生態系を研究する学者らから『文明の発達度合いと種族としての寿命の2つの要素は、出生数と相関関係がある』という論文が発表されていた。
「あ、あや、あ、あ、あや、子、さん」
「ん? どしたの?」
「せい、せ、せい、せいり、痛、のと、と、時、ど、どう、どう、どうし、たら」
「あぁ、生理痛のときねぇ……正直、もう横になって休んでるしか無いかなぁ。私はそれほど重くない事が多いんだけど、それでもやっぱ年に1回くらいは起き上がれないくらいキツい事があるのよね。……ってそうだ、法術って生理痛に効かないかな? 考えたこともなかったけど……ね、スミレちゃん? ちょっとお腹触って良い?」
こくり、と菫がちいさく頷く。
綾子がそっと菫の下腹をさするようにすると、菫の腹の不快感はウソのように消え、頭痛まで改善していった。
「どう? 楽になった?」
「す、す、す、す、すご、凄い、痛く、痛く、ない」
「マジか! えーこれって凄い発見だわ! くっそ、もっと早く思いつけばよかった……今度私が生理になった自分で試してみるか」
「あ、あっ、あり、あ、あり、がとう、ああ、あ、綾子、さん」
「いやぁ、良かったよ。良いことわかった。これならいつでも――」
実に呑気に話をしていた3人の部屋で、突然サブが勢いよくドアを開けた。
「お嬢! 組長から伝書が!」
このところ平和だったためか、すっかり穏やかな表情で落ち着いていたサブの顔が、久々に険しいものになっている。
普段、ふてぶてしいくらいに落ち着き払っているサブが慌てているような顔を見せるのは、実にサブと綾子が組事務所での爆弾テロに巻き込まれたとき以来であった。




