51 もうそこにあるもの
「ったく、婚約したって聞いてお祝いしに来たら、何やってんのよ」
国王に対して不敬どころか暴言にしかならない言葉を吐き、さらに先程王の婚約者の眼の前で王に思い切りビンタをぶちかましたのは、ゴルドベルクにあって『奇跡の聖女』とまで言われる小柄な女、綾子だった。
「盛大に目の下にクマ作って、痩せてヨレヨレになって。何? 自殺でもしたいの? せっかく婚約したのに?」
「ははは……いや、その……まぁ、返す言葉もありません」
「まったくよ。聖女さま、もっと言ってやってください」
「護衛のあんたも、ずいぶん言うようになったじゃない。いい傾向だわ」
目の下のクマがすっかり消えたバルザックは、頬を擦りながらやや嬉しそうな顔で懐かしい面々の顔を見ている。
この日、リベルタドールの3人と幼い子供を抱いた大魔道士は、シンカー王国名産のコバルト顔料にミネラルが豊富な塩、さらに青く染められた織物を手土産に、サンサルバシオン王都を訪れていた。
「相変わらず働き過ぎね。もうちょい下のモンを信頼しなさいって言ったじゃない」
王を相手に説教をする聖女を止めるかと思いきや、王妃となるアレクサンドラはしきりに頷きながら綾子と並んで王を見下ろしている。
「王様が死ぬほど働いてたら下のモンは文字通り、本当に死ぬまで働かなきゃいけない。人が住みやすい国にしたいなら、人に任せる事をいい加減に覚えることね。でなきゃ本当に、王も大臣も軍人も商人も貴族も平民も、みんな疲れ果てて国としてボロボロになるわよ」
「は、はい……」
うなだれる王にふんぞり返って説教をする聖女という構図が珍しいのか、賢者の菫はなぜか少し楽しそうだ。
「とりあえず冬支度はある程度出来たんでしょ? だったら春を待つ間は大人しくするのね。このー……えっと、アレクサさん?」
「アレクサンドラよ」
「アレクサンドラさんとイチャイチャして、世継ぎ作んなさいよ世継ぎ。大事なんでしょ?」
「えぇそうよ。王家にとって世継ぎが居ないのは大問題。なのにバルは仕事仕事で遅くまで眠ろうともしないし」
「ほら、お嫁さんが寂しがってるわよ? オトコとして甲斐性見せなさいよ」
ニヤニヤと実に楽しそうに微笑む綾子に、菫が何かを差し出してきた。
「ん? なに? どしたのスミレちゃん?」
「あ、あや、あ、あ、あ、綾子、さん、あ、あっ、こ、これ、この、おく、お薬」
「あれ? それ何だっけ?」
「ちょっと小川さん、それ」
藍子は少し慌てた様子で菫が手に持った瓶をそっと受け取り、ラベルのようなものをじっと見る。
「やっぱり……これ、シンカー王国の僧院で使われてるっていうのじゃなかったかしら」
「え、何? 何の薬?」
「これはほら、アレよ、あのー……えっと、何ていうか……」
「せ、せい、せい、精力剤」
思いがけない品の登場に、さすがの綾子も目を丸くする。
庇護すべき子供としか思っていなかった菫は、ゴルドベルクで暮らす内に日本人としてはかなり遅い初潮も迎え身体も成長している。思春期の少女として、当然興味を持って然るべきものには興味を持っているのだ。
「そ、そうよね、スミレちゃんも15才だもんね、そういうことにも興味あるわよね……ってそうよ、スミレちゃんに彼氏が出来るとか言うことがあったら私が見定めないとね。変なオトコだったら私がしばき倒してやんないと」
どこまでも菫に対しては甘い綾子も、成人に対しては大変厳しい。
「で、それはそうとバルザックさん、『仕事をしないのも、人の上に立つ者の仕事』って覚えときなさいよ。王様には王様にしか出来ない仕事があるんでしょ? 私はよくわかんないけど」
「そうよバル。綾子さん、よく言ってくれたわ。あなたにはあなたにしか出来ない仕事がある。それ以外の事は周りに任せて。でないと周りの者は『王に信頼されてない』って受け取っちゃうのよ?」
「そうそう、信頼されてないと頑張ろうって気になれないでしょ? ちょっと厳しい言い方するけど、バルザックさんのやり方だと周りに『どうせお前らはダメなんだから、俺が無理してでもやらなきゃいけない』って言ってるようなモンよ。そういう意図がないなら、ガンガン任せることね。で、バルザックさんがやらなきゃいけないことは、人と物と金と情報を分配することと、責任を取ること。それに、その責任に見合った報酬をちゃんと受け取ること」
「で、ですが、報酬を受け取ったりするよりも国民に分配を――」
「だからそれが甘ったれてるって言ってんのよ。良い? 王様の事は国民みんなが見てるの。慈善事業は慈善事業でやりゃ良いけど、責任に見合った物を受け取らないのは絶対ダメよ。無償奉仕には責任を負うという義務も生じない。あとからいくらでも『報酬受け取ってないんだから』って言い訳が出来るような余地は作っちゃダメなのよ。王様ならキッチリ受け取るもの受け取って、キッチリ責任を負いっていう姿を国民に見せなさいよ。それが上に立つ者の貫目ってモンよ」
どう考えても聖女の語る内容ではなく、どちらかと言うとヤクザの大親分の説教のような内容だ。が、綾子の言葉に誰よりも頷いていたのはバルザックではなくアレクサンドラだ。
「そうよバル。権利と義務が表裏一体なのと同じように、責任と報酬も表裏一体。義務を果たさないところに権利は生じないし、報酬のない責任はただの無責任。責任を伴わない報酬はただの横領と変わらないわ。あなたは義務と責任だけ負って権利と報酬をないがしろにしてる。それじゃ大臣や官僚達に示しがつかないじゃない」
「アレクサンドラさん、わかってんじゃないの」
ぱん、と将来の王妃の背中を叩くという極めて無礼な真似をするが、やはり誰も咎める者はいない。なにしろ綾子はこれが『治療』や『癒やし』と言い張れるのだ。
「良いこと言うじゃない。アレクサンドラさんが王妃になってバルザックさんの手綱握ってくれるんだったら安心じゃない?」
こうして綾子がほぼ手放しに人を褒めるのは珍しいことだ。
マフィア組織の首魁と王の護衛隊長という、ある意味対極に位置する2人だが、何故かどこか通じるものがあったのだろう。
「とりあえず、バルザックさんの疲労回復と滋養強壮? とかその辺もあるし、あと2、3発くらいブン殴っておこうかしらね」
「そうね、お願いするわ」
アレクサンドラは一切の遠慮も躊躇もなく、綾子と同時にバルザックを見下ろす。
一国の王であるバルザックは、諦めも含んだ表情で、酷薄な笑みを浮かべる聖女を見上げていた。




