50 王の妻たる者
永く『勇者召喚を推進すべし』と主張する剣の派閥に牛耳られてきたシンカー王国にあって、盾の派閥の官僚や大臣たちの品質は、一言で言えば稚拙である。
だが、そういった未熟な者たちを導くこともティベリウスに期待される役割のひとつだ。
サンサルバシオンがシンカー王国と同じく、ゴルドベルク王国の影響下にある事は、両国にとって幸運だった。
国王が疲弊したサンサルバシオン王国に、行政府も立法府も司法府も、そして軍部も未熟そのものなシンカー王国。もしもこの両国が完全に独立した状態になれば、血で血を洗う泥沼の戦争になることはほぼ確実だ。
現在、サンサルバシオン王のバルザックはゴルドベルクのヨシュア王に恭順を誓っている上、軍事顧問としてアイザック・ボルド少将が派遣されている。以前から知己である二人は馬が合うようで、政府の方針も概ねゴルドベルクのそれに沿ったものになっている。
「そう言えば、バルザック王が婚約したと言っていましたね。何か祝いの品を送らなければ」
ティベリウスのすぐ背後には、いつからそこにいたのかわからないが、黒尽くめの女が立っていた。
「手配を頼めますか」
「は。承知しました」
ティベリウスには、非常に優秀な部下が4人いる。彼らの内二人はシンカー王国に、残り二人はゴルドベルク王国に配置している。
氷雪の大将軍と呼ばれたティベリウスにとって、部下や後進の育成はライフワークとも言えるものだ。妹弟子の菫への指導も、ほぼ趣味のようなものでもある。
今、音もなく執務室をでていったのも、元は他国で奴隷として売られていた少女で、シーフのジョブ神託を受けたものが厳しい訓練を経て隠密の技を極めた者だ。今となっては連絡伝達に破壊工作、さらには暗殺に至るまでこなす、凄腕の諜報員である。
「さて、ではあと少し片付けて行くとしましょうか」
凄まじい勢いで決裁を待つ書類を片付けるティベリウスとは打って変わって、サンサルバシオンのバルザック王の政務はなかなか進まなかった。
官僚や大臣たちの執務室には暖炉の火が灯っているが、何故か王の執務室だけは暖房がつけられていない。
「陛下、いい加減に観念して下さい。暖炉に火を入れますよ」
「いや、ですが市民には今日の薪にも困っているものが——」
「もう居ませんよ。ゴルドベルクからの援助もありますし、それに元公爵領から運ばれた炭もありますから。この真冬の寒い日に暖房もつけないでいるのはもう陛下くらいです」
「……そ、そうですか、それは良かった……」
「良くないわよ」
バルザックの執務室に毛布を抱えて入ってきたアレクサンドラは、今のところ王の婚約者であるが、変わらずバルザックの護衛隊長を務めている。
婚約者となったことでアレクサンドラの発言力は強まり、バルザックが抱え込んでいた業務の半分とまでは行かないまでも、3割程をアレクサンドラが決裁し、3割は部下である大臣やツァイス宰相の腹心達に任せるように、業務の割り振りを見直している。
「良い? あなたの仕事を替われる人はいるけど、あなたの代わりはいないの。誰よりも勤勉な王であるのは良いことだけれど、それは健康あってこそよ。間違っても結婚式も挙げない内から、私を未亡人になんてしないでよね」
「ははは、そうですね。そうならないように努力します」
「努力だけじゃダメよ、ちゃんと実践してちょうだい」
元幼馴染だけあって、アレクサンドラはバルザックに対して遠慮がない。
兄妹のような間柄だったこともあり、以前婚約者であった時期も伯爵令嬢と王子という立場に似合わず、二人で剣術の稽古をしてバルザックが散々に打ち負かされたりもしていた。
「婚約してから、昔と同じように遠慮がなくなりましたね」
「私が遠慮したら王が死ぬかもしれないんだもの、多少の不敬には目をつむらないとね」
「頼りになる王妃になってくれそうで安心ですよ」
「えぇ、是非もっと頼ってちょうだい。ようやく机の向こう側からでもバルの顔が視えるようになったんだもの、もう少し顔を見ながら仕事出来るようにならなきゃ」
以前は城壁のように書類の山が積まれていたのが、掃除魔のアレクサンドラの尽力もあり、机の向こう側からバルザックの手元が見えるようになってきた。が、アレクサンドラの目標は『机の上に何もない状態』であるということを聞かされ、バルザックは度々途方にくれることになる。
「燃料が行き届いたということは、何とか冬は越せそうですね。食料の備蓄は大丈夫そうですか?」
「えぇ、小麦も備蓄分と食料支援分で、少し切り詰めれば春まで何とかなりそうよ。今の財政状況で凍死者と餓死者を計算しないで済むのは嬉しい限りね」
バルザックが公爵であったころから、冬を越すのはかなり難しい事業のひとつだった。
ほんの少しでも準備が上手く行かなければ凍死するもの、餓死するもの、そして風邪をこじらせて死ぬ子供などが相次ぐことになる。
春を迎えた頃に死者が少ないと、それだけでも胸を撫で下ろすこともある。が、我が子を失った母の姿を毎年目の当たりにするのは、バルザックにとって決して慣れることの出来ないものだった。
「今年は、一人でも無事で春を迎えてくれれば良いんですが」
「そうね。それ以前にバル、あなたもちゃんと無事に春を迎えてちょうだい。私たちの婚礼だって春になるんだから」
ははは、と少し疲れた笑いを浮かべたバルザックとアレクサンドラのもとに、幸運の使者とも言える訪問客があった。
シンカー王国からゴルドベルクへの帰路の帰路の途中であるという、聖女、賢者、拳王、そして大魔道士の4人がサンサルバシオンへ入国し、王に謁見を求めているという報せが入ったのは、まさにアレクサンドラがバルザックの手から書類をひったくったタイミングであった。




