47 良い知らせをもたらすもの
ゴルドベルク王国の美しき首都、パンゲアにある質素な宮殿の一室では、美少女と見紛うほどに整った顔立ちの若き王が魔道伝書の巻物を開き、ほっと安堵のため息をついていた。
「シンカー王国の情勢は落ち着きそうです。サンサルバシオンも落ち着きを取り戻しつつありますね。まぁ、両国への援助は必要ですが」
「安いものですな。必要経費です」
はは、と軽く笑い声を上げて、ヨシュア王は眼の前でゆったりとした服を纏った大柄な中将を見上げた。
「ですが、ネストリウス大将軍の不在は少々痛手ですね。まぁそれでも、南側の憂いがほぼ無くなることを考えれば、彼をシンカーに派遣して、サンサルバシオンのサポートを任せるというのも妙案と言えば妙案です」
「確かに。ティベリウス・ネストリウス大将軍はゴルドベルク軍でも政治力は軍を抜いております。シンカー王国の臨時摂政としても、サンサルバシオンの国王補佐としても申し分ないでしょう」
「……分かりました。事後承諾にはなりますが、ネストリウス大将軍の方針を追認しましょう。ダンタン中将、魔道伝書で連絡を任せてもいいですか?」
「はっ、もちろんです」
満足げな笑みを浮かべたエミリアは、妊娠が判明して移行、こうして現場から少し距離を置いている。
「ところで、中将のお腹の子は変わりありませんか?」
「ありませんな。まだまだ妊娠初期です。まぁ父親が拳王サブともなれば、さだめし暴れん坊になることでしょう」
「あっははは、それは困りますね。父親に似ても母親に似ても、かなり強い子になるでしょう。王宮で暴れてしまっては、修繕が大変そうです」
「そうならぬよう、厳しく躾けねばなりません。力持つものは、その力を正しく制御する術を身につける義務があります」
「その通りです。……僕も、母のように強くあらねばいけませんね」
再び小さくため息を漏らしたヨシュアは静かに立ち上がり、執務室の窓を開ける。
一瞬だけ冷たい空気が部屋に入り込んで来て、慌てるように今度は窓を締めてしまった。
「すみません中将、身体を冷やしてはいけませんでしたね」
「いや、お気遣いなく。腹にいる内から陛下に気遣いを頂けるとは、この子も果報者です。でもこの子は拳王と、ダークエルフと、そしてオーガ族の血を引く子です。それほどヤワではないでしょう」
エミリアの、甲冑のように鍛え上げられた腹筋は、今や胎内に宿ったばかりの命を守るための頑強な鎧となっている。
「それでもです。生まれてくる子供はゴルドベルク王国の宝です。大切にしなければ」
「もったいない御言葉です、陛下」
実にほのぼのとした光景となっているゴルドベルク王国とはまったく異なり、サンサルバシオン王の執務室では、相変わらずげっそりと疲れ果てたバルザックがつかの間の眠りに落ちていた。
呆れた顔で、少し痩せた背中に毛布をかけたアレクサンドラは『まったく、この人は』と呟いてため息を吐く。
室内なのにその息は白くなる。暖炉の火も消えており、日頃鍛えているアレクサンドラでも少し身体震えてしまうほどの冷え込みである。
国庫は相変わらず火の車で、ゴルドベルクからの援助があってもギリギリの状態だ。
国民の暖を取れるだけの薪や燃料はあるが、その分王は質素倹約を徹底しなければならないほど、厳しい冬となっている。
「……ダメだわ、こんなところで眠ったら。陛下、起きて下さい。ちゃんとベッドでお休み下さい」
「…………あぁ、サーシャ……」
「こんな寒いところでお休みになっては風邪をひいてしまいます。さ、寝床までお連れします」
「いや、もう少しだけ片付けてから……」
「ダメです。先日私と約束なさったじゃなりませんか。ちゃんとベッドでお休みになるって。それに食事もろくに食べておられないじゃありませんか。すっかりお痩せになって……今の陛下なら私が抱きかかえられますよ」
「流石にそんな事はない……と思いますよ?」
「つべこべ言わないでバル。ホントにベッドまでお姫様だっこするわよ」
突如、護衛騎士から幼馴染の口調になったアレクサンドラは、椅子から立ち上がろうとしない王のそばに跪いたかと思うと、本当に成人男性であるバルザックを軽々と抱えあげた。
「さ、サーシャ?」
そのまま王の寝所まで運ぶかと思ったアレクサンドラは、バルザックを抱えたまま立ち尽くし、ぽろぽろと泣き始めてしまった。
「バル……こんなに痩せて、あなた本当に死ぬわよ! あなたの身体はあなたひとりのものじゃないって言ったじゃない!」
まるで母親が子を叱るような、妻が夫を心配して説教するような言葉だった。
このところ、シンカー王国によるサンサルバシオン王国南部への侵攻の動きがあったためか、バルザックの業務量は普段の倍近くに膨れ上がっていた。
一時期はちゃんとベッドに入って休んでいたのだが、結局その健康的な習慣はわずか4日で終わってしまっている。
「ダメね、バルはやっぱり私がいないと」
「あ、あの、サーシャ、そんなに泣かれると困りますよ」
「困るのは私の方よ! アレだけ口を酸っぱくして何度も何度も『ベッドで休め』『食事はちゃんと食べろ』といってもこの有り様。もう我慢できないわ」
ぎゅ、とアレクサンドラがバルザックを抱く腕に力を込める。
王の執務室のドアを、大変お行儀悪く蹴って開けると、門衛に『締めておいて』と言い残し、ぽかんと見送られる視線も構わずに王の寝室のドアの前にいる門衛の前に立つ。
「開けなさい」
「あ、あの、ライツ伯爵……?」
女騎士が成人男性の国王を抱きかかえている、という実にシュールな光景に呆気にとられた新人騎士達は、思わず敬礼すら忘れて立ち尽くしてしまった。
普通は逆だろう。王が女騎士を『御手付き』のために抱きかかえるか、男の騎士が姫君を抱きかかえるならまだしも、女騎士アレクサンドラが国王バルザックを抱きかかえるというのは、不敬を通り越して滑稽なシーンになってしまう。
「伯爵閣下、それにバルザック陛下、これは一体何事——」
「良いからガタガタ言わずに! さっさと開けなさい!」
「は、はっ、了解であります!」
上官の怒声でようやく我に返った門衛は、慌てて修繕を終えたばかりの、王の寝室のドアを開けた。




