44 氷の大魔道士
アルターは周囲の傀儡として操られていたが、暗愚な王ではなかった。
善良な尼僧、ネイオミの熱心な教育だけではない。アルターはそもそもが非常に聡い少年だ。
身体こそ虚弱であるものの、アルターの頭脳は菫に次ぐほどの聡明さを備えていた。
「みなさんも、お願いします。民を助けて下さい」
「ふむ……陛下、御言葉を返すようですが」
浩二は幼い王に向かって跪き、顔を近づける。
「我々百八龍はともかく、ここにいる『リベルタドール』は国外の、ゴルドベルク王国の組織です。彼らに頼むには然るべき『筋』を通さねば」
「で、ですがササガワ様! 今まさに王都が燃えているのです! 民が焼け出されているのですよ!」
「だからこそです。どさくさに紛れれば何をしても良い、などというのは上に立つモンのやり方じゃありません。上に立つモンは上に立つモンとしての仁義というものを忘れちゃあいかんのです」
「確かに、そのとおりですね」
下水道の通路からの出口からは、銀髪のエルフの男が悠然と歩み出て来ていた。
数名の魔道士達は何やら見慣れない木箱を運び出しているが、その中身がかつて大僧正コーネリアスであったモノであることなど、誰も知る由もない。
「あら、ティベリウスさん? もう用事終わったの?」
綾子がまるで近所の友人に声をかけるような気軽な言葉をかけると、大将軍は優雅に頷いた。
「えぇ、滞り無く。妹弟子への指導も出来ましたし、一石二鳥というものでした。それよりも、大変なことになっていますね」
ネイオミの顔はすでに血の気が引き、気丈に振る舞ってはいるものアルターの脚はもはや制御不能なくらいに震えている。
「まずは、あの炎を何とかしましょうか」
ティベリウスが片手をひょい、と掲げると、凄まじい勢いで王都の真上に暗雲が立ち込める。
雷鳴がとどろき、稲光が周囲を鋭く照らしたかと思うと、王都にだけピンポイントに雨粒が落ち始めた。
雨脚は次第に強くなり、ものの数分で滝のような豪雨へと変わる。
「私は『氷雪』という二つ名を戴いてはいるが、水属性の魔法を得意としているからね。伊達に大魔道士を名乗ってはいない」
雨は王都全体を包む炎を次第に小さく抑え始め、もはや燃え上がる炎は城壁の外からは見えなくなっている。
まさに恵みの雨だった。
王都の火事はもはや鎮火しつつあり、王城は外壁が少し燃えただけで、書庫や宝物庫は火の手を免れていた。
若き王アルターや、今はシンカー僧院において最上位の位階にある権中僧正、ネイオミが危惧していた王家の歴史の焼失、という最悪の事態には至らなかった。
「さて、火事は鎮火したようだが……焼け出された者が多くいるようですね」
ティベリウスはアルターに歩み寄り、静かに膝を地につける。
「このような非常時ではありますが、ご尊顔を拝す栄誉を賜り光栄です、アルター陛下。私はゴルドベルク王国軍において大将軍の任を頂いております、ティベリウス・ネストリウスと申します。我が王、ヨシュア陛下より、対サンサルバシオン王国、対シンカー王国の外交において全権委任公使を任されておりますので、此処から先のわたしの言葉は我らの王、ヨシュア陛下の御言葉と同義であるとお考え下さい」
王の代理である事を宣言した後、ティベリウスはゆっくりと立ち上がる。王の代理を名乗った以上、他国の王であっても膝をつくわけにはいかない。これはベスタ・プラデッラ大陸における外交儀礼である。
「我々ゴルドベルク王国を代表して、シンカー王都の火事に対し心からお見舞いを申し上げる。火事からの復興に際しては、ゴルドベルク王国として支援を提供する用意があります」
「あ、ありがとう……ございます。ヨシュア陛下の慈悲に感謝します」
王アルターの代わりに答えたのは尼僧ネイオミだ。
まだ外交に不慣れなアルターは、自分が大国に対して不用意な事を言わないよう口を閉じている。
「剣の派閥の捜索に関しても、我が国の『リベルタドール』が援助しているようですね。綾子さん、サブさん、それにスミレも、剣の派閥に対する警戒への協力を続けて下さい。これはヨシュア陛下の指示と同義であるとお考えください」
「わかったわ。『ヨシュア陛下の御言葉』ならもちろん従うわよ。アシュさんも、お願いね」
『良かろう』
にこ、と優しげな笑みを浮かべた氷の大将軍が作り出した積乱雲は徐々に薄くなり、雨もほぼやんでいる状態だ。
「剣の派閥に対する警戒は続けなければならないでしょうが……権中僧正、現状盾の派閥はどこにどれくらいの人数が配置されているのですか?」
「そ、そうですね……大半は王都の周辺都市におります。グランデルベルグは唯一、剣の派閥の侵入を許さなかった都市です。他は盾の派閥が多数派を占めている状況です。王都では政府機関の殆どが剣の派閥で占められて、僧院でも七割程度が剣の派閥です」
「ふむ、なるほど……ではササガワ殿、でしたね? 貴方にもお伺いしたいのですが」
「何ですかな」
浩二が顔をあげティベリウスを真正面から見返す。1人で一国の軍に匹敵するとすら言われる大将軍を相手に、真正面から見返すなど相当な胆力がなければ出来ない。が、浩二にはその胆力があった。
「百八龍は何人程おられますか」
「俺の組織はその名の通り108人……と言えりゃ格好良かったんだろうが、実際には500人を超えますな。王都にも潜伏している仲間がいる。本部はグランデルベルクで、俺も普段はグランデルベルクで暮らしています」
「なるほど。ところで……ササガワ殿は、我が国の綾子さんの縁者であるとか」
「間違いない、綾子は俺の孫娘だ」
迷いなく答えると、浩二はちらりと綾子を見てから歯を見せて笑みを浮かべた。
「そうでしたか。では、我が麗しきゴルドベルク王国とシンカー王国には、深いつながりがあるとも言えますね」
しばらくティベリウスは腕を組んで、鎮火した王都へと視線を向けたまま動きを止める。
数分間にもわたり沈思黙考を続けた後、ティベリウスはとんでもない言葉を口にする。
「アルター陛下、畏れながら陛下には政治、外交のご経験がお有りでないでしょう」
「はい。陛下はこれまで実際の政務に携わった事はありません」
やはり答えたのはネイオミだ。だが、次のティベリウスの言葉には、流石のネイオミも、そして抜群の胆力を誇る綾子ですら答える言葉が見当たらなかった。
「このティベリウスが摂政としてアルター陛下をお助けする、というのはいかがですかな?」




