42 呼べない名前
ティベリウスの『口寄せの魔法』の実演は続いた。
書記を務める菫は、驚異的な速度で言葉を書き綴りながらも、兄弟子の秘儀を見逃すまいとじっと目を凝らしている。
「隠さなければならぬ、知られてはならぬ、この秘術はシンカー僧院の大僧正のみが知るべきものである。断じて、断じて、断じて、断じて、断じて外に漏らすことはまかりならぬ。我が国だけが、我が僧院だけが秘匿する勇者召喚成功の秘術とせねばならぬ」
ティベリウスが大きく息を吸い、しばらく呼吸を止めてからゆっくりと吐き出した。
「シンカー僧院のみがこの秘儀を継承しなければならぬ。王にも知らせてはならぬ。この秘儀は、わがシンカー僧院がこの世界をして御仏の、創生の大精霊へ帰依させるための切り札とすべきものである。断じて、断じて知られてはならぬ。この秘儀を明かしたものには死あるのみ」
ごぼ、とコーネリアスは咳き込んだ。
痰の絡んだような、湿った嫌な音の咳だ。
一方のティベリウスは穏やかに深呼吸をするばかりである。
「大僧正よ、観測者について語るが良い」
コーネリアスはがくんと首の力が抜けたかのように上を向き、ティベリウスと同じ呼吸をし始めた。
声を伴わない、まるで酸欠にあえぐ魚のような動きで口を開けると、ティベリウスがその口の動きを真似るように話し始める。
「観測者は、我々が生きる世界の上位の存在。我々にないプラーナを持つ至高の存在にして、多くの世界を眺め観測する者。その力は創世の神や大精霊と呼ばれ、多くの世界を生み出し、滅ぼし、育み、そして焼き尽くしてきた。我々は彼らにとって、子が観察する地を這う蟻に過ぎぬ。一つの世界は一つの蟻の巣。勇者召喚は、別の巣から蟻を呼び寄せるに等しい。ならば観測者に蟻の巣の場所を示し、己の場所を示すことで特定の巣の蟻を呼び寄せられる」
菫のペンは凄まじい勢いで動く。
彼女はメモなど取らなくても全ての話を記憶しているのだが、万が一にも聞き漏らさぬために、必死で手を動かしていた。
「観測者は世界を自在に行き来する。我々に観測者を感知することは出来ない。だが数多くいる観測者の中には、我々に興味を持つ者が存在する。彼らは『アヴァターラ』を使い仮初の姿を得て我々の前に姿を顕す。高次元にあるものを低次元のものは感知出来ぬが故に、彼らは我らの次元で使うアヴァターラを用いる……」
コーネリアスの両耳から、血が流れ出した。
鼻の穴、そして目からも血が少しずつ流れ始める。精神魔法による脳への負担が過剰になってしまったせいだ。
だが、コーネリアスは死ぬことも正気を失うことも赦されなかった。
菫が大僧正に手をかざすと、綾子と同じような緑色の光りが放たれる。
治療を受けながら拷問されるのに等しい状態だ。耐え難い頭痛に苛まれながらも、正気を失うこと無く考える事を強要される。
ティベリウスの尋問は静かで、穏やかで、そして残酷であった。
「観測者を呼ぶには、観測者の名を呼ばねばならない。彼らの真の名を知る者は始末しなければならぬ。我々だけが知っていなければならぬ。観測者の名は」
ひゅう、と大きく息を吐き、大僧正は大きく胸をそらして勢いよく息を吸った。ティベリウスの呼吸に合わせるように、強引に息を吸わされたようなものだ。
「観測者の名は、豈召喚僶繧ソ縺輔sである」
菫が可愛らしく少しだけ首をかしげる。
「観測者の名は、豈召喚僶繧ソ縺輔sである。みだりに彼らの名を唱えてはならない。彼らの肖像を描いてはならない。豈召喚僶繧ソ縺輔sを崇めよ、豈召喚僶繧ソ縺輔sを称えよ。豈召喚僶繧ソ縺輔sを呼び寄せよ。勇者を豈召喚僶繧ソ縺輔sの手に委ねよ」
繰り返しティベリウスが口にした聞き慣れない言葉は、菫が耳に入れた通りの文字で書き写される。
エウォカティオ、という聞いたこともない言葉だった。
正確な発音とはやや異なるが、少なくとも菫が知る言語には、ティベリウスの発音を正確に表す文字はない。
「豈召喚僶繧ソ縺輔s……エウォカティオ……?」
ぱん、という破裂音。
ティベリウスが手を打つと、大僧正コーネリアスは我に買ったようにティベリウスへと目を向ける。
「ありがとう大僧正、快く教えてくれて手間が省けた」
「何を……なんのハナシだ、私は何も話さない。話して聞かせることなどなにもない。お前たちのような野蛮な魔族に、何一つ教えてやるものか」
「そうか。なら良い。ムリに聞き出そうとは思わない。私の『質問』は以上だ」
ゆっくりとティベリウスは立ち上がる。
「さて、質問も終わったことだし、ここからは」
部屋の温度が急激に下がる。
ぱきん、という軽い音を立て、コーネリアスの手の指の第一関節が凍りついた。
「あまり菫にとって面白くない時間になるな。藍子や綾子、それにサブのところへ行っていなさい。私はこの男に、罪と罰について教えなければならないからね」
こくり、と頷いて菫は帳面を大事そうに抱え、薄暗い部屋を出ていった。
残されたのは、椅子に縛り付けられた大僧正と、氷の大将軍の二人だけである。
「さて、では大僧正、君の罪を数えるとしようか」
大僧正、コーネリアス・ギキはこの日生まれて始めて、心の底から死を希うことになった。




