04 ブラック労働
かつて、綾子とサブは、現在ゴルドベルク王国首都パンゲアにいる菫とともに、日本から召喚された。
笹川組の組事務所で引き起こされた爆弾テロに巻きこまれて死んだ——と思った次の瞬間には、『この世界』に召喚されていたのだ。
ちなみに綾子とサブは、召喚された当日に追放を命じられ、ブチ切れた末に力技で強引に脱走している。
もののついでとばかりに、王都を牛耳るマフィア『トレーダー』を壊滅させたのだが、そんな小さな事など忘れたかのように、物珍しそうに時折脇見をしながら王都を歩く。
「へぇ、前と比べりゃマシになってんじゃない?」
以前のようなゴミゴミした様子はなく、道は清潔で若い女がひとりで出歩く姿も見える。
街をパトロールする騎士も少なくはなく、治安維持のための組織がちゃんと機能している事が見て取れた。
以前は巡回する騎士もおらず、信仰や崇敬の対象であった教会近くがスラムと化していたような惨状であった事を考えれば、1年半という短い期間にしては劇的な変化と言えるだろう。
「陛下はこの国を立て直したいとお考えです。ですが……何もかもが足りません。人手も、資金も、食料も、物資も、それに時間も」
「だろうな。戦争に負けるということは、敗れた国を建て直すとはそういうことだ」
エミリアの言葉は容赦ない現実を突きつける。アレクサンドラには反論の余地もない、残酷な現実だ。
戦争に負けて国が滅び、他国の支配下に置かれるのならば、為政者としてはまだ楽な方だ。新しい体勢を受け入れれば良い。
このような場合は、再建を完全な焦土から始めることが出来る分まだ楽である。
だが、自ら国を立て直すというのであれば、中途半端に破壊された崩壊寸前の国土やインフラに、無いも同然の資金、さらに腐敗していた官僚機構に行政府の機能にいたるまで、丁寧に作り直すという気の遠くなる作業を延々続けなければならない。
今まさにバルザックは、その気の遠くなる作業を満身創痍、疲労困憊の状況で続けているところだ。
見るに見かねたアレクサンドラが、どんな怪我をもたちどころに癒やすというバルトークの聖女に助けを求めたのは、ひとえに王の身を案じてのことだ。
「バルザックさんに会うのも1年半ぶりだけど、その様子じゃ倒れるまで時間はあんまりなさそうね。とりあえずちゃちゃっとブチ癒やしちゃおうかしらね」
「……お願いします。陛下はこの国の父。陛下が倒れられては国も共に倒れてしまいます」
「ま、正直なところ私のことを追放した国の末路なんて興味はないけど、バルザックさんは知らない仲じゃないしね」
「慈悲に感謝します、聖女様」
「やめてよ、あなた前は私にケンカ売ってきたじゃない。そんな人から聖女様なんて逆に気色悪いわよ。ほら見て、鳥肌」
「……その節はご無礼を……ですが、我々は助けを請う立場です。慈悲をいただく立場には、それなりの然るべき振る舞いがあります」
「あら、殊勝な心がけじゃないの」
元々は貴族の令嬢であったアレクサンドラにとっても、平民どころかこの世界の者でない綾子やサブといった怪しい出自のものに頭を下げるのには、かなりの努力を要するものだった。
が、復興途上にある国を建て直さんとする王や、その王のもとで慎ましくも懸命に生きる国民のためと思えば、頭のひとつやふたつ、すぐに下げられるだけの胆力を身につけることが出来た。
王城の城門を通り、美術品の類をすべて売り払って実に殺風景になった回廊を進んだ先、少し汚れて傷んだ木材のドアを開けた先にある書類で埋め尽くされた部屋が、この国の王の執務室であった。
「陛下、ゴルドベルク王国よりエミリア・ダンタン中将閣下、聖女綾子様、拳王サブ様、賢者菫様が到着なさいました」
「あ、あぁ、ありがとう。どうぞ」
アレクサンドラがドアを開けると、書類の向こう側でふらつきながら立ち上がったバルザックが、精一杯の弱々しい笑みを浮かべていた。
「ちょっと、フラついてるじゃないの! 座んなさいよ」
綾子が慌ててバルザックへ駆け寄る。
本来ならば、アレクサンドラはこの動きを制止しなければならない立場だ。が、綾子の素性を熟知している彼女は敢えて止めなかった。
「ほらちょっと座って。この分じゃ早死するわね。ちょっと痛いわよ、歯ぁ食いしばって」
「え? えっ? あの、アヤコ殿?」
「ほら背筋伸ばして。行くわよ」
バルザックの返事を聞く前に綾子は大きく手を振りかぶり、弱々しい背中に一片の容赦もなく、思い切り平手を叩きつけた。
エミリアは平然とその光景を見守り、アレクサンドラは思わず『うわぁ』と小声で呟いて顔をしかめた。
ばちん、という実に派手な音が執務室に響き、バルザックは思わず身体をのけぞらせて『うぎぃ』という変な悲鳴を上げる。
「ったくもう、上のモンがそんなに無理してたら、下のモンが不安になるでしょ」
「違いねぇ」
サブは苦笑を浮かべて何度も頷くと、綾子は少し不満げな顔でサブを睨みつける。
「何よ、私はムリしてないわよ?」
「俺はお嬢に『は』何も言ってませんぜ」
「……ま、良いわ。で? どう? どうせその様子じゃ肩こりに頭痛、冷え性に下痢か便秘、首のこりとかもあったんじゃないの? 具合は?」
「いっ……たたたた……噂には聞いていましたが、本当に叩くんですね……」
「そうよ、これがバルトークの聖女による癒やしの奇跡ってやつ? よね、エミリアさん?」
「あぁ、まぁそうだな」
エミリアもサブと同じように苦笑を浮かべて頷いた。
「それで? 具合どう?」
「信じられないことに、かなり楽になりました……少なくとも左腕の痛みと頭痛、それに肩と腰の痛みは消えました……まさか叩かれて腱鞘炎まで治るなんて……」
「そう、なら良いわ。ひとまず、とりあえず今日はさっさと寝なさい。ヨシュア陛下からの信書は明日渡すから」
「いえ、もう身体が楽になりましたし、これからすぐに――」
「バルザック、あんた部下を死なせる気なの?」
ぱっ、と折りたたまれた書簡を機敏に持ち上げてエミリアに手渡すと、綾子はじろりと王であるバルザックを睨みつける。
「あんたが倒れたら、下のモンは死ぬまで働く羽目になるわよ。それが嫌ならとりあえず今日は寝なさい。明日起きてご飯食べて、しっかり頭を休めて、話はそれからよ。アレクサンドラさん、アンタたちの王様は仕事中毒みたいだけど、とりあえず身体のガタは治しといたから、今日もしっかり寝かせて。ヤだっていうならこの机の上の書類、全部燃やすわよ」
慈悲深いのかそれとも脅迫しているのかわからなくなるようなセリフに、この日ばかりはバルザックも頷かざるを得なかった。




