38 若き賢王
大悪魔アシュタロスは、心の底から呆れ果てた表情で頭を振ると、じろりと綾子や藍子を睨みつける。
『まったく、これだから低次元の者は……良かろう。かいつまんで話すとだ。こちらの世界に元の世界から何者かを召喚しようとすれば、自力だけでは極めて不安定な結果しか得られんが、上位次元の存在に働きかけることでその確度をあげられる可能性がある、ということだ。つまり、吾輩たちのような、貴様らが神や悪魔と呼ぶ者に働きかける方法があり、かつその上位次元の存在に「召喚したい者が存在する世界」と「召喚先となる世界」指し示す鍵を提示することで、より確実な異世界召喚を行える、ということだ。つまり小娘、貴様の娘リサはその鍵として使われる可能性が高い』
突然話を振られた藍子はまだ理解が追いついていなかった。ぽかんとした表情で口をぱくぱくと動かすものの、言葉が口から出てきていない。
『もっと短く言わんと分からんか? 上位次元の存在を「神」……いや、そんな忌々しい名は吾輩が使いたくないな。仮に「超越者」とするならば、貴様の娘は超越者に捧げられたが最後、二度とこの次元には戻れないということだ』
「な……何よそれ! あの子がそんな、生贄みたいに捧げられるなんて!」
『だからこそ、今まさにこの時も吾輩の下僕、センチネルが探している。落ち着け小娘。……という内容の説明で、スミレの仮説の内容と齟齬はないか?』
菫は真剣な面持ちでこくりと頷く。
途方に暮れる尼僧ネイオミの直ぐ側で、王アルターはくいくいと尼僧の法衣の裾を引っ張った。
「どうなさいました? 陛下?」
先程からしきりに何かを書き記していた幼い王は、何枚かの紙を学びの師でもある尼僧に見せるが、ネイオミはどの紙を見ても首を傾げるばかりだ。
「……陛下、あの、これは一体……?」
少年王が差し出した紙に目を向け、驚きの表情を浮かべたのは、少年王と同じく言葉を喋るのが極めてニガテな菫である。
「か、か、かく、書く、もの、を、貸し、か、か、か、貸し、て」
何故か切羽詰まった表情で手を王に差し出すと、アルターは菫の小さな手にそっとペンを握らせる。
菫は凄まじい勢いで王のメモ書きに何かを書き記していった。
王もまた驚愕の表情を浮かべ菫のペンが向く先を、まるで先回りするかのように指でさし示す。
「……ねぇサトミさん」
「あの……もし私のことでしたら、ネイオミです」
「そうそう、ネイオミさん。王様はひょっとして喋れないの? 耳は?」
「耳は聞こえておられます。ただ陛下は……数年前に毒で喉を灼かれてしまい、それ以来声を出せないのです」
「そうだったんだ……ね、もし良かったら私、治療してみようか?」
菫とアルターに続くかのように、今度はネイオミが驚きを隠せない表情で綾子を見下ろした。
「一応ね、私も法術士なのよ。なんか聖女とか呼ばれてるし、怪我とか病気も治せるから」
「ほ、本当ですか! 我が国の法術士達はもう陛下の喉を治すことは出来ないと、そう言っていて諦めていたのです!」
「え? そうなの? じゃあちょっと喉に触らせてほしいんだけど、良いかしら」
アルターは夢中で、菫と無言の議論を交わしているようにみえた。が、ネイオミがそっと王の肩に手を置き、小声で何事かを囁くと、アルターは綾子をじっと見上げ大きく頷いた。
天井を見上げるように顔をあげ、綾子に喉を晒す。本来なら王としてこのような格好は人に見せる事は避けなければならないはずだ。だがアルターは一切ためらわなかった。
「よし、じゃちょっと触るわね」
王の首に手を伸ばすなど、不遜を通り越してもはや即処刑ものの所業と言える。だが、アルター自身も『バルトークの聖女』の噂は耳にしたことがある。
綾子の手のひらからは、優しく緑色の光が放たれ始めた。
死者すら蘇らせるその奇跡の業ならば、もしかしたら自分も声を取り戻せるのではないか。
臆病で無口、ただただ虐げられながらもじっと耐えていた王にとって、大英雄エアリア・ダンタンと並んで聖女綾子の逸話は、希望をもたせるに十分なものだった。
そして今日、その奇跡の業が自分に施されている、そう考えるとアルターだけでなくネイオミの期待は否が応にも高まってしまう。
「……うん、なんとなくだけど、『通りが良くなった』っていう感じはするかな」
綾子の手が静かに離れる。
「へ、陛下、いかがでございますか? 喉の痛みはございますか?」
「大丈夫」
まだ声変わりを迎えていない少年特有のボーイソプラノの声。
誰よりも、自分が声を出せたことに驚いているようなアルターは、大きく目を見開いてすぐ隣で自分を心配そうに見つめている尼僧の顔を見上げた。
「陛下……あぁ、陛下のお声が……」
「僕、喋れる……喉が痛くない、声が出せる!」
ゆったりとした紫の法衣で包み込むように、尼僧は少年王を優しく抱きしめる。
その光景は、青白い顔の悪魔ですら少しばかり口角をあげるほどに、微笑ましくも愛情に満ちたものであった。




