37 世界の姿
賢者にしてIQ160を誇る吃音の天才、菫の思考スピードは、彼女の言葉を軽く置き去りにしてしまっていた。
「えーっと……ごめんねスミレちゃん、私あんまり頭よくないから理解が追いつかないんだけど……その、つまり『世界がいくつかある以上は、複数の世界が属する、より上位の世界がある』……っていうのは……どゆこと?」
センチネルが王都の外側まで捜索の手を伸ばしている間、シンカー僧院の総本山から出た一行は一度王城へと戻る事となった。
幼い王アルターのだだっ広い執務室に椅子を持ち込んで、たどたどしいながらも必死の表情で言葉を紡ぎ出す菫の言葉に耳を傾けている。
だが、菫は吃音のためになかなか言葉を口から出せず、そのもどかしさからか次第に涙ぐみ始めてしまった。
『我が主スミレ、続きは頭の中で思え。吾輩が代わりに言葉にしてやる』
不意に現れたアシュタロスが、優しく吃音の天才少女の肩に手を置いた。
驚いた表情で青白い顔の悪魔を見上げる菫に、悪魔らしからぬ優しげな笑みを見せる。
『なに、心配するな。赤子の捜索はセンチネルに続けさせている。遠からず足取りは見つかるはずだ。千人を超える者どもが姿を消した以上、痕跡すら残さないということは不可能だ。センチネルどもなら痕跡をたどることも出来る。吾輩らは安心して、ここで待っていれば良い。貴様らも良いな? これから菫が話そうと考える事を吾輩が代弁する。吾輩の言葉がスミレの意図と異なる場合には、スミレが合図すれば良い。どうだ』
「お、お、お、おね、お、お願い」
「そうね、スミレちゃんとアシュさんならそういう事も出来るのね」
綾子も納得したような表情で大きく頷く。だが、このやり取りを始めて見た藍子とネイオミ、それにアルター王は不思議そうに、宙に浮いた悪魔を見上げている。
『では始めるぞ。我が主スミレよ、心のなかで存分に語るが良い』
しばしじっとアシュタロスを見上げていたスミレは、真剣な表情で黙ったまま表情も変わらない。だが、アシュタロスの眉が何度かぴく、と上がる。
『ほう……なるほどな。では説明するぞ。吾輩や綾子、サブ、それにそこの小娘が元いた世界を仮に「元の世界」、そして今いるこの地を「こちらの世界」と呼称するが』
アシュタロスの説明もまた難解なものであった。
元の世界や『こちらの世界』が属する階層があり、上位の世界やさらに上位となる世界が存在するという大胆な理論だ。
複数の世界が『異世界転移』が可能であるとするならば、それぞれの世界は同じ次元に存在すると仮定出来る。さらに、同じ次元に複数の世界が存在するとすれば、同時に複数の世界を観測できる『上位次元の世界』の存在が予測出来る、というのが菫の仮説だ。
『上位次元の世界の存在が、例えば貴様らが言う造物主であったり神であったり、というものであるとも言えるな。結論から言おう、この仮説は正しい。証拠は吾輩の存在だ』
アシュタロスは何故か得意満面な笑みを浮かべて傲岸不遜にふんぞり返る。
『吾輩もかつては貴様らが神と呼ぶものに仕えていた。まぁもっとも、吾輩は貴様らが生活していた地球という世界に割当られた上位次元の世界の住人だがな。貴様らはいわゆる3次元の空間に時間という次元を加えた、3プラス1次元に生きている。吾輩ら悪魔や、忌々しい神に天使どもはさらに1つの次元を加えた世界に生きている。そして「こちらの世界」は地球と同じく3プラス1次元の世界で、「元の世界」と同じ階層にある。吾輩が元の世界だけでなくこちらの世界にやってこられたのも、吾輩が上位次元の存在であるからだ』
「えっとゴメン、アシュさん? とりあえず全然わかんない」
『案ずるな綾子、貴様に理解できるとは思ってはおらん』
「え、今私すっごいバカにされた?」
『馬鹿にはしておらん。貴様の理解力を正確かつ的確に把握しておるだけだ。気にするな』
「うん。アシュさんは後でシバき倒すとして、とりあえずハナシ続けて?」
アシュタロスが続けた菫の仮説は、もはや誰にも理解されていないかと思われたが、1人だけしきりに頷いて何事かを書き記している者がいた。
幼い王、アルターである。
『さて、世界の次元階層について貴様らにもわかりやすく例えるとだ。綾子、貴様は紙の上に書いた絵を見ることは出来るな? だが紙の上つまり2次元の世界に存在する者たちは綾子ら3次元の存在を感知することは出来ん。1次元の世界つまり長さしかない世界の者が、幅というものを理解できんのと同じようにな。理屈はまったく変わらん。長さ、幅、奥行き、そして時間という次元に縛られたお前たちは「プラーナ周波数」というさらにもう一つの次元を感知できんし、説明したところで理解も出来ん』
理解も出来ん、と言いながらもアシュタロスの説明は続く。
菫は地球にいた頃から量子力学というものに強い興味を惹かれていた。世界は3次元空間と時間を咥えた4次元時空に加え、さらに7つの次元があるというものだ。
『貴様らも超弦理論くらいは理解しているだろう、世界は11次元の振動する微細な紐で出来ているという理論だな。……何だ、貴様ら知らんのか? 大魔道士を名乗る小娘、貴様は元いた国の最高学府で学んでいたのだろうが、まさか貴様も知らんのか?』
「し、知らないわよ、だって私量子力学とか勉強したことないし、物理だってニガテだったし、文学部だし……」
『……貴様、そのような怠惰な有り様でよく最高学府で学ぼうなどと思えたな。恥をしれ恥を。まぁ良かろう。肝要なのは、吾輩達4プラス1次元の存在は貴様ら3プラス1次元の世界を観測も感知も出来るし、複数存在するものを認知することが出来る。そしてこの世界は11次元で構成されているということは、吾輩たちをも上位から観測する者の存在の可能性を示唆している、ということだ。さぁ、流石に貴様らでもここまで説明すればいい加減に理解が……何だスミレ、最後まで説明せねばならんか?』
スミレはこくこくと繰り返し頷きながら、急かすようにアシュタロスのローブをぐいぐいと引っ張っている。
その場に居る菫とアシュタロス以外、誰も話を理解していないと、誰もがそう思っていた。
だがアシュタロスですら予想していなかった人物が、明らかな知性をもった目でアシュタロスを見上げていた。




