33 大捜索
シンカー王宮はにわかに騒がしくなっていた。
大僧正コーネリアスの姿が見えないという報告が上がったのは、その日の朝のこと。
いつもならば、大僧正は僧院に出てから王宮へ馬車で向かい、王宮内の国王執務室よりも高い階層に備えられた大僧正の個室に入るはずだ。が、この日は大僧正が僧院に現れなかった。
「どういうことなのですか? 大僧正がいらっしゃらないというのは、それはどういう――」
「わかりません! 権中僧正が何か事情をご存知なものとばかり……」
ネイオミら数人の僧たちの同様も大きかった。
王宮にやって来た僧たちは、すべてが『盾の派閥』の者だけだった。多数派となる剣の派閥の僧たちの姿がまったく見えないのだ。
「私たちまで動揺していてはいけません。私は陛下のお傍に参ります。この場で私の次に位階が高いものは……」
ネイオミは周囲に集まりつつあった僧たちを見渡した。
紫の法衣を纏ったのは自分ひとりだけ。集団の中から2人の尼僧が一歩歩み出た。彼女たちは緑色の法衣である。
「私は権大僧都、彼女は中僧都です。盾の派閥の中では、ネイオミ権中僧正が最上位で、私たちがその次かと」
「わかりました。では権大僧都、貴方が僧たちをまとめて、落ち着かせて下さい。通常通り、いつもの仕事につくように。いつもの持ち場で、誰がいて誰がいないのかをまとめて下さい。まとめたものは中僧都、貴方が私に報告を。万が一、剣の派閥の僧を見かけたら、彼らがどこに向かうのかを調べるのです。危険のない範囲で、良いですね?」
僧たちが静かに頷くと、集合していた僧たちは一斉に散り散りになる。
シンカー王国の中枢において、僧の存在は極めて大きい。
立法府のみならず行政府にも多く僧籍をもつ者が所属しており、民間における商業を除けば、シンカー王国は『僧が国を動かしている』と言っても過言ではないほどだ。
シンカー王国軍には法術を使う僧侶も多く、さらには武装した僧兵の数は騎士を上回るほどだ。シンカー僧院は、事実上国を動かす人材の総本山でもある。
その総本山に人っ子ひとりいない、という報せは、ネイオミの混乱をさらに深めていった。
「総本山に? 誰もいないのですか?」
「はい、あ、あの、本当にあの、総本山が、誰もいなくて、本当に誰も、1人も」
報告に来た若いドワーフ族の僧侶も動揺を隠せずに居る。
もぬけの殻になったのはシンカー僧院の総本山だけではない。王宮の中に詰めている官僚や、出入りをする商人や使用人たち、剣の派閥に所属している者たちの姿が見えなくなっていた。
「貴方は、無人になっている部屋がどれくらいあるかを確認してください。私は陛下がご無事かを確認してきます」
「わかりました!」
ネイオミは走り出した。
玉座の間は当然のように無人で、謁見の間も静まり返っている。王の執務室すら無人の状態である。
「陛下!」
ネイオミが最後に訪れたのは、使用人の部屋よりも狭く質素な王の寝室である。
幼い王は怯えたような顔をあげ、ネイオミに駆け寄って抱きついてきた。
「申し訳ございません陛下、ご不安でございましたね。お怪我はありませんでしたか?」
シンカー王アルターはネイオミに抱きついたまま小さく頷く。
声を失った幼い王は不安そうに手や脚を震わせており、ギリギリのところでパニックに陥らずに済んでいるという状況だ。
「権中僧正!」
若い層が廊下の向こうからネイオミを探す声が響く。
王宮内の混乱はますます広がっており、もはや政府機能停止の状態である。
この騒ぎが街に広がるのだけは防がなければならない。紫衣の尼僧は跪き、幼い王を正面から見つめる。
「陛下、剣の派閥が姿を消しました。王宮内は混乱に陥っております。私たち盾の派閥は、協力組織と混乱を収めるべく動きます。わたしは陛下とともにおりますので、どうか御心を強くお持ち下さい。よろしいですか?」
アルターは泣きそうな顔で頷く。
「さ、陛下、お早くこちらへ」
ネイオミは王の手を握ると、僧や下級官僚が右往左往する中を進んでいった。
「権中僧正!」
王宮の入口に近い大広間でネイオミを呼び止めたのは、初老の男だった。
「よかった、無事だったか。何の騒ぎだ」
「これは……百八龍の親分さん……?」
「僧院に誰もいなくなったって聞いてな。ついに剣の派閥のヤツらが動き出したかと思って王宮に来たらこの有り様だ、何があった?」
ネイオミの後ろに隠れるように、少年は白髪頭の初老の男から遠ざかる。
その様子をみてか、男のすぐ隣りにいた小柄な少年——のように見える髪の短い女が膝をついて優しく笑みを浮かべる。
「こんにちは、キミもお坊さん? 私たちは敵じゃないよ。大丈夫、安心してね。あ、そうだ、これゴルドベルク王都で人気の飴なんだけど、食べる? ってお坊さんって飴食べて良いんだっけ?」
「あ、あの……このお方はアルター陛下、我がシンカー王国の国王陛下であらせられます」
「へ?」
「綾子……」
初老の男、笹川浩二は『やれやれ』といった顔で頭を振った。




