29 百八龍
「おひけぇなすって」
突然、サブが手綱をひく馬車の前に、大柄なオーガ族の男が現れた。
足を開いて腰を落とし、手を差し出すような独特の所作で若い男が口にした言葉は、サブと綾子にはある意味馴染み深いもので、藍子にとっては『おじいちゃんが昔観てた、渡哲也とか菅原文太の映画で見かけたかもしれない』という程度に馴染み薄なものだ。
「そちら様は、リベルタドールのササガワアヤコ姐さンでいらっしゃいますか」
一行が呆気にとられる中、綾子がすっと馬車の御者台に歩み出る。
「こちらから発します、お控えなすって」
「いえいえ、当方下拙のものでござンす。お控えください。使い走りのつまらぬ者でござンす、どうかどうか、お控えください」
独特の挨拶の作法である。なかなか自己紹介が始まらない。綾子も何かを思い出しながらも、威厳ある女親分のような表情を崩さない。
「では、再三のお言葉に従いまして控えます。前後間違いありましたらご容赦ください」
「早速お控えくださりましてありがとうごぜェやす。ご同道の皆様がた、御免下さいまし。向かいましたるお上さンとはこの度初めてのお目通りでごぜェやす。手前、生国と発しまするはシンカー王国王都の外れグランデルベルグ。姓をサンチョス、名をホセ・ルイス・ロドリゲス、ひと呼ンで一ツ目のホセと申しやす。御賢察の通り、しがない若い、数ならぬ者でごぜェやす。後日に御見知りおかれ、万事万端御昵懇に願いやす」
ふぅ、とひとつ大きく深呼吸をして綾子が御者台から降り、男と同じように手を差し出す所作をする。
「御言葉御丁寧にありがとうございます。申し遅れまして高うございますが、御免を蒙ります。貴方さんとは初の貴見にございますが、自分はゴルドベルク王国はヨシュア陛下の子分、リベルタドールの笹川綾子という若輩者。こちらこそ行く末長く御昵懇に願います」
かなり独特の作法だが、これでお互いの自己紹介が済んだことになる。
また、この作法を知っているということは、お互いに相手が『自分と同じ世界に済んでいる者である』という事がわかる、一種の暗号のようなものだ。
「さて、挨拶も済んだことだし、ここから先は普通に話せる?」
「へェ、もちろンでさ」
オーガ族の男はにっと笑みを浮かべ、背筋をのばす。
「まさかこっちでこんな挨拶を受けることがあるなんてね」
「いやァ、あっしもまさか、ウチの親分に習った仁義ィ切って、教わった通りに返ってくるたぁ思いませンでしたぜ。お噂は聞いておりやした、笹川の親分さン。それに……そちらさンは拳王の兄貴じゃあありませンかい?」
「俺を知ってるのか」
「へェ、あっしら『百八龍』のモンにとっちゃ、リベルタドールの話は英雄譚でさァ」
オーガ族独特の訛で話す大柄な男、一ツ目のホセと名乗った男は、青く染められた装束を身に着けており、シンカー王国の者であることが見て取れる。
「私たちも有名になったものね。そちらの、百八龍の親分さんとは話は出来そうかしら」
「もちろンでさァ。あっしがここに来やしたのも、親分さん方をご案内するためでさ」
諜報員の男は綾子の隣に歩み出て、目深に被ったフードを取り払う。
「彼は、ホセ殿は百八龍での序列三位の幹部です。我々はシンカー王国に潜入して、最初に彼らへの接触を試みました。盾の派閥ともつながりが深い彼らを通じれば、国の中枢へのアクセスも容易になります」
「なるほど、流石ティベリウスさんの部下ね。頼りになるわ」
珍しく少しだけ笑みを浮かべた男は、フードを被り直した。
「あっしらァの親分も、心待ちしておりやした。どうぞどうぞ、こちらへ」
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サンチョス、一ツ目のホセが跨った馬に導かれて、馬車は王都から少し離れた待ちグランデンベルグという小さな街へ入る。
街は高く丈夫な柵で囲まれており、読ん箇所に設けられた出入り口には、屈強なオーガ族にドワーフ族の戦士と思しき男が守護神のように立っていた。王都の門番とはまったく違う緊張感である。
「こちらで。こちらに百八龍の首領、あっしらの親分がお待ちでござンす」
馬を止めて厩舎係と思しき若い少年に手綱を預けると、かなり丈夫そうな扉を強くノックする。
「一ツ目のホセだ! お客人をお連れした!」
すぐにドアが内側から開くと、ホセが振り返り、綾子達を招き入れる。
「ここは、普通にお邪魔して良いのかしら?」
「へぇ、もちろンで。さっきの仁義は、ある意味百八龍の味方か否かを見定めるための儀式みてぇなモンでして」
「なるほど。誰が考えたかは知らないけど、良い趣味してるわ」
「ありがとうございやす。さ、どうぞ中へ」
最初にサブが、続いて綾子、藍子と菫も続いて建物に入り、最後にアシュタロスも悠然と歩み居る。
広間のような部屋に入った瞬間、サブの動きが止まる。
続いた綾子は、立ち止まった壁のようなサブの背中にぶつかるが、綾子程度のサイズの身体がぶつかってもサブの巨体はびくともしない。
「ちょっとサブ、何やってんの。奥まで行きなさいよ、ぼさっと突っ立ってないで——」
サブの視線は広間の奥に座る男の顔に向けられていた。
「お……組長……?」
サブの巨体を押しのけるように部屋に入った綾子も、同じ方向をみて固まり、言葉を失った。




