20 つかの間の休息
大将軍エアリア・ダンタンの指導を受けるなか、ほんの一瞬魔力の制御を誤った大魔道士、中西藍子は激しい感電を起こし全身から煙を上げて倒れ込んだ。
全身をほんの僅かに痙攣させる藍子は、すでに呼吸も心臓も止まってしまっていた。
一般的な成人女性であれば迷わず目を背けるであろう光景を目の前にして、綾子は悠然と歩み寄る。
アイザック『うへェ』と声を上げるほど、『げし』と豪快な音を立てるほど強烈な踵蹴りを何のためらいもなく藍子の頭に入れた綾子は、悠然と踵を返し菫の下へと歩き始めた。
「……アレで治しッちまうってのがまた姐さンらしいって言いやすかねェ……まぁ治っちまうンだからしょうがねェですが」
「あ、あや、あ、あや、綾子、さん、い、いっ、いいっつも、あん、あんな、か、か、感じ」
「へぇ、あっしも存じてやす……あっしもエミリアの親分にブン殴られてアバラがへし折れた時も、姐さんに折れた場所をブン殴られて、こいつァ死ンだと思ったンですがねェ……いや不思議なモンでさ」
フラフラと立ち上がった藍子にエアリアが何事かを話すと、藍子は深々と頭を下げて、重い体を引きずるように菫達が休むベンチへと歩み寄ってきた。
どさ、とベンチに身体を投げ出して天を仰ぐ。
以前の藍子なら、こうなるはるか前に訓練場から逃げ出して酒を煽っていたことだろう。
が、今の彼女がエアリアの訓練を受け始めて、今日で4日目である。初日には綾子がほぼつきっきりでいないと『数分に1度のペースで、治療をしないと死ぬレベルの重傷を負う』という状態であった。
「ま、初日よりはマシになったんじゃない? 今日はまだ2回しか死んでないもの」
「す、す、す、すこ、少し、だ、だけ、けど、よく、良く、なって、なって、来てる、かも」
「…………あ、ありがとう……小川さん、あなた……よくこんな訓練に耐えられたわね……」
きょとんとした顔の菫は、だまって藍子に塩バタークッキーを差し出す。
「スミレちゃんに比べりゃ小西さんはまだマシじゃない? 私が治療してるし」
「中西よ……笹川さん、それわざと間違えてるワケじゃないの?」
「私、人の名前覚えるのニガテなのよねぇ。ほら、滅多に会わない人とかどーでも良い人とか、すぐ忘れちゃう」
今のところ藍子の名前を覚えていないのは、どちらかと言うと会う機会が少なかったから、ではあるが、後者の『どうでもいい』という要素があることは、綾子自身も否定しない。
「とりあえずアシュさんからも伝言よ。マシッツ村での埋葬は全部終わったって。教会のあった丘に全員埋葬して、ちゃんと弔いの儀式もしたそうよ。ティベリウスさんが葬儀の儀式をしてくれたらしいわ」
「そう……ありがとう。今度そのティベリウスさんにもお礼を言わないといけないわね」
「へェ、オジキも喜びやす。しかしまァ、あの小国のシンカー王国が何だってまた小さな漁村を攻めやがったンでしょうかねぇ」
「その辺についてはまだ情報無し。アシュさんの使い魔からの報告をまたないと、なんとも言えないわね」
「まぁ、サンサルバシオンにティベリウスのオジキが行ったッてなァ、その辺の調査にとっても良いハナシでしょうや。オジキは魔法研究の第一人者でもありやすからねェ」
「ふぅん、すごい人なのね」
エアリア・ダンタンの弟子であり、かつゴルドベルク王国大将軍である時点で紛れもなくすごい人なのだが、綾子にはその実感がまだない。
「なにせオジキは、一時期ゴルドベルク魔法大学で教授をされてたッてェお方なモンで、魔法の理論研究でも世界的に有名なお方なンでさァ」
「わ、わた、わた、わたし、私も、あの、あ、あっ、え、えと、あの、ティ、ティベリ、ウスさん、の、ろ、ろん、ろん、論文、よんだ、読んだ、こと、こ、こ事が、ある」
「へぇ、論文なんてあるの? っていうかスミレちゃん、論文読んで分かるの?」
こくり、と菫は小さく頷く。
「……アンタ大学生だったんでしょ? 論文とか読める?」
「私は文学部だったから……別にその、論文にふれる機会はなかったっていうか」
「読んでも分からない?」
「…………まぁ、そうだけど」
「よかった、私1人しかバカがいないかと思って心配したわ。私商業高校出てすぐ実家の組の手伝いしてたから、勉強とかあんましてないのよね」
綾子は決して頭が悪いわけではない。ただ、座学よりも実践、理論よりも実戦を重視するスタイルであったため、あまり理論武装をしたことがないだけだ。少なくとも綾子自身はそう考えている。
サブは時折綾子に『お嬢は考える前に身体が動くから、危なっかしくて時々見てられねぇ』と苦言を呈しているが、綾子の返事は決まって『そんな事ないわよ。私にだって考えくらいあるわ』というものだ。
もちろん、その考えを具体的に聞かれたところで、『ほら、それはあの、アレよ。こう、ぐわって来たらガシってやってこう、ダーンってやれば。ね?』と誰一人理解できない解説しか出来ないのだが。
綾子自身、自分が口より先に手が出るタイプである事自体は否定していない。
サンサルバシオンにおいては人語も解さぬ蛮族とされていたオーガ族のアイザックも、ティベリウスの魔法に関する論文や、戦史研究の書籍に目を通すこともある。おまけに、チェスの腕前については現在はサンサルバシオン王となっているバルザックに余裕で勝ち越すほどの腕前と知性の持ち主だ。
今、エアリア・ダンタンの周囲に集う者たちの中で最も野蛮なのは誰か、と問われたら、ダントツで綾子が選ばれるだろう。
だが、その事を指摘するようなデリカシーにかけた、サブのような男がこの場にいない事は、綾子にとって幸運なことだったかもしれない。




