19 掛け値無しの地獄の特訓
ぱぁん、という破裂音が広場に響いた。
休憩中で塩バタークッキーを頬張っていた菫が振り返ると、地面に尻餅をつき壁にもたれかかった状態で、全身にやけどを負っていた女が凄まじい勢いで回復していくのが見えた。
「ったく、世話が焼けるわねぇ。ほらさっさと立つ。『雷球』が出来るまでご飯抜きって言われたんでしょ」
大きく胸を反らせて息を吸い込み、激しく咳き込んだのは『大魔道士』として過酷な修行中の中西藍子である。
聖女の癒やしの奇跡、と名付けられた綾子の強烈な平手打ちで回復する直前、藍子は自分の魔法を制御できずに感電してしまい、大火傷を負って気を失ってしまっていた。
放置すればものの数時間で絶命するであろう重症だったが、たまたま菫に塩バタークッキーの差し入れを持ってきた綾子が『ほぉら言わんこっちゃない』とぼやきつつも、くすぶって煙を上げている藍子の襟首を掴んでビンタを入れたのだった。
一瞬で火傷も全快、感電によりズタズタになった神経ももとに戻ったことで息を吹き返した藍子にとって、『聖女の奇跡』を体験するのはもはや何度目かわからない。
最初の体験はマシッツの村で、左腕は肩の付け根から、左脚は膝の上からえぐり取られるように失うという大怪我を負いながらも、綾子の『癒やし』という名の平手打ちで全快している。そんな状況からも生還させる事が出来る綾子の業を持ってすれば、感電や火傷ごときかすり傷同然だ。
「どうすんの? この程度のかすり傷で泣き言言って諦める? アンタの『ママって呼ばれたい』気持ちはその程度なの?」
「ま……まだまだ!」
「その意気です。さぁ、もう一度。今度は集中を切らさないようにするのですよ」
エアリアの優しい声とは裏腹に、彼女の指導は文字通り地獄の特訓としか言いようのないものだ。
魔法において肝要となる、自分の体を流れる魔力の動きを悟らせるために、エアリアはなんと藍子の身体に電流を流したのだ。
失神をギリギリ免れる程度の、気絶すら出来ない電流で、藍子は嫌でも自分の体に流れている『エーテル脈路』を自覚させられた。初日から全身に感電による火傷を負ったものの、気絶を伴わない火傷など綾子にとっては『唾でもつけとけ』といったレベル。なんとデコピン一発で火傷は綺麗さっぱり無くなっていた。
訓練所の中央で歯を食いしばっている藍子をよそに、実に呑気に見物をしている綾子のすぐ背後に、重たい足音が近づいてきた。
「こいつァ姐さン、ご無沙汰で」
「あれ、アイザックさん? 久しぶりじゃない、どしたの?」
「いやぁ、そいつァあっしのセリフってヤツでさァ。あっしはエアリアの大親分に、ティベリウスのオジキからの伝言があって来やしたンで。スミレの嬢ちゃンも元気そうで」
「ん」
8つ目のクッキーを黙々と食べながら、スミレは巨漢のアイザックを見上げて小さく頷く。
綾子と菫にとって、この巨体のオーガ族の戦士アイザック・ボルドは馴染みの仲だ。
サブの妻、エミリア・ダンタン中将の部下で、綾子達にとってはエミリアと同じく最も付き合いが長い相手の1人である。
つい先日少将への昇進を果たしたアイザックは、将軍としてはまだ駆け出しの身ではあるものの堅実で手堅い仕事振りが認められ、ダンタン大将軍、ネストリウス大将軍と、軍の重鎮からの信頼も厚い。
「ティベリウスさんって、確かサンサルバシオンに行ってたんだっけ? 確か、何かの大使か公使かで」
「へェ。オジキはサンサルバシオンが冬を越せるようにするための食料支援、それにインフラ復興のための資金供与で陛下からの全権委任公使として現地に行っておりやす。いやぁ、エミリアの親分が行ったらまとまるハナシも拗れッちまうってなもンで、こういう政治のハナシならオジキが一番適任でさァ」
「そうなのね。ティベリウスさんとはあんまり話したことないけど、どんな人なのかな」
「や、やさ、や、や、優しい、ひと、お、おに、おにいさん、み、みたい」
菫にとってティベリウスは兄弟子である。
日本にいる母親や兄ともう会うことが出来ない菫にとっては、綾子が姉だとするならばエアリアは母、そしてティベリウスは兄のような存在と言える。
もっとも、ティベリウスは既に1000年を超える時間を生きる『エルダーエルフ』と呼ばれる存在だ。エルフ族の中でも上位種とされ、長老格のエアリアが『エンシェントエルフ』と呼ばれるのと同様、崇敬を集める身である。兄や母とするには歳があまりにも離れているが、菫は特に気にしていない。
「優しい人なんだ。氷の魔法使いって聞いたから、クールな人かと思ってたけど」
「へぇ、オジキは情に厚いってンで有名でやしてね。まぁその分、敵には容赦しねェのも有名っちゃ有名なンですが」
「ふぅん、でもまぁ、スミレちゃんに優しくしてくれる人なら何でも良いわ。その伝言って、私は聞かない方が良いんでしょ? 多分ほら、軍事機密とか? なんかそんな感じのヤツ? だったりするかもだし」
「へぇ……すいやせン姐さン、こればっかりはあっしにゃどうしようもねェことで」
「あぁ良いの良いの。その辺、私も全然気にしないから。もうすぐしたら休憩するっぽいし、その時に話して来たら? ……って何? また倒れた? あららら、煙出てるわ。ありゃ死んだかも知れないわね。ちょっと叩き起こしてくる」
こともなげにそう言うと、まるでコンビニにアイスを買いに行くような気楽な足取りで、うつ伏せのまま痙攣を繰り返す藍子に歩み寄ると、なんと面倒くさそうにかかとで頭を蹴り飛ばした。




