18 美しい先生
馬車が『がこん』とひときわ大きな音を立て、平らに整形された石畳の道路に乗り上げた。
遥か遠くに、ゴルドベルク王都の城壁が見え始める。
徐々に城門が見え始め、その城門の前にひときわ大柄な人物が立っているのが見えた。
その人影に気づいた綾子がサブから手綱をひったくると、ぱん、と小気味良い音をたてサブの背中を叩く。
「ほら、行ってあげなさいよ。新婚のおヨメさんの出迎えよ?」
まるで城門を守る守護神のように仁王立ちしていたのは、サブの妻エミリアであった。
サブは小走りにエミリアに駆け寄ると、人目も気にせずに抱擁を交わす。もちろん、この抱擁は常人が受けたら背骨が砕けてしまうほどの強力なものだ。
「……あ、あの人が、大河内さんの奥さん……?」
「そうよ。エミリア・ダンタン中将。軍の重鎮でサブと互角に殴りあえる、多分世界で一番殴り合いが強い人妻じゃないかしらね」
一行はエミリアの先導で王都へ入り、そのままヨシュア王への報告のため、簡素な城に足を踏み入れる。
相変わらず華美な装飾などはなく、だが品のいい美術品が数点置かれているだけの、一見質素な城である。が、その美術品の質の高さや建材の質などは、サンサルバシオンの城を遥かに凌駕する上質なものだ。
「さてと、大西さん」
「中西よ」
「あちらがゴルドベルク王国の国王、ヨシュア陛下よ」
藍子の指摘を華麗にスルーして、綾子が少年とも言えるほどの小柄な人物を紹介すると、藍子はぎこちないながらも跪き、ヨシュアに頭を下げた。
エミリアにサブ、それに綾子と菫も慣れた様子でヨシュアの前に跪く。
「どうぞ、楽になさってください。遠路お疲れ様でした。こちらの方が報告にあった生存者の方ですね」
ヨシュアの声は優しく穏やかなものだ。
「大変な事件でさぞ傷つかれたこととお察しします。亡くなられた村の皆さんにもお悔やみを申し上げます」
藍子にとっては信じられない言葉だった。
彼女が知る王とは、自分たちを召喚したアレキサンダー王に、ベルナデッタ女王である。
民衆をただの道具として見る、絵に描いたような傲慢な王しかしらない藍子にとって、超大国の頂点に位置する国王がこのような丁寧な言葉で語りかけるなど、想像することすら難しい。
「も、もったいないお言葉です……」
「聞けばお子さんを攫われたとか、さぞご心配でしょう。シンカー王国の動向については我が国の者も調査に動いています。お子さんの情報が入り次第、共有することをお約束します」
「あ、ああ……ありがとうございます! ありがとうございます!」
思わず藍子は土下座の姿勢になっていた。
毛足は短いが上質な絨毯に額をこすりつけるように頭を下げる。藍子の人生で生まれて初めて、純粋な他人への感謝で、自ら気づく前に頭を下げていた。
「それから、ご紹介しましょう」
ヨシュアが優しい声で侍従に合図をすると、静かにドアが開く。
その奥から現れたのは、白銀の長髪に褐色の肌、真紅の瞳をもつ絶世の美女だ。
「あ、せ、せん、先生」
「こんにちは、スミレ。それにそちらが報告にあった大魔道士ですね」
つややかな美しいアルトの声。
威厳と優しさに溢れ、気を抜いたら甘えてしまいそうなほどの雄大な母性すら感じさせるその声の主の姿をみて、彼女が人類最強の雷帝と呼ばれた豪傑であると想像できるものは少ないだろう。
「我がゴルドベルク軍の大将軍筆頭、エアリア・ダンタンです。そちらにいるエミリア・ダンタン中将の御母上でもありますね。それに今はスミレさんにも魔法の指導をしています」
優雅に礼をすると、エアリアはヨシュアの直ぐ側に歩み寄る。
同性で、しかも日本にいた頃は美人だミスコン確実だと持て囃されるほど外見に恵まれ、自分自身も美人であることを疑っていなかった藍子が、口を閉じることも忘れるほど見惚れて言葉を失うほどの美貌。
自分がミスコンで準優勝した事を鼻にかけていた事がこの上なく惨めったらしく感じられるほど、超えられない壁を感じる格差。
「中西藍子さん、でしたね? あなたは大魔道士の神託を受けておられて、今回エアリア大将軍の指導を希望しておられるとか」
「はい」
藍子の返事ははっきりと、迷いのないものだった。
「大将軍の指導はかなり厳しいものです。かくいう私も大将軍を師として魔法を学んでいますが、逃げ出したくなるような苛烈なものもあります。今回は賢者のスミレさんの紹介ということもあり、特例中の特例として許可を出しますが、途中で投げ出すことも辞めることも赦されません。引き返すなら、今が最後のチャンスです。どうなさいますか?」
「ご指導をお願いします! わたしは……私は、護らなければならない子供を守れなかった……あの子を取り戻したい、あの子をまた抱いて、またこの腕に抱いて! あの子にもう一度だけでいいから、一言だけで良いから『ママ』と呼ばれたいんです!」
懇願とも悲痛な叫びとも取れるような藍子の言葉に、エアリアはゆっくりと頷いて歩み寄る。
「あなたは確かに、素晴らしい天賦の才に恵まれています。ですがその才を花開かせるためには血の滲む努力を続けなければいけません。場合によっては死線を彷徨うこともあるでしょう。命を落とすかも知れません。それでも指導を受ける覚悟がおありですか? 覚悟がお有りなら、どうぞこの手をお取りなさい」
美しい褐色の肌の手が藍子の前に差し出される。
その手を取る藍子の表情にも動きにも、一切の迷いはなかった。エアリア・ダンタンにとって新たな弟子の誕生であった。




