17 大魔道士の目覚め
「ねぇ」
「何よ」
極めて短いやり取り。
綾子の不機嫌そうな声に、疲れ果てた声で藍子が応えた。
「アンタ本気で来るつもりなの?」
「好きにしろって言ったのはあなたでしょ」
サンサルバシオン王都へたどり着いた馬車は、マシッツの村長と中年の漁師を降ろして、そのままゴルドベルク王都を目指していた。
かなりムリをさせた御者は一度サンサルバシオン王都で降ろし、今御者席にはサブが座っている。
荷台には相変わらず無口な菫と、そしてなぜか不機嫌そうな綾子が並んで座り、まるで向かい合うように中西藍子が居心地悪そうに座っていた。
「私もゴルドベルクに連れて行って」
「行ってどうすんのよ。言っとくけど酒は出さないわよ」
「私はもう酒は絶ったわよ。もう死ぬまで口にしない。私も小川さんのように、魔法をちゃんと学び直したい」
「半端な覚悟しかないならやめとけば? どうせまた逃げ出すわよ」
「逃げ場なんてもうどこにもない。それに、私がどこで何をしようと気にしないっていったの、笹川さんでしょ」
ボロボロの修道服は流石にもうダメだ、ということで、サンサルバシオン王都で一度湯浴みをして身体を清めてから、粗末な服に着替えている。そのお陰であろうか、血と煤で汚れやつれきった姿から比べると別人のように見違える姿になった。
以前の、王城でわがまま放題に振る舞っていた娘と同一人物とは思えないほど、覚悟を決めた女の顔をしている。
「まぁ確かに、好きにしろとは言ったけどさぁ……」
「あ、ああ、あや、あやこ、さん、おね、おね、おね、お願い」
むすっとした、どこか困ったような綾子の服の袖を、すぐ隣りに座る菫がきゅっと握る。
綾子は菫のこの仕草に弱かった。
元ヤクザという職業からは想像することは難しいが、綾子は可愛いものには目がない。特に美少女美少年に対しては庇護欲を刺激されるのか、『可愛い』『守ってあげなきゃ』『よしよししてあげたい』と、一歩間違えば允恭のような欲求を抱いてしまう。
「あぁもう……スミレちゃん、分かってやってるでしょ? それやったら私が何でも聞いちゃうって」
菫は変わらずに、懇願するような視線で綾子を見上げる。
「お嬢、まぁ菫もこう言ってることだし、良いんじゃねぇですか」
御者席のサブが久しぶりに口を開いてでたセリフがこれだ。
「なによサブ、アンタまで」
「攫われたのがあのド外道の子とはいえ、ガキに罪はねぇ。となりゃ『リベルタドール』としちゃあ放っておけねぇ」
「あや、あやこ、さん、お、お、おね、おね、お願い、なん、なんでも、何でも、する、から」
ぎゅっと袖を握る菫の手に力がこもる。
じっと自分を見つめる、可愛い可愛い妹同然の菫の頬と髪を優しく撫でて、藍子に投げかける遠慮もデリカシーも何も無い言葉とはまったく違う、優しい姉のような声で語りかける。
「スミレちゃん、女の子が軽々しく『何でもする』なんて、絶対言っちゃダメ。良い? それだけは約束して。ね?」
こくり、と菫が頷いたのをみとめると、綾子はやたらと長いため息を吐いて、やはり菫に向ける優しい視線とはまったくちがう、睨みつけるような目を藍子に向けた。
「スミレちゃんに感謝しなさいよ。本来ならね、スミレちゃんの先生は気軽に『魔法教えて』なんて言えない相手なのよ。それから、教えを請うならちゃんとスジは通しなさい。アンタが途中で逃げ出したり投げ出したりしたら、仲立ちしたスミレちゃんにも迷惑がかかる。そうなったらスミレちゃんが許しても私が赦さない」
「わかってる」
ゴルドベルクへ向かう馬車の中で、藍子は膝をつき、床板に額を打ち付けるように頭をさげた。下げた相手は、なんと最年少の菫である。
菫の師となっている人類最強の雷帝、エアリア・ダンタンの名は、藍子も知っていた。
子供の寝物語に語られる英雄譚の主人公で、その手に持つ雷神剣は、一太刀で山をも真っ二つに斬るとすら言われている。絶世の美女で剣と魔法を極めた大英雄、その名は何度と無く藍子の指導役を勤めていたアイリーンからも聞いていた。
その指導は極めて厳しく、弟子入りを志願するものは多いが、指導について来られるものは一握りの中の一つまみもいないという。菫はその雷帝の指導を、乾いた砂が水を吸い込むように吸収しつづけており、雷撃の魔法に関してはすでにエアリアからもお墨付きをもらう程になっている。
「学んでみせる。今度こそ」
藍子の表情は、おそらく日本で美人女子大生として持て囃され、ちやほやされていたときとはまったく別人のように見えたであろう。
「もう絶対に、投げ出したりしない。逃げたりしない。私はリズと……リサを産んだ子やシスターとも約束したのよ。私があの子を守ってみせるって」
悲壮な決意を固めている藍子の直ぐ側で、綾子はわざとらしくため息をついて見せる。
「攫われた子って言っても、あんたが産んだ子じゃないんでしょ。あのド変態ハゲの子よ」
「だから何? 子供に罪はないでしょ。それに……それにあの子は、あの子はついこの前初めて喋ったばかりなのよ。私を見て、私の指を握って『まま』って、そう言ったのよ。本当の母親の顔も覚えてない、父親もいない、そんな子が、私のことをママって言ったのよ! あの子は私の子よ! 私が産んでなくったって、それが何よ! あの子が私をママって呼ぶ限り、私はあの子の母親よ!」
「わかったから落ち着きなさい。大声出しゃ相手がビビると思わないことね。ったく……ま、今のアンタ、良い顔してたわよ。腹ぁ括ったみたいで安心したわ」
つい先程のため息とは明らかに違う、本当に安心したようなため息をついて、綾子は再び馬車の外へと視線を戻す。
帰るべき王都パンゲアまで、あと半日の距離と迫っていた。




