14 聖女の癒し
馬車を降りた3人の眼の前に広がっていた光景は、どう控えめに表現しても惨劇、適切な表現を選ぶならば地獄という言葉しか当てはまらないものだった。
放火され焼き尽くされた挙げ句、いまだあちこちで火がくすぶる臭いが漂ってくる。
人の身体が焼ける異臭に、血と臓物と糞便の臭い。
うめき声ひとつ聞こえず、眼の前に広がる修羅場の光景に、生きているであろう人影は見当たらない。
『我が主、スミレよ』
不意に3人の背後から不健康そうな男の声。振り返るまでもなく、スミレが召喚した大悪魔アシュタロスである。
『吾輩は3日前にこの地にたどり着いたが、生存者は3人だ。他は全員死んでいる。全員が焼かれるか刺されるか斬られるかで殺されている』
極めて残酷な報告に顔色を変えるものは誰ひとりいなかった。
菫は表情ひとつ変えずに惨状をじっと観察し、サブは周囲への警戒を怠らない。
綾子は一度だけ深呼吸をすると、戦場の悪臭に顔をしかめて歩き出す。
「生存者はどこ?」
『あの丘の上の教会跡だ。幸か不幸か、あの大魔道士を名乗っていた小娘も生き延びていたぞ』
「そう」
極めて冷淡にそう短く答えてから、焼け残って崩れかけた教会跡へと足を踏み入れる。
苦痛にうめき声をあげる老人と、中年の漁師と思しき男は全身に大火傷を負い、ヒューヒューと耳障りな呼吸音を立てて息をしているが、意識は無いようだ。そして粗末な修道服を着た女は左足と左腕を失い、土気色の顔でブツブツとなにかを呟いている。
「時間はないわね」
そう一言呟いてから、綾子は修道服の女の頬を思い切り平手打ちした。
ぱぁん、という音が石壁に反射して妙な残響を残す。
「い……」
煤で顔も手も汚れたまま、中西藍子は唐突に身体を起こす。
「いったぁい!?」
「あら、起きたわね。生きてるなら上等、とりあえず寝てなさい。じゃ次はこのおっさんね」
続いて綾子は全身大火傷の男の、辛うじて焼けただれていない胸のあたりを殴りつけ、唖然とする老人には仁王立ちで見下ろして冷たい声を掛ける。
「さ、アンタで最後ね」
「な、あ、あの、あなたは」
「喋ってると舌ァ噛むわよ。さぁ! 両手を腰の後ろで組んで歯ァ食いしばれ!」
「ひ、ひぃ?」
すぱん、と文字通り目が覚めるような破裂音。
マシッツ村の村長を務める老人は、肺挫傷に肋骨も数本骨折、両腕の骨にはヒビが入り、脚には大火傷を負っていた。
中年の男は全身の8割の皮膚が第3度火傷を負っており、適切な処置をしても命が助かるかは絶望的としかいいようがない状況。藍子に至っては、出血多量によるショック状態で、花畑と大きな河の幻覚を見ていたところを、綾子のビンタで叩き起こされた。
「アシュさん、この48時間以内に死んだのは?」
『いない。この3人以外は全員、3日前の襲撃で命を落としている』
「そう、じゃ蘇生はムリね」
失ったはずの左腕と左足が何故か元通りになっている藍子は、崩れかけた教会のドアにより掛かるように立ち上がる。
呆然として見下ろした村の光景は、出来ることならば信じたくない、もし許されるものなら酒を煽って全てを忘れてしまいたいと思える惨状だった。
「うげっ」
教会跡のボロボロの床に盛大に胃液をぶち撒けて、藍子は倒れ込む寸前で持ちこたえた。
老シスターは、もはやそれがかつて人間だったとは信じたくない姿で、ほぼ炭と化していた。
たまたま3日前、藍子が魔法で氷漬けにした魚を仕入れに来た商人の若い男は、数えるのも嫌になるほどの矢が全身に刺さり壁に縫い付けられていた。
「さてと……何があったのか、喋れる?」
綾子は極めて冷静に、感情を交えない話し方で3人に向かって口を開いた。
村長は俯いたまま、まるで呟くような声で話し始める。
3日前、青く染められた服を纏った男を見たという漁師が、警戒のためにモリを取り出していたときだ。
空を覆い尽くさんばかりの火矢が村を襲った。
雨のような火矢と投槍から逃れた村人達は逃げ惑う。が、村の木造の建物や木製の船は燃え上がって逃げ道を塞いでいた。
そこに青い衣服を纏った男たちが剣を振るって襲いかかってくる。
あるものは斬られ、あるものは刺され、子供だけは助けてくれと命乞いをするものも、子供もろとも命を奪われた。
ただ1人、教会で藍子が守り育てていたリズの忘れ形見だけは、1人緑色の法衣のような装束の男が雑に抱えあげて連れ去っていった。
緑色の法衣の男は、必死で食い下がる藍子に見たこともない魔法を放ち、左腕と左足をえぐり取るように消し去った。
「あの男……確か周りの奴らがアーロンとか、あじゃり……とか言っていたけれど……」
藍子は村長の言葉に続けて、まるで血でも吐くように言葉を続けた。
「あの子を……リサを抱えて『道標だ』って、そう言って攫っていったわ……」
ぎり、という歯ぎしり音につづいて、藍子の口から嗚咽の声が漏れる。
瓦礫を掴み上げて、木製の椅子の残骸に叩きつけようとしたが、思い直したのかその手をゆっくりと降ろした。
嗚咽は慟哭と言えるほどに大きくなる。菫は眉をひそめて藍子を見ていたが、綾子はまったく表情を変えなかった。
「泣きたきゃ泣きゃ良いわ。アンタがメソメソしてる間に、その子が殺されるかもしれないけどね」
「……あなた、どうしてそんなに冷たいままでいられるのよ……人が死んだのよ! 大勢、みんな殺されたのよ! 子供も攫われたのよ! それなのになんでそんな平然としてられるのよ! あなた鉄か何かで出来てるの!?」
藍子の言葉が終わるのを待っていたのか、綾子は小さな拳を握りしめて、藍子の顔面に全体重を載せて叩き込んだ。
小柄な綾子の拳とは言え、全体重を叩き込めるように術技立てられた殴り方だ。藍子は身体ごと吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
「気が済んだ? 私は済んだわ。とりあえずのんびり四の五の言うのは後ね。サブとアシュさんは、この付近で死後2日以内の人がいないか探して。スミレちゃんは3人と一緒に馬車に。私は村の中で蘇生できそうな人がいないか探すわ」
どこまでも冷静で、冷徹な綾子の声が少しだけ震えていることに気づいたのは、サブと菫の二人だけだった。




