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第九十二章 王妃の決意

王妃が王国へ戻ってからしばらくは、何事もなく穏やかな日々が過ぎていった。


神宝は王家の宝物庫、その最奥へと運び込まれる。


幾つもの宝物が眠る広間を抜けた先には、歴代の王家が大切な宝を納めてきた小さな石室があった。


王妃は神宝を中央の宝箱へ静かに納めると、しばらくその蓋へ手を添えたまま目を閉じる。


「……これだけでは足りません。」


王妃は静かに振り返った。


「この部屋へ、鍵を増やしてください。」


「鍵を……ですか?」


兵士たちが顔を見合わせる。


「ええ。」


「一つでも多く。」


「誰にも簡単には開けられないように。」


王は少し驚いたような表情を見せたが、やがて静かに頷いた。


「分かった。」


その日から、石室の扉には次々と新しい錠前が取り付けられていく。


一つ。


二つ。


三つ。


そして最後には、何重もの南京錠が扉を固く閉ざしていた。


王妃は最後の錠へ自ら鍵を掛ける。


カチリ、と乾いた音が宝物庫へ響いた。


「これで安心ですね。」


王妃がほっと息をつくと、王も静かに頷く。


「ああ。ここまで厳重なら、誰も容易には辿り着けまい。」


閉ざされた石扉を見つめながら、王妃はようやく肩の荷が下りたように胸を撫で下ろした。



それからの日々は、穏やかだった。


春風に揺れる花々を追いかけるように、幼いルミナリアは今日も王妃の後ろをちょこちょこと付いて歩く。


「お母様!」


「見て見て!」


白い花で編んだ小さな花冠が、猫耳の間へちょこんと乗せられている。


王妃は思わず吹き出した。


「あら、とっても可愛い。」


「えへへ!」


嬉しそうに笑う娘を抱き寄せ、柔らかな髪を優しく撫でる。


花冠からは、摘みたての花の甘い香りがふわりと漂った。


「ルミナリア。」


「はい!」


「あなたは、たくさんの妖に愛される子になってね。」


「うん!」


幼い娘は意味も分からないまま、元気よく頷く。


その無邪気な笑顔を見つめる王妃の瞳は、とても優しかった。


遠くでは噴水の水音が響き、小鳥たちが楽しそうにさえずっている。


王城には、穏やかな時間が流れていた。


――この時間が、ずっと続けばいい。


王妃は心から、そう願っていた。


だが、その願いは叶わなかった。


ある夜。


静まり返った城内へ、けたたましい警鐘が鳴り響く。


ゴォン――


ゴォン――


重い鐘の音が夜空を震わせ、眠っていた侍女たちが慌ただしく部屋を飛び出していく。


「敵襲!」


「侵入者だ!」


兵士たちの怒号が城中へ広がった。


王妃が部屋の扉を開けると、一人の兵士が血相を変えて駆け込んでくる。


「王妃様!」


肩で息をしながら叫ぶ。


「宝物庫です!」


「何者かが宝物庫へ侵入しました!」


その言葉を聞いた瞬間、王妃は迷うことなく駆け出した。


長い石造りの回廊を走る。


壁に並ぶ燭台の炎が揺れ、足音が夜の城へ高く響いた。


角を曲がった先で、王と合流する。


王はすでに剣を抜いていた。


「無事か!」


「ええ!」


二人は並んで宝物庫へ向かう。


重い石扉を開けると、王妃は迷うことなく最奥へ駆ける。


宝物庫の奥。


幾つもの宝が並ぶその先には、小さな石室へ続く扉があった。


扉には何重もの南京錠が掛けられている。


王妃は一つひとつ確かめるように錠へ触れた。


どれも壊されてはいない。


最後の錠へそっと手を添え、小さく安堵の息を漏らす。


「……まだ無事です。」


その言葉を聞き、王も胸を撫で下ろした。


神宝は、この扉の向こうにある。


王妃は扉の前へ静かに立つと、まるでその身で守るように両手を重ねた。


「王妃。」


「ここは危険です。」


王が声を掛けても、王妃は首を横へ振る。


「ここを通すわけにはいきません。」


その瞳には、一片の迷いもなかった。


その時だった。


ズンッ――!


腹の底まで響く衝撃が宝物庫全体を揺らした。


天井から細かな砂埃が降り注ぎ、入口の重い石扉へ蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


兵士たちが一斉に武器を構えた。


「来ます!」


次の瞬間。


轟音とともに入口の石扉が砕け散り、大量の瓦礫が宝物庫へ雪崩れ込む。


舞い上がる土煙。


白く霞んだ視界の奥から、一人の男がゆっくりと歩みを進めてきた。


白い鬼神面。


その奥で静かに燃える、二つの赤い瞳。


誰もが息を呑む。


王は剣を構え、王妃の前へ一歩踏み出した。


鬼神面の男は二人を一瞥すると、その視線は真っ直ぐ王妃の背後――何重もの南京錠で閉ざされた石室の扉へ向けられる。


低く冷たい声が、静まり返った宝物庫へ響いた。


「……その奥だな。」


男はゆっくりと一歩踏み出す。


「渡せ。」

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