第八十三章 なりたい自分になる勇気
「俺の未来を、コハクが変えてくれ。」
花火の音が、遠くなった気がした。
赤。
青。
金。
色とりどりの光が夜空へ咲いては消え、そのたびに二人の顔を淡く照らしていく。
その下で。
ユウトの右手だけが、真っ直ぐ自分へ伸びていた。
「……。」
コハクが、息を止める。
差し出された手を見る。
その先にいる、ユウトを見る。
助かりたい。
屋台を回って、ご飯を食べて、みんなで笑いたい。
夜空へ咲く花火を、もっと一緒に見ていたい。
その願いだけが、胸の奥で何度も何度も繰り返される。
でも。
未来は変わらない。
そう思っていた。
そう、思い込んでいた。
「……。」
指先が、小さく震える。
初夏の夜風が吹き抜け、浴衣の袖がかすかに揺れた。
遠くから聞こえる祭囃子。
甘いりんご飴の匂い。
楽しそうな笑い声。
さっきまで、自分もその中にいた。
胸の奥が、きゅっと痛む。
――まだ。
まだ、終わりたくない。
もっと。
みんなと一緒にいたい。
その願いが、胸の奥から溢れてくる。
ゆっくりと。
震える手を持ち上げる。
怖い。
もし、また同じ未来になったら。
もし、手を取って。
本当に死んでしまったら。
それでも。
なりたい。
未来を諦める自分じゃなくて。
友達と笑っていたい、自分に。
ぎゅっ。
小さな手が。
ユウトの手を、強く掴んだ。
「……!」
ユウトの目が、大きく見開かれる。
コハクが、涙を滲ませながら小さく笑った。
「……うん。」
初めて。
自分で、選んだ。
「行くぞ!!」
ぐいっ!!
ユウトが、力いっぱい手を引く。
二人が駆け出す。
しかし。
「……っ。」
コハクの足が、もつれる。
長い浴衣の裾が絡み、思うように走れない。
「ユウト……!」
その時。
ごうっ――!!
背後から、熱風が吹き抜けた。
「危ない……!!」
コハクが、はっと振り返る。
燃え上がる柱。
火の粉を撒き散らしながら、すぐ後ろまで迫っていた。
「後ろ……!」
「柱が……!!!!!!」
「……っ!?」
ユウトも振り返る。
近い。
近すぎる。
間に合わない。
一瞬。
そう思った。
「……っ!!!!」
次の瞬間。
ぐいっ。
コハクの体を、勢いよく抱き上げる。
「ユウっ……!?」
軽かった。
驚いた顔が、すぐ目の前にある。
でも。
そんなことを考えている余裕はない。
「死ねるかぁぁぁぁ!!!!!」
叫びながら。
ユウトは、全力で地面を蹴った。
どぉぉぉん――!!
背後で、大輪の花火が咲く。
それと、ほぼ同時だった。
めきっ。
ばきばきっ!!
柱が、轟音と共に倒れ落ちる。
火の粉が舞う。
煙が上がる。
赤い光が夜へ滲み、社の屋根が音を立てて崩れ落ちた。
「うわっ!?」
勢いのまま、ユウトが前へ倒れ込む。
「きゃっ……!」
どさっ。
草の上を転がり、腕の中へ小さな体温が飛び込んできた。
気づけば。
ユウトはコハクを抱き込むように覆いかぶさり、そのまま動きを止めていた。
「……。」
「……。」
静かだった。
耳へ届くのは、自分たちの荒い息だけ。
生きている。
二人とも。
無事だった。
コハクの金色の瞳が、ゆっくり瞬く。
そして。
ぽろっ。
涙が、一粒零れた。
「……変わった……?」
震える声だった。
もう一粒。
ぽろり、と涙が落ちる。
未来は見た。
炎も。
崩れる社も。
全部、確かに見た。
でも。
誰も死ななかった。
見えた未来、そのままじゃなかった。
「……変わった。」
小さく呟く。
「未来が……変わった……。」
肩が、小さく震える。
涙が、止まらなかった。
その時だった。
「ユウトーー!!」
「コハクーー!!」
ばたばたと足音が近づいてくる。
ルゥたちだった。
そして。
全員。
「……。」
「……。」
「……。」
地面。
覆いかぶさるユウト。
その下。
涙目のコハク。
数秒。
ニャオミーの顔が、みるみる赤くなった。
「え……。」
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
ばっ!!
「た、たぬぷぅちゃん!!」
慌てて、たぬぷぅの目を両手で覆う。
「みちゃダメーーー!!」
「……?」
「少女漫画で見たことあるーーー!!!」
「たぶんこれ、たぬぷぅちゃんはまだ見ちゃダメなやつーーー!!!」
「……???」
たぬぷぅだけが、きょとんとしている。
「なぁにを勘違いしておる!!!」
なぜかルゥがキレた。
「いや、勘違いだから!」
ユウトが慌てる。
「そ、そうよ!」
コハクも顔を真っ赤にした。
「私たち、そんな仲じゃ……!」
「なら。」
ルゥの金色の瞳が、ぎろりと光る。
「いつまでその体勢でおるんじゃ、アホどもが。」
「……。」
「……。」
今の体勢に気づく。
数秒。
「「……あ。」」
「アホどもがぁぁぁぁぁ!!!!」
ぼっ。
ルゥが火を噴いた。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
二人が慌てて飛び退く。
コハクが、ささっと数歩離れる。
耳まで真っ赤だった。
その時。
「おーい!」
里の妖たちが駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「怪我はないか!?」
燃えかけた屋台からは、まだ白い煙が細く上がっていた。
幸い、火はすぐ消し止められたらしい。
怪我人もいない。
安堵したような声が、あちこちから聞こえてくる。
「よかった……。」
ニャオミーが、へなへなと座り込む。
「……うむ。」
ルゥも、小さく息を吐いた。
コハクだけが、呆然と夜空を見上げていた。
夜空では、最後の花火が静かに咲いている。
赤い光が、涙の残る金色の瞳へ映り込んだ。
未来は。
変わった。
そっと。
自分の手を見る。
さっきまで、ユウトと繋いでいた手。
その指先を、ぎゅっと握る。
手のひらには、まだユウトの温もりが残っていた。
そして。
ほんの少しだけ。
口元が、柔らかく緩んだ。
その時だった。
「……ん?」
ユウトが、ふと顔を上げる。
少し離れた場所。
焼け焦げた地面の向こう。
何かが、淡く光っていた。
月明かりの下。
それは、小さな欠片のように、きらりと輝いていた。
「……なんだ、あれ。」




