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第七十九章 コハクの視る未来

夕暮れ。

 


提灯へ明かりが灯る頃には、九尾の里はすっかりお祭りの空気に包まれていた。


 


通りの両側へ並んだ屋台からは、甘い蜜の香りや香ばしい匂いが漂い、笛や太鼓の音が初夏の夜へ溶けていく。


 


「わぁ……!」


 


ニャオミーが、目を輝かせる。


 


「夜のお祭りって、楽しい!」


 


「……おだんご。」


 


たぬぷぅは、すでに妖蜜みたらし団子の屋台を見ていた。


 


「ブレないな……。」


 


ユウトが苦笑する。


 


「さて、みんなは何食べる?」


 


「全部!」


 


ニャオミーが即答した。


 


「いや、全部は無理だろ。」


 


「……がんばれば。」


 


「ニャオミーも、食いしん坊キャラになってきたな。」


 


「……?」


 


本人に自覚はなかった。


 


『妖蜜みたらし団子』


 


『風羽魚の串焼き』


 


『雲綿あめ』


 


『星飴』


 


屋台を回るだけでも楽しい。


 


妖蜜みたらし団子には、とろりと金色の蜜がたっぷりとかかっている。


 


風羽魚の串焼きは、青銀色の皮をじゅうじゅうと焼き上げていて、香ばしい匂いが食欲を誘った。


 


雲綿あめは、本物の雲をちぎってきたみたいにふわふわだ。


 


「かわいい……!」


 


ニャオミーが、星飴の瓶を覗き込む。


 


瓶の中では、小さな星の形をした飴が宝石みたいにきらきら輝いていた。


 


「……。」


 


隣では。


 


たぬぷぅが、じぃぃぃ……。


 


完全に妖蜜みたらし団子を見つめている。


 


「……たべたい。」


 


「買おうか。」


 


ユウトが言うと、


 


「……!」


 


耳が、ぴこんっと揺れる。


 


「……ほんと?」


 


「そんなに嬉しそうな顔する?」


 


「……する。」


 


しばらくすると、全員の手にはそれぞれ屋台のご飯があった。


 


ニャオミーは、雲綿あめ。


 


ルゥは、風羽魚の串焼き。


 


たぬぷぅは、もちろん妖怪蜜みらたし団子。


 


コハクは、小さな包みに入った星飴を持っている。


  


「つぎは、あれじゃ!」


 


ルゥがびしっと指を差す。



『射的』



多くの妖達で賑わう店の棚には、小さな狐の人形や鈴、色とりどりの飴がずらりと並んでいる。


  


「やるの?」


 


「当然じゃ!」


 


ルゥが、ふんすっと胸を張る。


 


「夏祭りといえば射的!」


 


「金魚すくいと並ぶ、祭りの二大決戦なのじゃ!」


 


「そんな熱い競技だったんだ……。」


 


ユウトが苦笑する。


 


ルゥは、すでに真剣な顔で木の銃を構えていた。


 


かこん。


 


かすっ。


 


ころころ……。


 


玉が棚へ当たり、景品へかすりもしないまま転がっていく。


 


「あっ。」


 


ルゥが固まった。


 


提灯の橙色の光の中で、棚の景品たちは一つも動いていない。


 


「……。」


 


「……。」


 


「……。」


 


ルゥが、ぎぎぎ……とゆっくり振り返る。


 


「今のは、調整じゃ。」


 


「まだ一回目じゃ。」


 


「もう五回目だけど。」


 

 


「……まだ、本気ではない。」


 


真顔だった。


 


✧ ✧ ✧


 


数分後。


 


かこん。


 


ころん。


 


「あっ。」


 


また外れた。


 


景品は、相変わらずびくともしない。


 


「……。」


 


「……。」


 


「……。」


 


ルゥが、ぷるぷると震え始める。


 


「おかしいのじゃ……。」


 


「なぜじゃ……。」


 


「一つも取れぬ……。」


 


完全に意地になっていた。


 


「あははっ!」


 


ニャオミーが、とうとう吹き出した。


 


「ルゥ、さっきから全然当たってない!」


 


「笑うでない!」


 


「次こそ取れるのじゃ!」


 


ぱんっ。


 


また玉を撃つ。


 


かこん。


 


「あっ。」


 


しん。


 


屋台のおじさんまで、なんとも言えない顔になっていた。


 


「……子どもじゃん。」


 


ユウトが、ぽつりと呟く。


 


「子どもではない!」


 


ルゥが、ばっと振り返る。


 


「龍神じゃ!!」


 


「じゃあ龍神、そろそろ諦めたら?」


 


「諦めぬ!!」


 


ふんすっ。


 


胸を張る。


 


「明日は絶対に取る!!」


 


「二日間ある前提で戦ってる……。」


 


どっ、と笑い声が上がった。


 


提灯が夜風に揺れ、笛の音が遠くから聞こえてくる。


 


通りを行き交う妖たちも、射的へ本気で悔しがっているルゥを見て、くすくすと笑っていた。


 


その真ん中で、白い浴衣姿の龍神が頬を膨らませながら木の銃を握りしめている。


 


なんだか、おかしかった。


 


「……。」


 


コハクは、その光景を静かに見つめる。


 


笑い声。


 


提灯の明かり。


 


甘い蜜の匂い。


 


初夏の夜風。


 


屋台を回る妖たちの楽しそうな顔。


 


昔、遠くから眺めることしかできなかった景色が、今は手を伸ばせば届く場所にある。


 


しかも、自分はもう一人じゃない。


 


提灯の灯りが、夜風に揺れる。


 


明日は。


 


ちゃんと笑おう。


 


花火も。


 


お祭りも。


 


苦手だけど、逃げないでみよう。


 


今年は、みんなと一緒に楽しみたい。



昔憧れていた景色が、今は目の前へ広がっている。


 


「コハク?」


 


ユウトが、不思議そうに顔を覗き込む。


 


「ん?」


 


「なんか、笑った。」


 


「……何それ。」


 


くすり。


 


今度こそ、自然に笑みが零れた。




「明日は花火ね。」



「とっとおきの穴場があるの。」


 


その顔を見て、ユウトも少しだけ安心したように笑う。


 


提灯の灯りが、夜風に揺れていた。


 


明日も、きっと綺麗な月が見える。


 


その時のコハクは、まだそう信じていた。


 


✧ ✧ ✧


 


夜。


 


お婆ちゃんの家は、すっかり静かになっていた。


 


窓の外では、虫の声だけが小さく響いている。


 


月明かりが障子を淡く照らし、部屋の中へ白い光を落としていた。


 


「……すぅ。」


 


「……ん……。」


 


みんなの寝息が聞こえる。


 


ニャオミーは、布団を抱きしめながら幸せそうな顔で眠っていた。


 


たぬぷぅは、ころん、と横を向いている。


 


ルゥに至っては、なぜか少し口が開いていた。


 


コハクだけが、静かに目を開けていた。


 


「……。」


 


眠れなかった。


 


今日一日。


 


みんなが楽しそうにしている姿を見ていた。


 


浴衣。


 


屋台。


 


花火。


 


苦手なものばかりだった。


 


それでも。


 


今年は、頑張ろうと思った。


 


昔とは違う。


 


今の自分には、友達がいる。


 


だから。


 


明日は、ちゃんと笑いたかった。


 


「……。」


 


コハクは、そっと布団から起き上がる。


 


そして、部屋の隅へ置かれた手のひらほどの水晶に手を当て、ゆっくりと覗き込んだ。


 


淡い月明かりを受けて、水晶の表面が静かに輝く。


 


「……お願い。」


 


小さな声が、静かな部屋へ溶けていく。


 


「明日だけ。」


 


「明日だけ……。」


 


きゅっと目を閉じる。


 


「何も起きませんように……。」


 


そして。


 


水晶が、淡く光り始めた。


 


「……っ。」


 


コハクが、息を呑む。


 


映る。


 


夜。


 


満月。


 


夜空へ、大きな花火が咲いていた。


 


赤。


 


青。


 


金。


 


次々に広がる光が、九尾の里を鮮やかに照らしていく。


 


――綺麗。


 


そう思った、次の瞬間だった。


 


ごうっ。


 


熱風が吹き抜ける。


 


炎。


 


火の粉。


 


誰かの悲鳴。


 


どこかで建物が崩れる音がした。


 


煙が立ち込め、視界が黒く染まっていく。


 


そして。


 


見えた。


 


倒れている、自分。


 


浴衣が、赤く染まっている。


 


その隣には――。


 


血を流して横たわる、ユウト。


 


「――っ。」


 


からん。


 


水晶が、手から滑り落ちた。


 


月明かりの中で、ころころと小さく転がる。




「なんで……?」


 


コハクは、ただ呆然と、それを見つめていた。

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