第六十一章 守る為に射る弓
――グルァアアアアッ!!
妖鹿が咆哮した。
角が地面へ叩きつけられ、どごぉっ!!と大きな音が響く。
土が舞い上がり、黒い靄がさらに濃くなっていった。
「まずい!」
ルゥが叫ぶ。
「あやつ、もう限界じゃ!」
妖鹿は苦しそうに頭を振り、再び吠えた。
――グルァアアアッ!!
その姿を見て、ユウトは拳を握る。
「……俺が癒す。」
一歩、前へ出る。
だが、妖鹿が暴れるたびに木々が揺れ、近づくことすらできない。
あと少し。
あと少しなのに。
どごぉっ!!
角が目の前を薙いだ。
「うわっ!」
ユウトは慌てて身を引く。
冷や汗が頬を伝った。
これじゃ、触れない。
触れなきゃ……癒せない。
その時だった。
「……ユウト。」
小さな声がした。
振り向くと、たぬぷぅが不安そうな顔でこちらを見ている。
涙で濡れた瞳が、かすかに揺れていた。
ユウトは、その手に抱えられた弓を見た。
そして、はっと顔を上げる。
「……たぬぷぅ。」
「……?」
「一回だけ。」
「……。」
「撃って。」
全員が息を呑んだ。
たぬぷぅの耳が、ぴんと立つ。
「……や。」
小さく首を横へ振る。
「……いたいの、や。」
弓を、ぎゅっと抱きしめる。
「……ともだち。」
ぽろり、と涙が落ちた。
ユウトは、しばらく何も言わなかった。
そして。
ゆっくりと頷く。
「……うん。」
「……。」
「俺も嫌だ。」
たぬぷぅが顔を上げる。
ユウトは真っ直ぐ妖鹿を見つめていた。
苦しそうな姿。
赤い目。
零れ落ちる涙。
「俺も……傷つけたくない。」
風が吹く。
ざわり、と森が揺れた。
「でも。」
ユウトが、たぬぷぅを見る。
「傷つけるためじゃない。」
「……。」
「助けるために撃つんだよ。」
たぬぷぅの瞳が、大きく揺れた。
「撃って、怯んだ隙に、俺が近づく。」
助ける。
ともだちを。
この子を。
「……たすける…。」
小さく呟く。
「……うん。」
ユウトが頷いた。
「俺も、一緒に助ける。」
その一言に、たぬぷぅは妖鹿へ視線を向けた。
苦しそうだった。
泣いていた。
ずっと待っていてくれた。
たった一人で。
小さな手が、震えながら弓を握る。
怖い。
もし。
もっと苦しませてしまったら。
それでも。
「……たすける。」
もう一度、そう呟いた。
そして。
ゆっくりと、矢をつがえる。
ぽんが、息を呑んだ。
「……すず。」
たぬぷぅが、そっと弦を引く。
狙いなんて分からない。
撃ち方だって覚えていない。
なのに。
不思議と、体だけが知っていた。
「……ごめん。」
小さな声だった。
涙が、一筋流れる。
「……でも。」
「……たすけるから。」
ぱっ。
指が離れた。
ぴんっ、と弦が鳴る。
矢は真っ直ぐ飛び、妖鹿の肩へ吸い込まれるように突き刺さった。
どすっ。
――グルァアッ!!
妖鹿が苦しそうに吠える。
たぬぷぅの肩が、びくりと震えた。
「……っ。」
ごめん。
そう言いかけた、その時だった。
「……え?」
コハクが目を見開く。
妖鹿へ絡みついていた黒い靄が、すう……っと薄くなっていく。
赤かった目からも、少しだけ力が抜けた。
全員が、呆然と妖鹿を見つめる。
「穢れが……。」
ニャオミーがぽかんと口を開いた。
「弱く……なってる……?」
ルゥも目を見開く。
「なんじゃ……今のは……。」
ぽんも、言葉を失っていた。
誰にも分からない。
だが、今だけは確かに。
妖鹿の動きが止まっていた。
赤い目が、ゆっくりとたぬぷぅを見る。
その瞳は、どこか穏やかだった。
「……今だ!」
ユウトが駆け出す。
一直線に妖鹿へ向かう。
そして。
その首へ、手を伸ばした。
触れた。
瞬間。
ぱあっ――。
白い光が、夜の森へ溢れ出した。




