第六十章 たぬぷぅと弓
風が吹く。
ざわり。
森が、大きく揺れた。
たぬぷぅは、自分の手を見つめていた。
「……できた。」
小さく呟く。
どうして。
どうやって。
自分でも分からない。
でも。
体が勝手に動いた。
「戻り始めておる……。」
ダイダラボッチが、ぽつりと呟く。
「……え?」
ユウトが振り向く。
巨大な瞳が、たぬぷぅを見つめていた。
「記憶だけではない。」
「長い年月で眠っておった感覚も……少しずつ目覚めておる。」
ぽんが、はっと顔を上げる。
「……まさか。」
そして。
ゆっくりと、自分の背中へ手を伸ばした。
すらり。
小さな弓を外す。
「……すず。」
たぬぷぅが顔を上げる。
ぽんが、そっと弓を差し出した。
「これ……持ってみろ。」
「……?」
「いいから。」
たぬぷぅが、おずおずと弓を受け取る。
その瞬間だった。
どくん。
胸が鳴った。
『すごーい!』
幼い声。
『すず、あたった!』
『……えへへ。』
森。
青空。
笑い声。
そして。
小さな手に握られた、一本の弓。
「……あ。」
たぬぷぅの瞳が、大きく揺れた。
『すずは、じょうず。』
『……もっとやる。』
『うん!』
景色が消える。
「……!」
たぬぷぅが、はっと息を呑む。
両手には、弓。
懐かしい。
触ったことがある。
何度も。
何度も。
そんな気がする。
ぽんが、目を見開く。
「覚えてるのか……?」
「……。」
たぬぷぅが、弓を見つめる。
そして。
ゆっくりと頷いた。
「……これ。」
小さな声だった。
「……すき。」
ぽんの目が、大きく見開かれる。
「……!」
「……なんでか、わかんない。」
弓を、ぎゅっと抱きしめる。
「……でも。」
少しだけ。
嬉しそうに耳が揺れた。
「……これ、すき。」
ぽんが、ふっと笑った。
そして。
目を細める。
「……そっか。」
「覚えててくれたんだな。」
その時だった。
――グルァアアアアッ!!
咆哮。
妖鹿が、再び暴れ出した。
どごぉっ!!
角が地面へ突き刺さる。
黒い靄が、さらに溢れ出す。
「まずい!」
ルゥが叫ぶ。
「穢れが増しておる!」
ぽんが、はっと振り向く。
「すず!」
たぬぷぅが顔を上げる。
ぽんが、一歩前へ出た。
「撃てるか?」
「……え。」
「その弓で。」
妖鹿を見る。
苦しそうな姿。
赤い目。
零れる涙。
「……。」
たぬぷぅの耳が、しゅんと垂れた。
弓を持つ手が、小さく震える。
「……や。」
「すず……。」
「……やだ。」
ぽろり。
涙が零れる。
「……たすけたい。」
小さな声だった。
でも。
はっきりとしていた。
「……ともだちだから。」
風が吹く。
ざわり。
森が、大きく揺れた。
たぬぷぅは、涙で滲む瞳のまま、妖鹿を見つめる。
そして。
弓を抱きしめるように、ぎゅっと胸へ引き寄せた。
「……撃ちたく、ない。」




