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第五十九章 わたしの、気持ち。

――グルル……。


 


妖鹿(ようろく)が、苦しそうに息を吐く。


 


赤い目。


 


全身へ絡みつく黒い蔦。


 


その姿を見ているだけで、胸が苦しくなる。


 


たぬぷぅは、ぽろぽろと涙を零していた。


 


「……ずっと。」


 


小さな声が震える。


 


「……ずっと、ひとりだった。」


 


風が吹く。


 


ざわり。


 


木々が揺れる。


 


ぽんが、唇を噛んだ。


 


「……そうだ。」


 


「……!」


 


「俺たちが森を出てからも……こいつだけは、ずっとここに残ってた。」


 


苦しそうな声だった。


 


「追い払おうとしても、どこかへ行こうとしなくて……。」


 


ぽんが、妖鹿を見る。


 


「……待ってたんだ。」


 


赤い目が揺れる。


 


「ずっと。」


 


「すずが……帰ってくるのを。」


 


たぬぷぅの瞳から、また涙が溢れた。


 


「……。」


 


胸が痛い。


 


苦しい。


 


悲しい。


 


でも。


 


それ以上に。


 


この子を、一人にしたくなかった。


 


たぬぷぅが、一歩前へ出る。


 


「……たぬぷぅ?」


 


ユウトが呼ぶ。


 


たぬぷぅは、妖鹿だけを見ていた。


 


「……わたし。」


 


小さな手を、ぎゅっと握る。


 


「……おぼえてない。」


 


風が吹く。


 


「……。」


 


「……いっぱい、わすれちゃった。」


 


ぽろり。


 


涙が落ちる。


 


「でも。」


 


顔を上げる。


 


赤い目を、真っ直ぐ見つめる。


 


「……この子が。」


 


「……ともだちなのは、わかる。」


 


――グル……。


 


妖鹿が、小さく鳴いた。


 


「……だから。」


 


たぬぷぅが、また一歩前へ出る。


 


「……たすける。」


 


全員が、息を呑む。


 


「わたしが。」


 


「……この子を、たすける。」


 


風が吹いた。


 


その瞬間だった。


 


――グルァアアアアアッ!!


 


妖鹿が、突然咆哮した。


 


どごぉっ!!


 


地面を蹴る。


 


巨大な体が、真っ直ぐたぬぷぅへ向かって駆け出した。


 


「たぬぷぅ!!」


 


ユウトが叫ぶ。


 


「すず!!」


 


ぽんが駆け出す。


 


でも。


 


間に合わない。


 


その時だった。


 


どくん。


 


胸が鳴る。


 


たぬぷぅの瞳が、大きく見開かれた。


 


見える。


 


飛びかかってくる妖鹿。


 


その動きが。


 


なぜか、分かる。


 


『右。』


 


声がした。


 


知らない声。


 


でも。


 


懐かしい声。


 


『すず、みぎ。』


 


たぬぷぅの体が、反射的に動いた。


 


ひょいっ。


 


小さな体が、右へ飛ぶ。


 


どごぉぉん!!


 


すぐ横へ、妖鹿の角が突き刺さった。


 


土が舞う。


 


全員。


 


「……え?」


 


たぬぷぅ自身も、目をぱちぱちと瞬かせていた。


 


「……できた。」


 


ぽんが、目を見開く。


 


ダイダラボッチも、驚いたように瞳を見開いた。


 


そして。


 


ぽつりと呟く。


 


「……戻り始めておる。」


 


風が吹く。


 


ざわり。


 


森が、大きく揺れた。

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