第五十五章 懐かしい声
――グルルルルル……。
獣の唸り声が、森の奥から響いた。
全員が身構える。
ざわっ。
木々が揺れる。
どしん。
どしん。
重い足音。
そして。
茂みを押しのけるように、一頭の巨大な妖獣が姿を現した。
「……!」
ユウトが息を呑む。
鹿だった。
だが。
先ほどの鹿とは比べ物にならない。
二倍。
いや、三倍はある。
枝分かれした大きな角。
全身へ絡みつく黒い蔦。
赤く染まった目。
口からは、どろりとした黒い靄が溢れている。
「邪鬼……。」
コハクが小さく呟く。
ルゥが顔をしかめた。
「あれほど穢れが回っておるか……。」
妖鹿が低く唸る。
――グルルル……。
その声を聞いた瞬間だった。
「……。」
たぬぷぅの耳が、ぴくりと動く。
「……たぬぷぅ?」
ユウトが顔を見る。
たぬぷぅは、妖鹿を見つめたまま動かない。
「……。」
胸が、きゅっと苦しくなる。
知らない。
知らないはずなのに。
なぜか。
涙が出そうになる。
妖鹿が、一歩前へ出た。
どしん。
その時。
「……あ。」
たぬぷぅが、小さく声を漏らした。
全員が振り向く。
「……どうした?」
「……なんか。」
小さな声だった。
「……しってる。」
静寂。
ぽんが、はっと顔を上げる。
「……え?」
「……。」
たぬぷぅが、じっと妖鹿を見る。
「……なつかしい。」
風が吹く。
ざわり。
黒い蔦が揺れた。
次の瞬間。
妖鹿が苦しそうに首を振る。
――グルァアアアッ!!
咆哮。
地面が震えた。
「来るぞ!」
ルゥが叫ぶ。
妖鹿が突進した。
どごぉっ!!
木が一本、へし折れる。
「うわっ!?」
ユウトたちは慌てて飛び退く。
妖鹿が再び吼える。
その赤い目が。
真っ直ぐ。
たぬぷぅだけを見ていた。
「……。」
「……なんで。」
たぬぷぅが呟く。
怖い。
でも。
怖いだけじゃない。
胸が痛い。
悲しい。
苦しい。
そして。
会いたかった。
そんな気持ちが、ぐちゃぐちゃになって押し寄せてくる。
ぽんが、目を見開く。
「……まさか。」
ダイダラボッチが、静かに目を閉じた。
そして。
低い声で呟く。
「覚えておったか……。」
全員。
「……え?」
風が吹く。
巨大な瞳が、妖鹿を見つめる。
「その子は……。」
静寂。
「昔、おぬしが、誰よりも大切にしていた友達じゃよ。」
全員。
「……!!」
たぬぷぅ。
「……とも……だち?」
妖鹿が、苦しそうに唸った。
――グルル……。
そして。
赤い目から。
一筋だけ、涙が零れ落ちる。
風が吹く。
ざわり。
歪な季節の森が、大きく揺れた。




