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第三十九章 幻の神酒 後編

ガタン。


 


酒蔵の奥から物音がした。


 


全員が同時に立ち上がる。


 


闇の中で、


何かがゆっくり動いた。


 


月明かりが差し込み、


その姿がぼんやりと浮かび上がる。


 


人影だった。


 


「誰だ!」


 


ユウトが叫ぶ。


 


返事はない。


 


人影はふらついた足取りで、


ゆっくりこちらへ歩いてくる。


 


その姿が見えた瞬間、


ニャオミーが息を呑んだ。


 


「あれ……妖怪?」


 


人型だった。


 


だが様子がおかしい。


 


目は虚ろで、


全身には無数の傷がある。


 


まるで糸の切れかけた操り人形のように、


身体を揺らしながら歩いていた。


 


そして。


 


背中には黒い靄がまとわりついている。


 


ルゥが眉をひそめた。


 


「妖魔ではない」


 


「え?」


 


ユウトが振り返った。


 


その瞬間だった。


 


人影が地面を蹴る。


 


速い。


 


一直線に酒蔵へ向かって飛び出した。


 


「させるか!」


 


ユウトが飛び出す。


 


剣を振る。


 


ガキン!


 


人影が腕で受け止めた。


 


異様な力だった。


 


「うおっ!?」


 


ユウトが押し返される。


 


続けてニャオミーが槍を突き出した。


 


人影は横へ飛ぶ。


 


「左!」


 


コハクの声が響く。


 


未来視。


 


直後。


 


ルゥの炎が炸裂した。


 


轟音が酒蔵へ響き渡る。


 


炎をまともに受け、


人影は吹き飛んだ。


 


だが。


 


地面を転がったその身体が、


何事もなかったようにゆっくり起き上がる。


 


目は虚ろなまま。


 


痛みすら感じていないようだった。


 


「なんだよこいつ……」


 


ユウトが呟く。


 


その時だった。


 


たぬぷぅが人影を指差した。


 


「ついてる」


 


「ん?」


 


全員が見る。


 


人影の背中。


 


服の隙間から、


一枚の札が覗いていた。


 


ルゥの顔色が変わる。


 


「札じゃと?」


 


人影が再び突進する。


 


今度はユウトが正面から受け止めた。


 


ニャオミーが素早く背後へ回り込む。


 


そして。


 


槍の柄で、


背中の札を叩き落とした。


 


ヒラリ。


 


札が地面へ落ちる。


 


その瞬間だった。


 


人影が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


 


背中にまとわりついていた黒い靄も、


すうっと消えていった。


 


静寂。


 


戦いは終わった。


 


「……生きてる」


 


ユウトが言う。


 


人影は気を失っているだけだった。


 


コハクが落ちた札を拾う。


 


そして。


 


顔を強張らせた。


 


「これ……」


 


ルゥも札を見る。


 


数秒。


 


沈黙が落ちた。


 


「どうした?」


 


ユウトが聞く。


 


ルゥは低い声で答えた。


 


「覚えておる」


 


「地下遺跡じゃ」


 


ユウトの脳裏に光景が蘇る。


 


赤い瞳。


 


鬼神面。


 


空中を舞う無数の札。


 


『鬼神招来──開式』


 


「あいつの札か……!」


 


コハクが頷く。


 


「同じものだと思う」


 


ニャオミーも顔をしかめた。


 


「じゃあ……」


 


「赤目男が?」


 


ルゥは腕を組む。


 


「断定はできぬ」


 


「だが、関係はあるじゃろうな」


 


嫌な予感しかしなかった。


 


神宝。


 


鬼神面。


 


そして月露の雫。


 


全部どこかで繋がっている。


 


そんな気がした。


 


翌朝。


 


老人へ昨夜の出来事を話した。


 


老人は驚いた顔をする。


 


「呪符?」


 


「妖怪を操る札じゃと?」


 


ルゥが頷く。


 


「見間違えるはずがない」


 


老人は腕を組み、


深く考え込んだ。


 


「聞いたことがないのう」


 


「少なくとも鬼族の術ではない」


 


さらに表情を曇らせる。


 


「気味が悪い話じゃ」


 


コハクも頷いた。


 


「月露の雫だけを狙っていたのも気になるわ」


 


老人は黙り込む。


 


昨夜の妖怪は倒した。


 


だが、


呪符を貼った本人はまだいる。


 


それは皆分かっていた。


 


「じいちゃん」


 


老人が顔を上げる。


 


「ん?」


 


「まだ心配だよな」


 


「昨日の奴は倒したけど、大元はそのままだし」


 


老人は少し黙った。


 


そして。


 


苦笑する。


 


「まぁ……」


 


「大丈夫じゃろう」


 


どう見ても社交辞令だった。


 


ニャオミーが困った顔になる。


 


「おじいちゃん……」


 


コハクも小さく息を吐く。


 


「安心とは言えないわよね」


 


しばらく沈黙が落ちた。


 


やがて。


 


ユウトが顔を上げる。


 


「俺たちはまだ行かなきゃいけない場所がある」


 


「だからずっとここを見張ることはできない」


 


老人は静かに聞いていた。


 


「でも」


 


ユウトは少し笑う。


 


「酒呑童子に話しておくよ」


 


ルゥが嫌そうな顔になる。


 


「は?」


 


「鬼族の王様なんだろ?」


 


「なんかあったら守ってくれるんじゃないか?」


 


ルゥが即答した。


 


「奴がそんな優しさを持っておるわけないじゃろ」


 


「見た目も中身も鬼じゃぞ」


 


ニャオミーが吹き出した。


 


「それ悪口だよね?」


 


「事実じゃ」


 


全く迷いがなかった。


 


だが。


 


老人は笑った。


 


静かに。


 


どこか懐かしそうに。


 


「確かにな」


 


「今はただの呑んだくれになっとる」


 


「めんどくさい奴でもある」


 


ルゥが何度も頷く。


 


「そうじゃろう」


 


「じゃがな」


 


老人は空を見上げた。


 


「根は優しい奴じゃ」


 


ルゥの動きが止まる。


 


「む」


 


「それを表現するのが下手なんじゃよ」


 


「鬼族からは面倒くさがられておるが、信頼もされとる」


 


老人は少し笑う。


 


「わしも同じじゃ」


 


「酒呑童子を信じておる」


 


静かな風が吹く。


 


ユウトは少し驚いていた。


 


酒ばかり飲んで、


めんどくさくて、


ずっとルゥをからかっている。


 


そんな男が、


鬼族から信頼されている。


 


それどころか、


「根は優しい」とまで言われている。


 


少しだけ。


 


酒呑童子を見る目が変わった気がした。


 


老人は立ち上がる。


 


そして、


酒蔵の奥へ消えていった。


 


数分後。


 


木箱を抱えて戻ってくる。


 


箱を開く。


 


中には一本の瓶が入っていた。


 


淡い銀色の液体。


 


まるで月明かりを閉じ込めたような酒だった。


 


「これが月露の雫じゃ」


 


全員が息を呑む。


 


老人は瓶を持ち上げ、


ユウトへ差し出した。


 


「約束じゃ」


 


「持っていけ」


 


ユウトは受け取る。


 


思ったより重かった。


 


「ありがとう」


 


老人は頷く。


 


「礼ならいらん」


 


「酒蔵を守ってくれたからの」


 


そして。


 


少しだけ笑った。


 


「酒呑童子にもよろしく言っておいてくれ」


 


ルゥが即答した。


 


「嫌じゃ」


 


老人が吹き出す。


 


どうやら昔かららしい。


 


酒蔵を後にする。


 


山道を歩きながら、


ユウトは背中の荷物を確認した。


 


月露の雫。


 


無事に手に入った。


 


それだけでも十分な成果のはずなのに、


頭には別のことが残っていた。


 


鬼族の王。


 


根は優しい。


 


信頼されている。


 


本当に、


あの男がそんな人物なのだろうか。


 


ユウトは少しだけ笑った。


 


「なんか」


 


「会うの楽しみになってきたかも」


 


「やめろ」


 


ルゥが真顔で言う。


 


「期待するだけ無駄じゃ」


 


「そうかなぁ」


 


「そうじゃ」


 


ルゥだけが頑なだった。


 


そんなやり取りをしながら、


一行は再び山頂へ向かう。


 


鬼の王が待つ場所へ。

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