第三十九章 幻の神酒 前編
酒呑童子の屋敷を出た後。
しばらく誰も喋らなかった。
山道を下りながら、
全員が同じことを考えていた。
めんどくさい。
「めんどくさいのう」
ルゥが言う。
「めんどくさいわね」
コハクが言う。
「めんどくさい」
たぬぷぅまで言った。
満場一致だった。
ユウトはため息を吐く。
「結局なんて酒なんだっけ」
コハクが紙を見る。
酒呑童子から渡された紙だ。
達筆すぎて読みにくい。
「月露の雫」
その瞬間。
ルゥの顔が引きつった。
「知ってるのか?」
ユウトが聞く。
ルゥは頭を抱えた。
「幻の酒じゃ」
嫌な予感しかしなかった。
「年に一度しか造られぬ」
「しかも売られぬ」
「造り手が認めた者にしか渡さん」
ユウトは空を見上げた。
帰りたくなった。
「なんでそんなもの指定したんだよ」
「酒呑童子じゃからな」
説明になっていなかった。
だが妙に納得してしまう。
コハクが紙を裏返した。
「場所も書いてあるわ」
全員が覗き込む。
そこには。
白月酒蔵
と書かれていた。
「最初からそう言ってよ」
ニャオミーが呟く。
全員頷いた。
数時間後。
一行は山奥の酒蔵へ辿り着いた。
木造の大きな建物だった。
周囲には酒樽が並んでいる。
空気にはほんのり酒の香り。
ルゥが鼻をひくつかせた。
「良い酒じゃな」
「分かるの?」
「当然じゃ」
少し誇らしそうだった。
その時。
酒蔵の奥から老人が現れる。
背は低い。
だが肩幅は広い。
白い髭。
額には小さな角。
鬼族だった。
老人は一行を見る。
そして。
コハクでもなく。
ルゥでもなく。
ユウトを見た。
眉が動く。
「人間?」
低い声だった。
ユウトは頭を下げる。
「月露の雫を探していて」
その瞬間。
老人の表情が変わった。
「月露の雫じゃと?」
空気が張り詰める。
老人は一歩前へ出た。
「なんでお前みたいな奴がそんな酒を探しておる」
さらに。
目を細める。
「さては」
「最近の酒樽荒らしもお前らの仕業か?」
ユウトは固まった。
「え?」
意味が分からない。
酒樽荒らし?
何の話だ。
老人は完全に疑っていた。
ルゥも眉をひそめる。
「違う」
「我らは初めて来た」
老人は信用していない。
空気が悪くなる。
その時。
ユウトが思い出した。
「あ」
懐から紙を取り出す。
「酒呑童子から言われて来ました」
老人へ渡す。
老人は紙を見る。
数秒。
沈黙。
そして。
盛大に顔をしかめた。
「またあいつか……」
全員納得した。
どうやら有名らしい。
老人は深いため息を吐く。
「酒呑童子の頼みなら断りにくい」
「まったく」
「生きとる間ずっと面倒ばかり増やしおって」
ルゥが小さく頷いた。
珍しく意見が一致していた。
老人は腕を組む。
「本当なら渡したい」
「だが今は無理じゃ」
ユウトが首を傾げる。
「無いんですか?」
「ある」
老人は答える。
「一つだけな」
一つ。
その言葉に全員が反応する。
老人は続けた。
「だが最近妙なことが起きておる」
「妙なこと?」
コハクが聞く。
老人は酒蔵の方を見る。
少し疲れた顔だった。
「酒樽が荒らされる」
「しかも」
「月露の雫だけが消える」
部屋が静かになる。
「他の酒は?」
ユウトが聞く。
老人は首を振った。
「残る」
「月露の雫だけじゃ」
「場所を変えても」
「隠しても」
「必ず見つけ出す」
嫌な話だった。
ルゥも眉をひそめる。
「偶然ではないな」
「うむ」
老人も頷いた。
「だから今残っておる最後の一本は」
「絶対に失えん」
その時だった。
ユウトが立ち上がる。
全員が見る。
ユウトは老人を見た。
「じゃあ」
「その犯人捕まえるよ」
老人が目を丸くする。
ユウトは続けた。
「その代わり」
「酒をくれ」
数秒。
沈黙。
そして。
老人は笑った。
「面白い人間じゃな」
「本当にいいのか?」
「いいよ」
ユウトは頷く。
「どうせ放っておいても気になるし」
老人はしばらく考える。
やがて。
深く頷いた。
「助かる」
「なら頼む」
交渉成立だった。
その夜。
一行は酒蔵に潜んでいた。
静かな夜だった。
風の音だけが聞こえる。
誰も来ない。
だが。
ユウトには妙な予感がしていた。
月露の雫だけを狙う何者か。
偶然とは思えない。
いったい何が来るのか。
妖魔なのか。
盗賊なのか。
それとも。
もっと別の何かなのか。
酒蔵の暗闇を見つめながら、
自然と剣を握る手に力が入る。
その時だった。
ガタン。
酒蔵の奥から音がした。
全員が同時に立ち上がる。
闇の中。
何かが動いた。




