第二十七章 赤い瞳の男と鬼神面
猫又王国を出発して三日。
ユウトたちは再び黒霞街道を目指していた。
元々の目的地だ。
妖魔の異常行動。
行方不明者。
各地で起きている不穏な出来事。
その多くが黒霞街道周辺で目撃されている。
ようやく寄り道が終わった。
……と思っていた。
「本当に長かったな」
ユウトが呟く。
「牢屋の件か?」
ルゥが聞く。
「牢屋の件だよ」
「まだ言っておるのか」
「一生言うぞ」
ニャオミーが顔を逸らす。
「ごめんって……」
「百回目」
「そんなに言ってない!」
いつものやり取りだった。
だから最初は誰も気づかなかった。
森の異変に。
コハクが足を止める。
耳がぴくりと動いた。
「……変」
ユウトが振り返る。
「何が?」
「生き物の気配が少なすぎる」
その言葉で全員が周囲を見る。
森だ。
木々がある。
風も吹いている。
だが。
鳥の声がしない。
虫の音もしない。
本来なら聞こえるはずの音が、まるで切り取られたように消えていた。
ルゥも眉をひそめる。
「警戒せい」
空気が張り詰める。
ニャオミーも槍へ手を添えた。
たぬぷぅだけがお菓子を食べている。
「たぬぷぅ」
「ん?」
「緊張感」
「たべてる」
「知ってる」
やがて街道の先に黒い霧が見えてきた。
地面を這うように漂う霞。
昼間だというのに薄暗い。
ニャオミーが地図を見る。
「ここだ」
「黒霞街道」
ユウトは前を見る。
その時だった。
コハクが息を呑む。
「……誰かいる」
全員が視線を向ける。
黒い霧の向こう。
街道の真ん中。
誰かが立っていた。
最初に見えたのは白だった。
黒く霞む世界の中で、それだけが異様なほど目立っている。
風が吹く。
霧が揺れる。
そして。
その姿が少しずつ現れた。
黒い和服。
肩より少し下まで伸びた黒髪。
その男を見た瞬間。
ユウトは違和感を覚えた。
何かがおかしい。
だが。
何がおかしいのか分からない。
数秒遅れて気づく。
顔が二つあるように見えたのだ。
だが、それは錯覚だった。
男の首元には白い面が掛けられている。
首の右前。
肩口へ斜めに掛けられた白い面。
その面からは長い白毛が広がるように流れていた。
獣の毛にも見える。
神へ捧げる装束にも見える。
まるで白い獣を首元に抱いているようだった。
あるいは。
首の横からもう一つ顔が生えているようにも。
ユウトは思わず足を止める。
「……なんだよ、あれ」
寒気がした。
ただの面ではない。
般若にも見える。
神楽面にも見える。
鬼のような恐ろしさと。
神のような威厳。
相反するものが同居しているような、不気味な面だった。
怒っているようにも見える。
泣いているようにも見える。
笑っているようにも見える。
見れば見るほど表情が変わる。
目を離したくなるのに。
なぜか目が離せない。
喉が乾く。
理由は分からない。
だが本能だけは、はっきりと警鐘を鳴らしていた。
近づくな、と。
ニャオミーも息を呑んでいた。
コハクの尻尾が逆立つ。
たぬぷぅですら無言になる。
その場で。
ルゥだけが静かだった。
「……鬼神面か」
男の赤い瞳が僅かに動く。
ルゥを見る。
「知っておるか」
男が初めて口を開いた。
低い声だった。
ルゥは頷く。
「赤目一族」
「神と鬼の力を受け継ぐ術師の家系」
ユウトたちが驚く。
ルゥは男から目を離さない。
「その面も見たことがある」
「鬼神面」
「代々受け継がれる祭具じゃ」
男は否定しなかった。
肯定もしなかった。
ただ静かに立っている。
それだけなのに。
その存在感だけで空気が重い。
まるで巨大な妖魔を前にしているような圧迫感だった。
ユウトは思わず尋ねる。
「誰なんだよ」
男の赤い瞳が向く。
その瞬間。
胸がざわついた。
なぜだろう。
初めて会った気がしない。
そんな感覚があった。
やがて。
男が口を開く。
「ようやく見つけた」
ユウトが眉をひそめる。
「……俺を?」
男は頷く。
そして少しだけ目を細めた。
「神の使いも」
「随分と回り道をしたものだ」
空気が凍る。
ユウトは意味が分からなかった。
神の使い?
誰のことだ。
「待て」
思わず前へ出る。
「何の話だ」
「まだ知らぬか」
その言葉だけを残し、
男は鬼神面へ静かに手を添える。
風が吹いた。
白い毛が揺れる。
黒い霧が膨らむ。
視界が霞む。
一瞬だった。
次の瞬間。
男の姿は消えていた。
誰も目を離していない。
誰も瞬きをしていない。
それなのに。
そこにはもう誰もいなかった。
静寂だけが残る。
ユウトは立ち尽くしていた。
胸の奥が妙に騒がしい。
赤い瞳。
鬼神面。
そして。
神の使い。
あの男は。
何を知っているのか。
黒霞街道の奥から冷たい風が吹く。
まるで。
何かが待っているように。
その夜。
ユウトは夢を見た。
白い世界だった。
どこまでも続く光。
音もない。
風もない。
ただ白だけが広がっている。
その中心に。
少女が立っていた。
真っ白な髪。
真っ白な衣。
どこか懐かしい。
以前にも見た気がする。
少女は何も言わない。
ただ。
ユウトへ向かって手を伸ばした。
そして。
小さな声で告げる。
「来て」
そこで夢が途切れた。




