第十章 槍と猫と訓練場
組合の訓練場は、朝から活気に満ちていた。
木剣が激しく打ち合わされる音が絶え間なく響き、鍛錬に励む妖たちの掛け声が広い訓練場へ飛び交う。土を踏みしめる足音と汗の匂いが混ざり合い、朝の澄んだ空気まで熱気を帯びているようだった。
依頼へ向かう前の冒険者たちは、それぞれ思い思いに武器を振るい、真剣な表情で技を磨いている。
その様子を眺めながら、ユウトは思わず呟いた。
「なんか思ったよりガチだな……」
「当たり前じゃ」
隣で腕を組んだルゥが、呆れたように肩をすくめる。
「妖魔に食われたくなければ、鍛えるしかないのじゃ」
「物騒だなぁ……」
異世界へ来てから何度も命の危険には遭ってきたが、こうして改めて言葉にされると妙に現実味があった。
その横では、たぬぷぅが今日も妖蜜まんじゅうを両手で抱え、幸せそうにもきゅもきゅと頬張っている。
「……おいしい」
「また食ってる」
「別腹」
「便利な言葉だな、それ」
呆れ半分で笑うユウトに、たぬぷぅはきょとんと首を傾げるだけだった。
そんなやり取りを見ていたコハクが、小さく息を吐いて振り返る。
「で?」
「ん?」
「今日は何をしに来たか分かってる?」
ユウトは素直に頷いた。
「装備を見に来たんだろ?」
「その前」
コハクの視線が、少し離れて立つニャオミーへ向く。
「この子の実力確認」
「えっ」
突然名前を呼ばれたニャオミーが肩を震わせた。
フードの奥から見える青い瞳が、不安そうに揺れる。
「必要?」
「必要」
迷いのない即答だった。
「仲間に迎える以上、どれくらい戦えるのかは知っておきたいもの」
「うっ……」
もっともな理由だった。
ニャオミーは口を開きかけるが、反論の言葉が見つからず小さく肩を落とす。
ルゥも腕を組んだまま頷いた。
「我も賛成じゃ」
「ルゥまで!?」
「正直、まだ信用しておらぬ」
「ひどい!」
「怪しいからの」
「ぐぅ……」
思わず唸る。
全身を隠すローブに深いフード。
しかも猫耳付き。
自分でも怪しい格好だという自覚はあった。
ユウトは苦笑しながら頭を掻く。
「まぁ、気持ちは分かるけどさ。どうやって実力を確かめるんだ?」
コハクは訓練場の中央を指差した。
木剣や槍を持った冒険者たちが鍛錬を続ける広場は、ちょうど一試合終わったところらしく、小さな円形の空間が空いている。
「簡単よ」
そう言ってコハクはニャオミーを見る。
「私とやる?」
「へ?」
間の抜けた声が漏れた。
数秒遅れて意味を理解したニャオミーは、ぶんぶんと首を横へ振る。
「いやいやいやいや!」
「無理無理無理!」
「なんで?」
「だって九尾でしょ!?」
その声に、近くで鍛錬していた冒険者たちまで手を止めた。
「おい、コハクさんがやるのか?」
「相手、新人じゃね?」
「かわいそうに……」
「勝負にならんだろ」
そんなひそひそ話が聞こえてくるたび、ニャオミーの顔色は青くなっていく。
「やっぱやめよう?」
「嫌」
「なんで!?」
「逃げるの?」
コハクは首を少し傾げる。
その一言だけで、ニャオミーはぴたりと動きを止めた。
「逃げないけど!」
「なら決まりね」
さらりと言われ、逃げ道は完全になくなる。
ユウトは苦笑しながらニャオミーの肩を軽く叩いた。
「まぁ、一発くらいなら大丈夫だろ」
「その一発で終わる気がするんだけど……」
ニャオミーは半泣きになりながら訓練場の中央を見つめる。
朝日を浴びた砂地の向こうでは、コハクがすでに静かに立って待っていた。
周囲では訓練中だった冒険者たちも興味津々といった様子で集まり始め、いつの間にか小さな人だかりができている。
新入りの実力試験。
その一言だけで、訓練場はさっきまでとは少し違う熱気に包まれていた。
◇
数分後。
「新人らしいぞ」
「相手はコハクさんか」
「勝負になるのか?」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
対するニャオミーは、訓練用の木槍を両手で握り締めたまま小さく息を吐いた。
緊張しているのが、離れた場所からでも伝わってくる。
コハクはというと、いつもと変わらない濃紺の和装姿で静かに立っていた。
武器は持たない。
自然体のまま、穏やかな笑みさえ浮かべている。
その余裕が、かえって恐ろしかった。
「ルールは?」
ニャオミーがおそるおそる尋ねる。
コハクは少しだけ考え、
「一撃入れたら勝ち」
と短く答えた。
「私でもあなたでも、一発当てた方の勝ち。それでいい?」
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
周囲もざわついた。
「それだとコハクさん有利じゃ……」
「いや、逆だろ」
「当てれば終わりなんだから、新人にもチャンスあるぞ」
「なるほど」
観客たちが勝手に考察を始める。
ユウトも腕を組みながら二人を見つめていた。
コハクが強いのは知っている。
白霧山では、妖魔を相手にまるで遊ぶように立ち回っていた。
だが。
ニャオミーがどれほど強いのかは、まだ誰も知らない。
コハクは静かに右手を下ろした。
「始めるわよ」
その声と同時に。
ニャオミーの空気が変わる。
さっきまでのおどおどした少女は、そこにはいなかった。
腰を深く落とし、猫のように重心を低く構える。
木槍の穂先がぶれない。
獲物を狙う獣のような鋭い眼差しだけが、まっすぐコハクを捉えていた。
「へぇ……」
コハクの口元がわずかに緩む。
「その目、嫌いじゃないわ」
次の瞬間だった。
ヒュンッ!!
風を裂く音だけが耳を打つ。
「えっ!?」
ユウトが目を見開いた。
速い。
そう思った時にはもう遅かった。
ニャオミーの姿は視界から消え、砂煙だけがふわりと舞い上がる。
「どこじゃ!?」
ルゥまで思わず身を乗り出した。
次に見えた時には、もうコハクの懐だった。
木槍が一直線に突き出される。
迷いのない、美しい一閃。
「っ!」
だが。
カンッ!!
乾いた音が訓練場へ響いた。
「……は?」
ユウトの口が開く。
弾いた。
コハクは指先だけで木槍を受け流していた。
「指!?」
「化け物じゃの……」
ルゥが呆れたように呟く。
しかし。
ニャオミーは止まらない。
一歩。
さらに半歩。
体をひねりながら槍を返す。
払い。
突き。
回転。
流れるような連撃が、まるで踊るように繰り出される。
「速ぇ!!」
「新人か、あれ!?」
「すげぇ!」
観客席から歓声が上がった。
砂が舞い、木槍が風を切るたび乾いた音が響く。
だが、その全てをコハクは紙一重でかわしていた。
袖が揺れる。
髪がふわりと流れる。
あと数センチ。
何度も当たりそうになる。
それでも当たらない。
「面白いじゃない」
コハクが初めて笑った。
その笑顔を見た瞬間。
ニャオミーはさらに一歩踏み込む。
勝負を決めにいった、その時だった。
ぐっ。
踏み込んだ足が砂をわずかに滑る。
「あっ……!」
ほんの一瞬。
その隙を、コハクほどの相手が見逃すはずがない。
ユウトは思わず息を呑んだ。
終わった。
誰もがそう思った。
だが。
ヒュッ。
木槍が消えた。
次の瞬間。
コハクの首元へ。
ぴたり。
木槍の穂先が、寸分違わず止まっていた。
訓練場が静まり返る。
誰一人、声を出せない。
「…………」
「…………」
「…………え?」
ぽつりと漏れたユウトの声だけが、その静寂を破った。
コハクは首元の木槍を見つめる。
ゆっくりと視線を上げ、
少しだけ嬉しそうに笑った。
「合格」
「……へ?」
固まるニャオミーに、コハクはくすりと笑う。
「正式採用でいいんじゃない?」
「えっ?」
「十分強いもの」
数秒遅れて。
その言葉の意味を理解したニャオミーの顔が、ぱっと明るくなる。
「やったぁぁぁぁ!!」
勢いよく飛び跳ねた拍子に、
ばさっ。
フードが後ろへずれ落ちた。
白い猫耳が、ぴこんと元気よく飛び出す。
「あ」
しまった。
そんな表情で固まるニャオミーへ、周囲の視線が一斉に集まる。
「猫だ」
「猫じゃな」
「猫ですね」
「見ないでぇぇぇぇ!!」
真っ赤になって耳を隠すニャオミーを見て、訓練場はどっと笑いに包まれた。
ユウトも思わず吹き出す。
強いのに。
決めるところは決めるのに。
最後だけは締まらない。
「……やっぱり、変なやつだ」
苦笑しながら呟くと、ルゥも小さく笑った。
「うむ」
「賑やかになりそうじゃ」
訓練場へ吹き抜ける朝風が、ニャオミーの髪をふわりと揺らした。
ユウトは、その光景を見ながら自然と笑みを浮かべる。
どうやら自分たちの旅は、また少しだけ騒がしくなりそうだった。




