第九十九章 忘れられた祠
龍神の森へ足を踏み入れた瞬間だった。
ざわりと冷たい風が吹き抜ける。
その風は肌にまとわりつくように重く、ユウトは思わず足を止めた。
鳥の鳴き声は聞こえない。
動物の気配もない。
生い茂る木々はところどころ黒く染まり、枝先からは枯れ葉がひらりと舞い落ちる。
地面には黒い蔦が広がり、踏みしめるたび乾いた音だけが静かな森へ響いた。
「なんか……。」
ニャオミーが辺りを見回す。
「空気が重たい。」
「息もしづらい……。」
コハクも胸へ手を当て、小さく顔をしかめた。
ルゥは近くの木へ歩み寄ると、黒く染まった幹へそっと触れる。
しばらく目を閉じていたが、やがて静かに手を離した。
「……穢れじゃ。」
その言葉に、みんなの表情が変わる。
ユウトも木へ触れてみた。
あの日、この森で感じた温もりはどこにもない。
返ってきたのは、ひやりとした冷たさだけだった。
「急ごう。」
ユウトは森の奥を見る。
「このままだと、森全部へ広がるかもしれない。」
「うむ。」
ルゥは頷いた。
「まずは祠じゃ。」
「何か分かるかもしれぬ。」
5人は森の奥へ歩き始める。
枝葉が空を覆っているせいで昼間なのに薄暗く、湿った土の匂いが風に乗って流れてきた。
落ち葉を踏む音だけが森へ響き、誰もいないはずなのに見られているような気配が胸の奥をざわつかせる。
しばらく歩くと木々が開け、小さな広場へ出た。
その中央には、一つの祠が建っている。
鳥居は半分崩れ、屋根もところどころ壊れたままになっていた。
石段には落ち葉が何枚も積もり、風が吹くたび、かさりとかすかな音を立てる。
ニャオミーが思わず息を呑んだ。
「ここ……。」
「ルゥの祠?」
「うむ。」
ルゥはゆっくり鳥居へ近づく。
崩れかけた柱へ手を添えると、湿った苔が指先についた。
境内には誰もいない。
供え物も。
線香も。
長い間、人が訪れた様子はなかった。
しばらく祠を見つめていたルゥが、小さく笑う。
「昔はの。」
その声は、とても懐かしそうだった。
「毎日のように人が来ておった。」
ユウトたちは黙って耳を傾ける。
「雨が降らぬ年は、村のみんながここへ集まって雨乞いをした。」
「豊作になれば収穫祭を開いて、森で採れた野菜や果物を供え、一緒に歌って踊っておった。」
ルゥは目を閉じる。
子どもたちの笑い声。
森を駆け回る足音。
「龍神様ー!」
と元気よく手を振る小さな子どもたち。
その景色は今でも昨日のことのように思い出せた。
「子どもたちは我を見つけるたび、嬉しそうに走って来ての。」
「毎日がお祭りみたいじゃった。」
その様子が頭に浮かび、ユウトも自然と笑みを浮かべる。
ルゥはゆっくり目を開いた。
目の前にあるのは、崩れた鳥居と静かな祠。
あの頃の賑わいは、どこにも残っていなかった。
「やがて人は強くなった。」
ルゥは空を見上げる。
木々の隙間から、小さく青空が見えた。
「畑を耕し、川を整え、知恵を身につけ、自分たちの力で生きられるようになった。」
「神へ祈らなくても、生きていけるようになったんじゃ。」
ニャオミーは少し俯く。
「……悲しくなかった?」
ルゥは少しだけ考え、優しく笑った。
「寂しくはあった。」
「じゃが、それでよい。」
「人が幸せに暮らせるようになることが、我ら神の願いじゃからの。」
そう言って笑うルゥだったが、その笑顔はどこか少しだけ寂しそうだった。
その時だった。
祠の奥を見ていたコハクが、不意に足を止める。
「……あれ?」
みんなが振り向く。
祠の隅。
積もった落ち葉の間から、白い布のようなものが少しだけ見えていた。




