第九十八章 龍神の森
ニャオミー王国を出発して三日。
一行は緩やかな山道を歩いていた。
初夏の風が木々の葉を揺らし、鳥たちのさえずりが森へ優しく響いている。
山道の脇には小さな花が咲き、澄んだ沢のせせらぎが耳へ心地よく届いていた。
「平和じゃのぉ。」
ルゥが大きく背伸びをする。
「こんな日がずっと続けばいいのじゃ。」
「いや、お前さっきまでニャオミーとお菓子の取り合いしてただろ。」
ユウトが呆れたように笑う。
「最後の一枚を奪ったのはニャオミーじゃ!」
「違うもん! 先にルゥが二枚食べたもん!」
「一枚半じゃ!」
「半分でも二枚目でしょ!」
二人は顔を寄せ合い、むきになって言い合う。
「……仲良し。」
コハクがくすっと笑った。
その和やかな空気を見つめながら、ユウトも自然と口元を緩める。
ニャオミー王国での出来事は、決して軽いものではなかった。
王妃の願い。真実。
胸に残るものは大きかったが、それでも前を向こうと決めた仲間たちの表情は、少しだけ晴れているように見えた。
その時だった。
ルゥの足が止まる。
「……。」
何かを考えるように、遠くの山々を見つめている。
ユウトはその横顔へ視線を向けた。
「ルゥ?」
呼び掛けられたルゥは、小さく息を吸う。
「……次は。」
少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「我の森へ行こう。」
「ルゥの森?」
ユウトが首を傾げる。
ルゥはゆっくり頷いた。
「昔、我が護っておった山じゃ。」
その言葉を聞いた瞬間、ユウトは雨の日の出来事を思い出していた。
白い霧に包まれた森。
穢れに侵され、苦しみながら倒れていた巨大な龍。
そして、あの日、自分の《癒し》の力が初めて目覚めたことを。
「あ……。」
思わず声が漏れる。
「そういえば。」
「あの時、ルゥは穢れに侵されてたよな。」
コハクも何かに気付いたように顔を上げる。
「……そうだ。」
「穢れは、神宝の欠片から生まれる。」
「ということは……。」
ユウトも頷く。
「あの森にも、神宝の欠片があったってことか。」
ルゥは静かに腕を組んだ。
「おそらくの。」
「当時の我は、神宝など昔話じゃと思っておった。」
「じゃが、今なら分かる。」
「我を侵しておった穢れも、あの欠片が原因だったのじゃろう。」
コハクは自分の欠片を見つめる。
「まだ森のどこかに、手掛かりが残ってるかもしれない。」
ルゥは静かに腕を組んだ。
「確証はない。」
「じゃが、調べる価値はある。」
「我も、ずっと気になっておった。」
その声は少しだけ重かった。
ニャオミーがルゥの顔を覗き込む。
「帰るの、久しぶりなの?」
「……ああ。」
ルゥは遠くの山並みを見つめる。
風がルゥの髪を優しく揺らした。
「最後に帰ったのは、おぬしらと出会ったあの日じゃ。」
静かな声だった。
そこには懐かしさだけではない。
言葉にできない複雑な感情が滲んでいる。
ユウトはその横顔を見つめながら、小さく首を傾げた。
「帰りたくなかったのか?」
ルゥは少しだけ笑う。
「……分からぬ。」
「帰りたい気持ちもある。」
「帰るのが怖い気持ちもある。」
そう呟くと、視線を足元へ落とした。
「あの日、我は穢れへ侵されておった。」
「森を護る龍神が、自分の森を護れなかった。」
自嘲するような笑みが浮かぶ。
「情けない話じゃ。」
その言葉に、ユウトは首を横へ振った。
「そんなことない。」
ルゥが顔を上げる。
「ルゥは最後まで森を護ろうとしたんだろ。」
「だから俺は、ルゥと出会えた。」
「もし最後まで諦めてたら、俺はあの森でルゥに会えなかった。」
ルゥはしばらく黙っていた。
やがて照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「……当然じゃ。」
「我は龍神じゃからの。」
「でも。」
少しだけ笑った。
「そう言われるのは、悪くない。」
その笑顔を見て、ニャオミーも嬉しそうに笑う。
「よーし!」
「今度は私たちがルゥのお家を助ける番だね!」
「うむ!」
ルゥは力強く頷いた。
「では行くぞ!」
「龍神の森へ!」
5人は再び歩き始める。
山道を吹き抜ける風が少しだけ冷たくなり、木々の緑も次第に深さを増していく。
その森の奥で、長い時を越えて眠り続けていた過去が、彼らを静かに待っていた。




