第九十七章 受け継ぐ願い
白い光が完全に消えると、宝物庫には静かな空気だけが残った。
誰も動かない。
崩れた石壁の隙間から差し込む淡い陽射しが床を照らし、舞い上がっていた細かな砂埃だけがゆっくりと光の中を漂っている。
ニャオミーは母の日記を胸へ抱き締めたまま、俯いていた。
止まったはずの涙が、また一粒だけ紙へ落ちる。
「……お母様。」
震える声だった。
「ずっと。」
「ずっと、自信がなかったの。」
静かな宝物庫へ、その言葉だけが小さく響く。
「私は、お姫様らしくできなくて。」
「何度もお城を抜け出して。」
「お父様にも、家臣のみんなにも迷惑ばっかりかけて……。」
少しだけ笑う。
泣き笑いのような、照れくさい笑顔だった。
「家出までしちゃったし。」
「こんな私を見たら、お母様きっと呆れちゃうって思ってた。」
猫耳が力なく垂れる。
日記を抱く手にも自然と力が入った。
「さっき見たお母様は、とても格好良かった。」
「最後まで、この国を守って。」
「神宝も守って。」
「私は……。」
言葉が詰まる。
「私は、この国のために、まだ何もできてない。」
宝物庫へ沈黙が流れた。
王はゆっくりとニャオミーの隣まで歩み寄る。
その顔には悲しみだけではなく、どこか懐かしさを含んだ優しい笑みが浮かんでいた。
「何を言う。」
王は静かに首を横へ振る。
「王妃も、お前とよく似ておったぞ。」
ニャオミーが驚いたように顔を上げる。
「……え?」
「王妃も、決して城で大人しく過ごすような女性ではなかった。」
王は遠くを見るように目を細める。
「あの頃は、人間界との交流など禁忌とされておった。」
「それでも王妃は、自分で人間界へ渡り、多くの人々と出会い、学び、この国へ新しい文化や知恵を持ち帰った。」
思い出すように、小さく笑う。
「家臣たちは毎回気が気ではなくての。」
「何度止めても、『大丈夫です』と言って聞かなかった。」
ルゥが思わず吹き出した。
「なるほどのう。」
「確かにニャオミーそっくりじゃ。」
コハクも口元を押さえ、小さく笑う。
「似てるわね。」
王も穏やかに頷いた。
「誰に似たのかと思っておったが……。」
「ルミナリア。」
その名を優しく呼ぶ。
「お前たちは、本当によく似ている。」
ニャオミーは目を丸くしたまま、しばらく何も言えなかった。
やがて肩を震わせ、小さく笑う。
「そっか……。」
涙を拭う。
「私、お母様みたいにお城の中で国を守ることはできない。」
照れくさそうに笑いながら、自分の猫耳を指先でつつく。
「だって、お外が大好きだもん。」
その一言に、重苦しかった空気が少しだけ和らぐ。
ニャオミーはゆっくりと立ち上がった。
日記を胸へ抱いたまま、大きく息を吸う。
「でもね。」
真っ直ぐ前を向く。
「お母様が、人間界でたくさん学んで、少しずつ作り上げてきた、この猫又の国。」
「私は、この国が大好き!」
その声は宝物庫いっぱいへ広がった。
「だから。」
「お母様みたいな守り方はできないかもしれない。」
「でも!」
両手をぎゅっと握る。
「私は私のやり方で、この国を守る!」
「もっと強くなって!」
「もっとたくさん勉強して!」
「もっとたくさん旅をして!」
「もっとたくさん仲間を作って!」
「お母様が大好きだった、この国を守っていく!」
涙で濡れた瞳は、もう迷っていなかった。
ニャオミーは神宝の欠片をそっと両手で包み込む。
「だから……。」
少しだけ笑う。
「ママ。」
昔に戻ったような、幼い呼び方だった。
「安心して。」
「妖も、人も、みんなが笑い合える世界。」
「私が、ちゃんと実現してみせるからね。」
その瞬間だった。
ニャオミーの手の中にある神宝の欠片が、淡く優しい光を放つ。
ぽうっと温かな光はニャオミーの頬を照らし、そのままふわりと宙へ浮かび上がった。
「えっ……?」
欠片はゆっくりとニャオミーの目の前まで飛ぶと、一度だけ嬉しそうに輝き、また静かにその手のひらへ戻る。
まるで。
『その答えでいい』
そう微笑んでくれたようだった。
ニャオミーは欠片を胸へ抱き締める。
「……ありがとう。」
その笑顔は、どこか王妃によく似ていた。
しばらく誰も言葉を発さなかった。
その穏やかな空気を壊さないように、ルゥが小さく咳払いをする。
「さて。」
「感動しておるところ悪いが、旅はまだ終わっておらぬぞ。」
ユウトも笑って頷く。
「ああ。」
「まだ神宝の欠片は残ってる。」
ユウトたちは顔を見合わせる。
ルゥが口元を緩めた。
「よし。」
「次の神宝じゃ!」
ニャオミーは大きく頷く。
「うん!」
母から受け継いだ願いを胸に。
少女は、新たな一歩を踏み出した。




