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第十八話 障碍の風。尽く靄は双眸に碧落を映す。


2013年6月15日


 鹿野《かの》は朝から昼までの勤務を終え、退勤した。

同じく昼までの勤務だった春馬《はるま》とともに、ボランティア先の障がい者施設へ向かう。

鹿野は以前から、この施設でボランティアを不定期で続けており、春馬もそれに付き合うようになっていた。

そんな二人は施設へ向かう道中、この前の出来事について会話をしていた。


「鹿野さん、この前めちゃくちゃ怒られたんですか?」


「ん?……あ〜、この前書いた始末書の件か?」


「そうです。」


「その件なら、本部長にめちゃくちゃ怒られたぞ。」


「うわぁ……どうせ正論でぐちぐち言われたんじゃないですか?」


「ぐちぐちだったかは分からないが、まあ正論は言われたな。」


「僕、あの人嫌いです。」


「はははっ。人を選ぶのは確かだな。」


「それに、怪我もしたって聞きましたよ?」


「肋骨にヒビは入ったが、その日のうちに医務室で茉琴《まこと》に治してもらった。

だからもう完治してる。」


「鹿野さんってあんまり怪我しないイメージがあるんですけど、怪我させた奴ってそんな強かったんですか?」


「別に強くはなかったよ。

私の攻撃を、反転させたものを受けただけ。

私が私を殴ったようなもんさ。」


「はははっ!そうだったんですね!!

でも、そこは謙遜《けんそん》するところなんじゃないんですか?」


「事実だからな。それより、あの場に春馬が居てくれたら楽に処理できたんだが。」


「それも螢《けい》さんから聞きましたよ?

でも、僕を便利な運び屋みたいに思わないでくださいよ〜。

ワープゲート一個作るだけで、結構疲れるんですから。」


「ふっ、まだまだ鍛えないとな。」


「代償が体力消費の即時型じゃなければ、僕も戦術に幅を見出せるのに。」


「今でも十分やれてるじゃないか。

それ以上戦術を増やすと、かなりハードになるぞ。」


「そうですか?

鹿野さんに褒められると、ちょっと嬉しいですね。」


「良いところだけ抜き取ったな。」


 二人は会話をしながら歩いているうちに、やがて目的地に着いた。


 道路から施設内の様子は確認できず、門まで進んで敷地に入る。

すると、目の前には広場があり、そこにはまばらに人がいた。

そこへ、鹿野と春馬に気づいた男の子が駆け寄ってくる。


「うう、あああー!」


 男の子は両手を広げて抱きついてくる。

鹿野はしゃがみ込み、男の子を抱きしめ返す。

男の子は耳が聞こえているが、生まれつき言葉を話すことができない。

俗に言う『表出性言語障害《ひょうしゅつせいげんごしょうがい》』である。

それに『発達性発語失行《はったつせいはつごしっこう》』も併発しており、言葉を理解することはできても、うまく発話することができない。

だから、コミュニケーションは身振り手振りや首を振ることで行われる。


「拓哉《たくや》、元気だったか?」


 小さな男の子——拓哉は、大きく頷きながら同意を示す。


「ああーううぅ!!」


「そうかそうか。それなら良かった。」


鹿野は微笑みながら返答すると、横にいた春馬が会話に割って入ってくる。


「ちょっとちょっと、拓《たく》ちゃん!僕もいるよ!?ほら、春馬春馬!!」


 拓哉は鹿野から離れ、春馬の方へ抱きつく。

春馬も鹿野同様、しゃがんだあと抱きしめ返した。


「はははははっ!これだけ力強くギュッと出来るなら、拓ちゃんも異能対策課に入れるかもしれないぞ〜?」


 春馬はニコニコしつつ言うと、拓哉は春馬から離れたあと、満面の笑みでマッスルポーズをした。

そんな微笑ましい姿を見つめながら、鹿野は拓哉の純粋さに少しばかり温もりを感じた。


 相変わらず元気そうだ。

それに、抱きしめられるのが大好きなのも変わらないな。


 二人を見つめていた鹿野は我に返り、拓哉の登場でボランティアのことをすっかり忘れてそうな春馬に、鹿野は声を掛ける。


「春馬、私たちはボランティアに来たんだぞ?」


「ああ!そうでした!!……ごめんね拓ちゃん。

僕たち、職員さんたちに挨拶に行かないと!」


 春馬と鹿野は、拓哉に「すぐに帰ってくるよ。」と告げ一度別れた。

その後、職員に挨拶を済ませ、二人は施設の人たちと会話したり遊んだりしながら、ボランティアの時間を過ごしていた。


 そんな中、鹿野は拓哉と会話をしている途中、トイレへ行くため離席する。


「拓哉、お手洗い——トイレに行ってくる。

春馬!私が戻るまで、拓哉と話してあげててくれないか?」


「分かりました!」


 春馬は、施設職員の作業を一度中断し、拓哉の方へ駆け寄ってくる。

鹿野は春馬が来るのを確認すると立ち上がり、トイレへ向かった。


_____________


 トイレへ行く途中、二又に分かれた道があるのだが、左はトイレへ、右は分かれ道のすぐそばに職員室がある。

鹿野はその道を左へ曲がろうとした。

すると、職員達の会話が聞こえ、思わず立ち止まった。


「ホント、あの二人が来てくれて助かるわ〜。」


「ねぇー!!私、川西《かわにし》 拓哉《たくや》の相手したくないもん。」


「そんなの私もだよ!

だってあいつ、何かあれば「ハグして!」って求めてくるし、正直気持ち悪い。」


「ホントそれな!鏡見ろっての!!

小太りでクソ気持ち悪い顔面してる汚い奴を、誰が抱きしめたいんだっつーの。」


「まじで同感だわ。あいつキモイんだよ。」


 職員室で作業していた二人はその後、甲高い声で笑っていた。

鹿野は拳を握りしめ、歯を食いしばる。


 確かに拓哉は、美形とはかけ離れてるだろう。

だが、それ以上に綺麗な心の持ち主だ。

何より、そんなことを言って蔑《さげす》む資格があいつらのどこにある!!

ハグを求めるのも、それがコミュニケーションの一つだからだ!

私よりも長く接する職員なのに、なぜそんな事も分からない!

……しかし、拓哉とちゃんと接してくれる職員だっている。

あの二人の言葉が、この施設職員の総意でないのも確かだ……。


 鹿野は握りしめた拳から力を抜き、左の通路を進んでいった。


_____________


 鹿野はトイレから戻ると、微笑みながら拓哉に声を掛ける。


「戻ったぞ拓哉。春馬、ありがとう。」


「いえいえ、僕も楽しくおしゃべりしてたので!」


「そうか。」


 春馬と少し言葉を交わしていると、鹿野は拓哉が両手を広げていることに気がつく。

その後、何の躊躇もなく抱きしめた。


「拓哉。最近甘えん坊になったのか〜?私は嬉しいけどな!」


「ううーああーー!!」


 拓哉は嬉しそうに無邪気な笑い声を上げ、鹿野を一度見つめたあと、再び強く抱きしめた。


 そうして時間は過ぎていき、空が夕日で染められる頃、施設の人たちはご家族の方のお迎えで帰っていく時間になった。

鹿野と春馬と拓哉は座って待っていたが、一人、また一人とお迎えが来る中、拓哉のお迎えはなかなか来ない。


「お母さん、遅いね。まだお仕事かもね。」


「ああ……うう。」


 春馬の発言に少し暗い表情を浮かべたあと、俯き土に指で線を描き始めた。

沈む拓哉の姿を見て、鹿野はすかさずフォローを入れる。


「ボランティアに来る時しか分からないが、その時でもお母さんは、いつも18時ぐらいに来ていた。

今がちょうど17時55分だから、もうすぐ来るはずだ。

だから拓哉、私たちと一緒にもう少し待ってみよう。」


 鹿野の言葉に拓哉は顔を上げ、「ううー!」と声を上げたあと、足をバタバタさせて門の方を見つめる。

そして、18時が少し過ぎた頃、端整な顔立ちの女性が小走りでやってきた。


「——拓哉ごめん!遅くなっちゃった!!」


「うう。」


 拓哉は首を横に振り、お母さんにハグを求める。

母親は抱きしめながら、鹿野と春馬に視線をやった。


「すみません、いつもこの子の面倒を見ていただいて。」


「いえいえ、全然!僕らも拓ちゃんと居て楽しかったですから!」


「そうですよ。私も久しぶりに拓哉の元気な姿を見れて良かったです。」


「ありがとうございます。それじゃあ、お先に失礼します。」


 母親は拓哉の手を握りしめ、門へと進む。

拓哉は振り返ったあと、「ううあー!」と言い手を振った。

鹿野と春馬も、拓哉に手を振り返す。

そうして姿が見えなくなる頃、鹿野が春馬へ声を掛ける。


「じゃあ、私たちもそろそろ帰るか。」


「そうですね!今日は楽しかったな〜。」


その後、二人は帰路についた。


_____________


 二人が帰路を歩いていると、春馬が鹿野へ話しかけた。


「鹿野さん、さっきはありがとうございました。」


「ん?何がだ?」


「拓哉の件です。僕、拓哉を落ち込ませちゃった……。」


「ああ、お母さんの件か。

礼を言われるほどの事じゃない。

それに、謝りたいのなら私ではなく、拓哉にすべきだったな。」


「そっか!!しまったなぁ〜。今度会うときに謝っておきます!」


「ああ。でも、拓哉は優しく強い子だからな。

あの場では肩を落としたが、あまり気にしてないと思うぞ?」


「それでも、謝っておきます!」


「ははっ。うん、また会うときな。」


「はい!」


 その後、二人は静かに帰路を進む。

数分経った頃、遠くを見つめていた春馬が、再び鹿野へ声を掛ける。


「鹿野さんは、いつもこう……最適解?を導き出すじゃないですか?

それって、どうやってるんですか?

何か基準があったりするとか??」


春馬の質問に鹿野は考え込む。


「う〜ん……特に基準があるわけではないが、私は考え方と価値基準に明確に線を引いている。

その基準を満たさない場合、基本的には払い落とすが、その時は必ず、自分とは違う外側の視点で見つめるように心がけているな。」


「自分とは違う、外側の視点……ですか?

それは客観視するっていうやつです?」


「う〜ん、確かに似ていると思う。

だが、同じかと言われたら少しニュアンスが違うな。

客観視は自分のことに対して、一歩引いた場所で観察することだろ?

しかし、外側の視点というのはもっと遠くから見るんだ。

何て言えばいいんだろうな……こう、目の前のものを多角的視点から考える……という感じだ。」


「は〜、なるほど。

つまり、自分の意見とは異なるものがあった時、それは違う!って思うだけじゃなく、そうかも?って感じで、その物事に対して別の角度から捉えようと工夫する……ってことですか??」


「ああ、そういうことだ。

そうすることによって、『何が間違いで、何が自身にとって最適か。』を、より早く区分し、処理することができる。」


「でもそれって、逆に考えれば選択肢を増やすってことになりません?

そうなると、もっと迷うものなのでは?」


「うん、確かにそうなりうるな。

ただここからは、私個人の感覚的なやり方になってしまうから、あまり普遍的な枠に収めようとすると理屈が通りづらくなる。

あくまで私は、多角的視点で物事を捉えようと工夫するだけで、必ずしもそこから派生した答えを選ばなければならないわけではない。

つまり、何が言いたいかと言うと……


——『世界は立体であり、平面ではない。』


ということだ。」


「はぁあ…………あんまりよくわかりません。」


 春馬は苦笑いしながら頭を掻いた。


「でも、一つだけわかってることはあります。

鹿野さんは、悟りを開いてるってことです!」


「……なんだそれは。」


 鹿野は眉を顰《ひそ》めながら、今度は鹿野が苦笑いをした。

その後、何やら物思いに耽り、やがて口を開く。


「悟り……か……。私の思う悟りは、あまり良いものではないぞ?」


「そうなんですか?

悟りって達観してるみたいで、結構良いものだと思ってたんですけど。」


「まあそうだな、本来は良いものなのかもしれない。

だが、私の考える悟りが良いものではないという話だ。」


「それは……どう思ってるんですか?」


「……私の考える悟りとは、思考の終着点だ。

理解であり、『一種の』諦めである。」


「またまた、難しいこと言いますね。

どういう意味?……こと?ですか??」


 鹿野は軽く息を吐き、空を見上げながらポツリポツリと話し始めた。


「本来悟りとは、中継地点や折り返し地点のようなものだ。

それ一つとって、まるでそれ以外の答えがこの世にないように思うものではなく、本来はそれを踏まえた上で、更なる分岐点を探さなければならないんだ。

しかし、私の考えでは終着点になっている。

だから、ダメだと答えた。」


「…………すみません。さっぱりわかりません。

もう少し僕がわかるような言葉で、説明してもらってもいいですか?」


 春馬は再び苦笑いしつつ、申し訳なさそうに鹿野へ提案を伝えた。

鹿野も微笑みながら、春馬にわかるように説明を再開する。


「そうだな……砂浜で砂の城を作っているとしよう。

その城を完成させた時、これ以上の出来の城はない!と思うんだ。

しかし、本当は別の形でも最高の城があり、それ以外にもまた別の城の形があるんだ。

だが私は、その一つ目の城を作り終えると、もうこれ以外、最高だと言える城はないと断定してしまう。

だが、それではおかしいだろ?

なぜなら、先ほど言ったように、別の形の城でも最高と思えるものがある可能性が高いからだ。

 つまり——一つの城を完成させたからといって、『これが最高の城だ!』と、そこで作るのをやめてしまうのは違うということだ。

その城を完成させたからこそ、次は別の形を試せる。

答えを終わりまで見出して、それ以外、それ以上が存在しないと断定し、思考を停止してしまうのはダメだ、という話だ。」


「なるほど……そういうことか!

要するに、悟りは——『これが答えだ!と、それで終わるものではなく、本来はそこからまた別の道を探すためのものだ!』……ということですか?」


「そういうことだ。」


「は〜なるほど。そう聞くと僕も、悟りはこれ以上ない答えを持ってることと思ってました。

でも、本来はそこからがあるんですね!

そういうのって、気がつくと結構面白いですね!!」


 春馬は納得すると歩みを止め、鹿野に笑い掛けた。

鹿野も少し先で止まり、振り返ったあと、そんな春馬を見つめて微笑み掛ける。


「ははっ。春馬は時間が経っても、そのままでいてくれ。

私のようにはなるなよ?」


「なんでですか!?それに、僕にとって鹿野さんは凄い人なんで、目標にしてるんですよ!??」


「はははっ!いやなに、私を追いかけるなと言っているんじゃない。

私のように、凝り固まった概念を形成するなよ?って言いたかったんだ。」


「ああなんだ、そういうことか。

てっきり違うことかと……すみません。」


 春馬は再び歩き始め、鹿野に頭を下げる。

鹿野も春馬が横に来ると歩を進め、並走する。

その後二人は、さらに進んだ先の信号で別れ、お互い自宅へと帰っていった。


_____________


2013年7月21日

異能対策課 本部。


 鹿野は遅番の勤務のため、夕方ごろに本部へ赴く。

本部へ入ると、いつもより殺伐とした雰囲気が漂っていた。

そんな中、本部でブリーフィングを行い、巡回任務の隊員と交代しようとした時、そこには横たわっている大量の怪我人と死傷者が、鹿野の視界に映った。

第十八話を閲覧してくださり、誠にありがとうございます。


次週、本編は休載いたします。

なお、番外編は10月16日(金)20時に投稿する予定ですので、気になる方はぜひ覗きに来てください。


第十九話は、10月23日(金)20時に投稿いたします。

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