12-3 -エレーナ-
――できるな。
フェリルの眼差しは、エレーナの揺れる心を刺してきた。奥歯を深く噛み込んで、「やれます」と叫ぶように答えた。猟銃を握り、ポシェットには弾丸を納めて、森の中を駆ける。先行して集落に入るように命じられた。挽回の機会として、彼女は奮い立たせた。
――情けない。
探索隊として参加して、戦闘になった。銃弾が飛び交い、血が流れた。四人が死んだ。うち二人はつい一時間前に会話を交わした相手だった。自分は木影に隠れて、銃を抱いて震えるしかできなかった。
狩猟と同じく、狙いを定めて引き金をひくだけ。獣とヒトとの差しかない。そう考えていた。現実の状況に置かれて、何もできない自分を発見した。
ギルバートとレヴィンの二人はその時のエレーナの醜態をしっかりと報告している。アディとアンワルの冷めた視線が痛かった。フェリルからの咎めはなかった。アーネストもサイモンからも小言も何もなかった。給仕長のエイミーからは、「辛かったでしょう」と抱きしめられた。エレーナは下唇を噛んで、微温い給仕長の胸に顔を埋めさせた。涙はでなかった。ただ痛かった。
――アンナはどこに消えた。
柔肌と甘い香りを思い出した。二人だ抱き合って眠りについた。アンナの温もりと緩やかな胸の鼓動を聞きながら、涙を流していた。柳のような細い彼女の身体を抱きしめて、夜を過ごした。業務で失敗したから、エイミーにこっぴどく叱られたからか、何があったのかは覚えていない。覚えているのは、アンナの香りと肌の優しさだけである。触れていた手、指先をじっと見つめても、彼女は戻ってこない。虚しさで空回りしている。
フェリルから探索隊に加わるように打診された際に、後押しとなったのはアンナの存在だった。教会へお使いに向かった際に、忽然と姿を消した。
――何かわかるかもしれない。
その淡い期待を抱いて、森を進み、山を越えた。自らの経験を活かして、乗り切る場面も多々あった。しかし、何の成果も得られなかった。
フェリルが森に入ると聞き、すぐに志願した。アンナのこともある。自身の挽回のためもある。港町ランスで自分が拾われたのは、銃の扱いが長けていたため。今まさに期待に応える時であると、自らに強く言い聞かせた。
森の夜は黒い。闇と影の異相を狙って、足を進めていく。その中で橙色の揺らめきを見つけて、フェリルに報告をした。
隊は二手に分かれている。エンフィールドの官吏であるユーリが後発隊として、十余人を率いていると聞いている。立ち昇る煙から、おおよその距離も計れた。ただ、数時間前に煙が消えている。集落の裏に回る手はずとなっているとギルバートは言っていた。
「仕掛けてくるのなら、わざわざ明かりを灯しまい。降参のつもりか」
「探りに行きましょうか」
フェリルの背後に控え立つルシアナがそう切り出した。
「エレーナ、行ってくれるか」
フェリルはルシアナを制して、エレーナに視線を向けた。エレーナは深く肯じて応えた。
「できるな」
フェリルの一言はエレーナの心を握り込んでくるようだった。
闇の中で橙色は目立った。じりじりと大きくなっている。エレーナはそれを頼りとした。灯は持っていない。森の中は慣れている。足を取られるような真似はない。影と闇を誤って木々にぶつかることもしない。
ただ脳裏に喉を抑えて倒れ込んだフランツや、眉間を撃ち抜かれたネイトが過っていく。頭を振るほどに、鮮明に、瞼の裏に写し出されてくる。
銃を握りしめ、奥歯を深く、強く噛みしめて。目をカッと大きく広げて走った。正面の僅か小指の爪ほど灯りを頼りとして駆けることだけに意識した。
夜の森は静かだ。自身の荒い息と風の音だけが耳に届く。時として、樹を掴み、枝を折り、繁みを捌く。
自身が音を出すことに、エレーナは気にしなかった。そもそも煙を立てて野営を張って、暖のために火を熾し、煙を立てていた時点で、相手に自らの居場所を伝えているようなものである。密よりも迅速さを求められていると判断した。
エンフィールドの王都にあこがれていた。港町ランスで稼いで、王都に移ろうとうすらぼんやりと暮らす前は、山で猟をして稼いでいた。夜の山も闇の森も、雪の降る谷も幾度となく経験している。それを乗り越えてきた自負を胸にして、エレーナは銃を握っている。
橙色が揺れているのが見えるようになった。エレーナはさらに足を速めた。しかし、橙色は親指の先ほどの大きさから変わらなくなっている。
――予感はあった。
だから重心を傾けて、足の指先に力を込めて、木影に身を潜めさせた。途端、銃声が響いた。心が震えた。バサバサと鳥が羽ばたき、甲高い鳴き声を上げた。
息を殺して、木影で丸く身を縮こませる。耳を澄まして、音を拾うことに注力する。悲鳴も声は聞こえてこない。足音も聞こえない。ざわざわと木の枝が揺れ擦れ、鳥が翼をはばたかせているだけだ。ただ微かに鼻をくすぐる硝煙の匂いが気になった。
エレーナは徐に銃弾を取り出して、掌に握り込んだ。猟銃には未だ装填させていない。
――一発だけか。
そろりと木影から顔を出して、橙色の灯りへと目を凝らす。橙色の灯りは未だあった。ただ低く足元の位置で揺れている。
注意を深くしても、いくら耳を研ぎ澄ましても、動きはない。銃を握りしめて、灯の元へと進むと決めた。
足のつま先で立ち、一歩一歩に息をのみながら、ゆっくりとしかし確実に進んでいく。銃声は聞こえない。エレーナの他に動くものはない。いつしか夜の森は凪のように静まり返っていた。
男が倒れていた。頭から血を流している。ピクリとも動かず、ただ血が流すだけである。その血だまりの中に手燭灯が落ちていた。ちろちろと燃える灯りはその中にあった。
白髪交じりの髪だったのだろう。泥と血ですっかり変色している。深い皴の刻まれた顔に深々と彫られた銃痕があった。
エレーナはぼうと見下ろすしかできなかった。ぽかんとだらしなく口を開けていた。脳裏には幾度となく、血を吹き出して倒れるネイトやフランツの姿が過っていった。一発の弾丸がこの男の頭を貫いていった。その様子を重ねてイメージを具体化しようとしていた。
「何をしている」
背後からの声にすくみ上った。声は挙げなかったが飛び上がって、弾丸を装填していない銃を振り回した。そしてゆらりと揺らめく影に向けて銃口を定めた。
「危ねえなあ。何も殺そうってわけじゃあねえよ」
褐色肌に青い墨を鼻筋に施した男――アンワルが居た。アディとは違い、蛇のような眼に猜疑の色が宿っているようで、エレーナは苦手な男だった。腕より長い蛮刀を腰に佩き、銃を担ぎながら近寄ってきた。
「独りで行かされていると思っていたのか。カーライルのお嬢は賢しいからな。後詰に俺を遣ってきていた。お前が逃げやしないかってな」
言いながらアンワルは身を屈めさせて、腰に佩いている蛮刀を抜いた。灯を受けて、刃が鈍く光った。銃弾で撃たれた男の髪を掴むと、アンワルは躊躇いもなく首を切り取った。エレーナの喉奥から呻きが漏れた。それを察してか、アンワルは白い眼をエレーナに向けた。
「また退けているのか。そろそろ死ぬぞ、それだと」
男の髪を手繰り、切り取った頭も片手で下げる。アンワルは蛮刀を振って血を払った。顔色一つ変わらない。呼吸をするように何事もなく捌きであった。
「ベルグラーヴに来た男だ。たぶん、一番の男だろう。もう一人、偉そうなのが来ていたが、そいつはよそ者の匂いがしたからな」
「その馘をどうするつもりだ」
探索隊に参加していたアディは二人の男の馘を切り落として、報告とともにリディアに献上していた。両手を添えて、恭しく奉げるようにしていたアディの姿が鮮明に覚えている。
「お嬢に報告だよ。大将が殺されたというのは、大事だろう。告げに行くのが定石だ」
淡々とアンワルは応える。エレーナは眼差しを尖らせて、背を向けた彼を睨んだ。
「撃ったのは俺じゃねえよ。銃弾は頭の裏から眉間に抜けている。こっちに向かっていたはずの男が、背後から撃たれたってことだろう」
「仲間割れ」
エレーナがそう呟くとともに、ドンと鼓膜を殴りつけるような轟音が響いた。続いて銃声が幾多も聞こえてきた。そして悲鳴と叫びが葉擦れのように広がっていく。
アンワルは顎を振った。銃声の方角を指していた。足元から震えが来た。エレーナは固唾を飲んだ。喉が詰まりそうな心地がした。銃声は止まない。ドンと重い響きも鳴っている。
深く頷いた。銃を握り、地を蹴った。アンワルは見送りはしないだろう。ガサガサと彼の足跡も耳に入ってきていた。
視線の先に閃光の明滅が見えた。空を見上げる。赤い滲みがあった。空が燃えているのか。
木組みの小屋がいくつも並んでいる。集落が見えた。腰の高さほどの柵が設けられている。
煙が上がっていた。小屋には火がついた。小屋を包むほどの炎が上がっているのもある。エレーナの足が止まった。しかし躊躇っている暇はないと、値が張りそうなほど、地にへばりついた足を動かして、集落の中へと入っていく。
人がすっぽりと入りそうな窪みがあった。砲撃の跡だとはすぐには気づけなかった。火がつけられている小屋もある。砲撃が的中して、大きな穴の開いた小屋もあった。人の気配がしない。身を屈めながら、左右に視線を動かして進んでいく。
気づけば銃声は止んでいた。砲撃も聞こえてこない。
「エレーナか!」
レヴィンだった。肩で男を負っていた。そして彼の背後に女性がいた。教司のリディアだった。瞳を震わせながら、きゅっと唇を結んでいる。その手をレヴィンは繋いでいた。レヴィンに担がれている男は、守護士としてリディアの背後にいつも居る男だった。レヴィンの肩に担がれたまま動かない。両腕と顔に巻かれた包帯には血が滲んでいた。
「俺は本隊に戻る。集落に未だ人が残っていないか、確かめてくれ」
それだけ言って、レヴィンはリディアの手を引いて駆けていく。
「何があったのですか」
「戦争だよ。ユーリが勝手に撃ってきた。アディが死んだ。守護士は命はあるが、こんな感じだ。本陣での治療に連れて帰る」
エレーナの叫びに対して、レヴィンは振り返ることなく、叫びで返してきた。みるみる背は小さくなっていく。リディアは何度かこちらを振り返ろうとしていたが、弱々しい眼差しであり、レヴィンの力に抗うことなく足を止めることはなかった。
彼が進んできた道を戻る形で、エレーナは歩を進めた。集落の中では大きな木組みの構えがあった。火は未だ着けられていない。駆けるようにして、入った。
三人が死んでいた。片腕に添え木が括られている少年は首元を切られ、血の海の中で転がるように倒れていた。狼のような細面の男は、頭や胸、腹から血を出して、座り込む形で死んでいた。そして、アディは首がなかった。褐色肌から彼の遺体であると、エレーナは推測した。結論を出そうと顔を上げた時、転がっていたアディの頭部をみつけた。
膝裏から力が抜けそうだった。壁にもたれかかることで、何とか耐えた。肺腑より込みあがってくるものがある。それも強引に飲み込んだ。鉄なのか火薬なのか、はたまたもっと別の汚物なのか。鼻の根元がへし曲がるような汚臭が熱い胃液を首元まで圧し上げてくる。
――戦争だよ。
レヴィンはそう言っていた。これが戦争なのか。奥歯がカチカチと鳴っている。耳障りだったので、ぐっと噛みしめて耐えるよう意識したが、今度は身体の震えとなって表れた。
視界が滲みだしてきた。もう冬が来ているというのに、身体が無性に熱くなっている。腰に力が入らない。じりじりと壁伝いに扉から出ていった。
外に出ても暑かった。ほとんどの小屋に火が着けられていた。集落の中央に人だかりができている。皆、銃で武装している。その中心の人物に覚えがあった。無精に伸ばした髭と薄汚い金髪。カーライル邸で隊を組みわけの時に、フェリルの隣に立っていたユーリという男である。
報告を受けているのか。しかし、寄ってきた者に対して言葉をかけて、送り出しているように見えた。
集落を失くそうとしている。そう察した。見渡す限りに火が着けられている。三人が死んでいた屋敷から離れて、左右に視線を動かしながら見歩いていく。
――いや、一軒だけ、灯の点っていない小屋があった。ただ砲撃を受けてか、半壊となっている。
腹の底に淀みのように溜まっている息を吐き出してから、小屋へと踏み入れた。
扉は手をかけただけでバラバラに崩れていった。部屋の中は砕けていた。机や椅子、調度品が四散している。
ただ部屋の奥に扉があるのを見つけた。汚臭がさらに鼻を突いてくる。
――コロシテ。
風の音に紛れて、そんな声が聞こえてきた。糸くずのような弱々しい声だった。
扉に手をかける。蝶番はまだ生きているようだった。ぐっと押しやると扉が開いた。
ぐったりと座り込む人であると、にわかには気づかなかった。
――コロシテ。
また聞こえた。鎖につながれて、服ともいえぬ布切れを身体にかけられた少女であった。
「アンナ」
思いつくよりも先に、口から出ていた。音となったとたんに確信に変わった。
「エレーナ」
少女が首を上げた。しかし、髪がバサバサと乱れ、一部は抜け落ち頭皮を露出させ、頬やこめかみ、目の周りには赤黒く腫れあがり――壊れていた。
口周りはべたべたとてかり、腕周りは痣と小さな穴の痕があった。
――コロシテ。
視力を失っているのか。鎖でつながれた少女は頭を振っている。土色の唇を動かしているようだが、音を発しているようにはエレーナには見えなかった。
恐怖があった。じりじりと身を退かせていた。奮い立たせることはできない。
ここで何があった。雪のように白かった肌は、さらりと流れるような髪は、輝くような瞳は――どこに消えた。
むき出しとなった太腿とその付け根。痣と血と、ほかの汚れがこびりついている。
――ここで何があった。
近寄れなかった。アンナを抱きしめられない自分を発見した。エレーナの視界が滲みだした。かける言葉もすべき行動も判らない。据えた匂いが鼻を突く。
掌に握っていた弾丸を、銃に込めていた。震えは止まっていた。考えることもなく、所作として動いていた。
銃口を向けて、引き金を指にかける。
ふうと一つ息を吐いて、丹田に気を落とした。息が落ちるとともに視界のゆがみが晴れてくる。
正面には、ぐったりと尻をついて座る少女が居る。
――エレーナ。
甘い囁きが耳奥に響いた。
引き金は軽かった。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
これからは終盤に向けての駆けてまいります。
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