12-2 -ハンネス-
ハンネスは腕を組んで、木組みの壁に寄りかかっていた。息が重くなっているのがわかる。――さすがに疲れているのか。
教司のリディアは椅子に腰を掛けながらも、背筋を伸ばして凛とした姿勢を崩していない。守護士として、彼女より先に倒れるわけにいかず、彼女より後に死ぬことも許されない。
ベルナールに寝床は案内されている。しかし、リディアは居間から動かなかった。アルベールも腕を組んだまま、今の椅子に腰かけて、動かなかった。
セルジとハビエルは準備と称して、小屋から出ていった。夜闇の中、空に向かって二つの煙が昇っていた。カーライル家の者がこの集落に向かっている。争いを諫めるリディアの声もむなしく、彼らは出ていった。それでもとめに行こうとする彼女を、ハンネスは腕を掴んで抑えた。むざむざ死にに出るような二人ではないと、ハンネスは踏んでいた。この状況から逃げ出すことも十二分にあり得るとも予見に入れていた。
――自分の役目はリディアを生きて、教会に戻すことである。
そう割り切っていた。
ベルナールは声をかけずに二人を見送っていた。
「二人は逃がさない。責任を取ってもらわなければならない」
腕を組んだまま不動である。しかし、重い口調でそう断じた。策をねっているようにはハンネスには見えなかった。強い意志だけがあった。
トマも自身の親が住む小屋に戻り、フラッグは同じ小屋に居るがベルナールに与えられた部屋に入っていた。明日のためにしっかりと寝ておくと言っていた。
「私が浅はかだった」
微かな呟きだった。伏した視線に白髪交じりの頭に無精に生えた髭。深く掘られた皴の影が、燭台に点った炎にあわせて僅かに動く。
「二人の甘言に乗って、ここまで来てしまった。結局はそれがここまで追い込まれることになってしまった」
ぽつりぽつりと噛みしめるようにして言葉を紡いでいく。リディアは面上げて、視線をベルナールに向けている。ハンネスはリディアの背中を視界に収めながら、ベルナールの言葉を聞くことにした。
「ハビエルとセルジは反対するだろう。この集落のために、私はカーライルに、二人とともに馘を差し出そうと思う」
「どうしてそれは、あえて私の前で仰るのでしょうか」
リディアの声には冷徹さが含まれていた。
「それを聞いて、教司として止めに入らなければならなくなります」
毅然とした言葉であった。ただハンネスにはリディアが圧し殺すべき感情が堪え切れなくなっているようにも感じられた。
――ベルグラーヴからずっとだからな。
カーライルと惣との仲介に入る頃から、役目と割り切って、身を硬質に固めて、立ち振る舞うようになっていた。ハンネスには頼もしさよりも、いつ崩れるかもしれぬ危うさを覚えていた。ただ自身が口出しをして、突っぱねられて余計に意思を硬化させるだけように思えた。
「未練でしょう。それだけです」
ベルナールは淡々と答えた。視線を動かさず、唇を噛むような仕草もない。考える素振りすらなかった。用意していた答えをそのまま出してきただけのようであった。
「迎え撃つに力は足りない。追い返すにも正義が足りない。ベルグラーヴが戻ってくるとの甘言に乗り、襲撃に加担した罪はあまりにも重い」
発している内容のわりに、重さを感じられない。ただ慎重に言葉を選んでいる印象をハンネスは感じた。
「命に未練はあるが、馘を差し出さねばならない」
まっすぐに見つめるリディアに対して、視線を合わせようとしないベルナールに、ハンネスは不信を抱いていた。
――元を質せばベルグラーヴは我々の土地だった。
ベルナールはそう言っていた。ドライゼとアトラスとの間の戦争になり、漁夫の利を狙ったエンフィールドが、思惑通りに奪い取った。それが百年も昔のことである。ベルナールの五代前である。
奪還は集落の悲願である。三代前より集落の長を務め、父と母から、祖父からもそう教えられてきた。
――ベルグラーヴを取り返す。その手助けをしよう。
自らは商人と称して、森を彷徨っている内にこの集落にたどり着いた。セルジはそう自己紹介をした。五年ほど前のことである。ハビエルは三白眼でベルナールを値踏みするように窺っていた。エンフィールドの者ではないことと、ベルグラーヴの現状を伝えてくれることから受け入れることにした。
そして彼らは狩猟のための銃や弾丸、火薬、そして薬を取り扱っていたため、喜んで彼らと取引をするようになった。教会の督郵であるジェイコブは、銃や弾丸の提供はなかった。あるとしても取引に毛皮や肉、薬草を膨大に求められた。
セルジとハビエルから取引をし出すとともに、ジェイコブは集落に現れなくなった。そもそも督郵としても道を外して寄っていた事情があるため、理由や因について、深く考えなかった。
「森を彷徨って、ここにたどり着ける、というところからまず疑うべきだったな」
ベルナールの話を聞きながら、ハンネスはそう吐き出していた。
「そうだな。初めから、狙われていたんだ」
「ジェイコブがここを教えたんだろう」
「ハンネス!」
リディアからの声が飛んだ。ハンネスは無視をした。教会への納品と注文のやり取りからジェイコブの面識はある。キツネのような細い眼をした男である。ハンネスは祭儀を覚えながらも、帳面上は正しく、リディアの注文品も正確に届けるところから、やり取りはできると判断していた。
「最も、セルジ達とジェイコブ氏とのつながりを証明するものは何もない」
「だから、生きて公的な場所で証言してもらうしかない。教会側と雖も、教司殺害に加担した者は処分せざるを得ない。馘を差し出すのは結構だが、三人とも並んで、先ずはベルグラーヴの保安駐在所。そこからエンフィールドの法院。死ぬのはそれからにしてもらう」
溜息まじりに、ハンネスはそう吐き捨てた。リディアの厳しい眼差しは変わらない。本音は、ここでベルナールを処分して、リディアを担いでベルグラーヴに戻るのが最良である。しかしそれでは、リディアは納得しないだろう。
譲歩での言葉である。だからこそリディアは反論を挟もうとしてこない。ハンネスはそう睨んだ。
ベルナールは口を閉じていた。頬の硬さから、力んでいるのがわかる。目を閉じて、腕を組んだまま、しばらく動かなかった。
「どうされましたか?」
少し身をかがめながら、リディアはベルナールの顔を伺うようにして尋ねた。
「あの時の守護士が君の兄と伺っている」
ベルナールはゆっくりとした口調で切り出した。表情に変化はない。ただリディアはさらに表情を強張らせた。
「彼は助けを求めた私のところへ向かうため、教司と離れた」
――その際、ランベール教司は襲撃を受けて、殺された。
「セルジとハビエルは、トーマスとともに準備を進めていたのだろう。私にはその時、何も気がつかなかった。ただベルグラーヴの奪還という言葉に踊らされていた」
「マーク・トンプソンについてもご存じなかったのですね」
リディアの言葉に対して、ベルナールは深く頷いて応えた。
「ベルグラーヴで騒ぎを起こす。その際に、教司を誘拐する。それが二人から聞いた計画だった。誘拐のためには、教司と守護士を引き離す必要がある。そのために、一役買った」
あくまで誘拐であり、交渉役としてエンフィールドとファブリカ大聖堂との間に立ってもらうようお願いをする。ベルナールはそう聞いて、話に乗った。実際は、ランベールの教司の殺害が目的であり、その陽動としてマーク・トンプソンにベルグラーヴを襲撃させていた。ジャンはランベールを守れなかった責任を取って、自刎した。
「利用されていただけだったとは、全てが終わってから知ったよ」
ベルナールの歪んだ唇が自嘲を挿しているように見えた。リディアは表情を殺しているようだった。ただ机の下に隠した握りこぶしが震えている。彼女の背後に立つハンネスだからこそ見えた。
「そうでしたか」
リディアが重い声を吐いた。
怪我をして動けない者がいる。助けてくれと、ベルナールが教会に駆けこんだ。ちょうど、ベルグラーヴに火の手が上がった頃だったという。銃声が響く中、ランベール教司はセルジ達の目論見通り、ジャンを怪我人の元に向かわせた。
「どうして、すぐに名乗り上げなかったのですか」
「怖かったのでしょうね。セルジとハビエルの二人もそうですが。結果としての被害を聞き、関わったことの甚大さに」
ベルグラーヴを見るのは、この時が初めてだったと、ベルナールは言った。ステンドグラスの構えの教会を目にして、脳裏には自身の集落の木組みの小屋がよぎった。憎しみや悲しみといった感情はなかった。ただ美しいとしばらく見上げていた。ベルグラーヴは奪われた土地と聞いていたが、自分自身は集落で生まれて、そこで育ち、そこから出たことがなかった。代々の言葉だけが空回りしていたのだと察したが、すでに遅かった。
「本当に終わったのですかね。これで。どうして今も尚、二人はここに残っているのか。教会の襲撃が目的ならば、果たしたはずだが」
ハンネスがそう言葉をつなげていると、バンと音を立てて扉が開かれた。息を切らしながら、トマが入ってきた。
「煙が一つ、消えました」
肩を大きく上下させながら、彼はそう叫んだ。
「いよいよか」
そう吐きながらベルナールは腰を上げた。
「教司様はここに残っていてください。私一人が出頭します」
「しかし、それでは――」
「貴方を背後から狙う者がいるかもしれません。中の方が護り易いでしょう。トマもここにいなさい。それとフラッグ君を起こして、集落の外への避難を始めるように、と」
毛皮のコートを羽織り、手燭台を手にしてベルナールが出ていった。中腰姿勢のリディアはそのまま動くことなく、彼を見送るだけだった。
トマはベルナールに言われた通り、奥の部屋へと入っていた。
「何も起こらないはずもない。むしろこれからか」
丹田に息を落として、奥歯を噛みしめる。手持ちはナイフ二本のみ。後、視界に見える猟銃が一丁。ただし弾の場所がわからない。
「本当に、これでいいのでしょうか。私にできることが――」
「やらないでください。できることといってむやみに手を伸ばせば、蛇が出てきます」
「蛇に噛まれるぐらい――」
「それでカーライル家も立場を失くす。この集落だけではなくなる。もう少し、ご自身の置かれている立場をお考え下さい」
リディアの睨みが向けられる。歯を軋ませながらも、反論は唱えてこない。ハンネスは視線を受け流した。
肩の鉛のように重い。吐き出す息にも重さを覚えた。気付代わりに頭の裏をこんこんと叩きながら、猟銃を手に取り、近くの衣類や袋をまさぐる。
どたどたと床が揺れた。奥の部屋より、フラッグが転がるように飛び出てきた。しっかりと眠りに落ちていたのだろう。瞼が開き切っていない。
「教司様」
椅子に腰かけるリディアの姿を見つけると、途端に彼は姿勢を正した。両目を強く瞑り、頬が強張っているのが、ハンネスには見えた。
「――行ってまいります」
フラッグはそれだけ言って、扉へと足を向けた。それ以外の言葉が喉元まで込みあがっていたようにハンネスには見受けられたが、彼は口から出さなかった。
「これを持って行ってください。何かの足しになるでしょう」
リディアは立ち上がり懐より、洋巾を差し出した。目を凝らしてみると教会の印とリディアの名前が記されている。一目で見る限りではあるが彼女の筆跡のものである。
「くれぐれもお気をつけて」
フラッグの手を取り、リディアはそう言った。フラッグの瞳は揺れていた。彼女の手を払うようにして離し、洋巾を握りしめて、外へと飛び出していった。
ハンネスに腕を折られたトマは、空いていた椅子に腰かけて、頬杖をついた。ベルナールにここに居るように命じられていたから。それだけではないことは、ハンネスは察している。
リディアは強く固めた右の拳を隠すように左手を添えて立っていた。ベルナール、フラッグが消えていった扉をじっと見つめている。
「そこにいると危険です。席に戻ってください」
淡と事務的にハンネスは言った。リディアに反応はなかった。険しい瞳でじっと扉を見つめている。願っても祈っても、事態が好転するとは思えない。
猟銃の傍に放られていたポシェットより、銃弾を三発ほど見つけた。――ないよりもましとして、ハンネスは自身の巾着に納めた。猟銃の状態も検めたかったが、時間を費やすので、銃身内や撃鉄まわりなどを目視で確かめるだけにしている。とりあえず、暴発はないだろうと踏んだ。
ぱちぱちと火にくべられた薪が鳴いている。ごうごうと吹きすさぶ風が耳障りだった。トマがちらちらとリディアとハンネスの顔色を窺うように視線を動かしている。
二人は動かなかった。リディアは運命が扉を叩いてやってくると信じてでもいるのか。じっと木扉を見つめたままだった。
ハンネスは、猟銃を抱きかかえ、耳を澄ませた。
幾時間が過ぎたであろうか。契機はなかった。
銃声の響きが、小屋の中まで届いた。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
これからは終盤に向けての駆けてまいります。
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