10-3 -クレア-
表では、ハンネスが猟銃を構えていた。リディアが銃身に手を置いて、発砲を許さない。手を挙げた男が四人、こちらにゆっくりと向かってきている。クレアも懐の拳銃に手をかけている。
頬を剃るような冷たい風が吹いている。足元は白茶けた草が寂しく広がっている。乾いた視界は、はるか遠くの森の口までを試合に捉えさせてきた。
「殺生はいけませんよ」
リディアの静かな声が響いた。ただ鋼線ような硬さが潜んだ声調だった。ハンネスは銃を下さず、手を挙げている四人に向けたまま、微動だにしない。クレアは修道院から出てきた際の柳の葉な彼女が懐かしく思えた。
日が昇る前から祭壇を清掃し、教会周りを掃く。薬草園の手入れをして、三人並んで朝の祈りをささげる。ハンネスは午前の鐘を鳴らすと、薪割りに鉈を片手に外に出て、クレアとリディアは製薬に勤しむ。トマに多くの薬を渡したため、備蓄が減っていた。ハンネスは呆れ混じりの冷たい眼差しで、トマの折れた腕を治療し、薬品庫から幾多もの薬を渡すリディアの姿を見ていた。
「あの者たちはベルグラーヴの者ではありません」
異変に気がついたのは、ハンネスだった。クレアに気づかせるように、わざわざ教会内に足音を響かせて、猟銃を手にして表に出なおしていった。
――リディア様に気づかれれば、こうなることも判っていたでしょう。
――いずれにしてもこうなった。ならばあえてこの体裁に持っていくほうが吉だ。
トマの一件があったからだろう。秘して処分するという選択肢を彼は最初から捨てていた。
四人の男たちがいよいよ顔もしっかりと見えるほどの大きさとなった。白髪交じりの初老の男を先頭として、見知った顔が二つあった。
「トマ君。それに、フラッグさん」
駆けだそうと前のめりになったリディアに対して、今度はハンネスが腕を伸ばして静止した。四人は手を挙げている。手には武器は収まっていない。それでも彼は許さなかった。
ぐっとリディアの身体を圧しやって、クレアに彼女を預かるようにと目を配り、体を動かす。クレアはリディアの身体を抱き留めて、いっそう四人の手足に注意を払った。
「ハンネス。何をするのですか」
銃声が響いた。四人の足元が抉られた。砲身から灰煙が昇っている。ハンネスは次弾を詰めて、水平にして構えている。
「止めてくれ! 争いにきたのではない!」
白髪交じりの男がしゃがれた声を張り上げて言った。がさがさと聞きづらさはあるが、耳には届いている。ハンネスは構えを緩めなかった。引き金に指をかけている。
「よしなさい、ハンネス。トマ君に、フラッグさんですね。そして、あなたは――」
「ベルナールという。隣にいるのは、セルジだ。お願いしたいことがあって、ここに来た」
言い終わるのが先か。ハンネスがもう一度、引き金をひいた。けたたましい銃声とともに、セルジと紹介された男の足元の土が跳ね上がった。
「ハンネス!」
「もう撃ちませんよ」
乾いた返事だった。ふんと荒っぽい鼻息が聞こえてきた。確かに弾は込めずに、砲口は下げている。しかし、利き手には刃物を握っていた。
「武装を解いてくれないか」
「我々には教会を守る責務がある」
「教会は絶対中立ではないのか。お前たちと争うつもりはない」
重さのある声だった。セルジと紹介された熊のような分厚い身体をした大男からの声だった。
――中立と雖も、害をなすものは容赦なく排除する。それが守護士の務めでもある。
「我々は、山向こうの集落より来た。エンフィールドにより、ベルグラーヴを追われた者だ。代表として助けを求めにきた」
ハンネスの睨みは、セルジに集中している。クレアは、ベルナールとセルジの二人を注視していた。リディアを掴んでいた手を離すものの、懐の拳銃にいつでも手が伸ばせるよう、リディアの盾となれるよう緊張は厳しく引き締めていた。
「とりあえず、教会の中へお入りください。トマ君。骨折の具合を診ましょう。さあ、お入りください」
幼い顔で左右に控える大人の顔をしっかりと伺ってから、トマが先行して近寄ってきた。そのあとを、フラッグが着いてくる。自分たちが警戒されているのは十二分に勘づいているのだろう。ベルナールとセルジが手を挙げたまま、足を進めてきた。
日は高く昇っている。寒風が吹きつけてくる。青々と茂っていたはずの森も、葉の数はまばらとなり、はるか遠くの峻険なる山々の頂には白雪に染まっている。
教会の祭壇わきに設けられている暖炉に火を入れて、憩い、談話の場として用意している机、椅子へと、リディアが先頭として案内する。
四人を椅子に座らせると、リディアは治療の道具を取りに、裏へと下がっていった。
「余計なことはくれぐれもないように。お客様として、持て成しなさい」
ハンネスにそう釘を刺していた。
「よろしいのですか。本当に」
「よいも悪いもないでしょう。教会の、教司としての役目を果たすまでです」
背中を追うようにして控えるクレアの問いに対して、ぴしゃりとリディアは答えた。
「何かがあってからでは遅いのです。私とハンネスはリディア様に何かあれば、自ら首を刎ねなければなりません」
「そんなことはありません。そんなことをさせません」
硬い口調。まっすぐに伸びたリディア背筋には、ひどい力みをクレアは感じた。何を言っても彼女には届かないかもしれない、と嘆息を吐きながら、彼女の後に着いていく。
リディア自身も頭のどこかで、自分の置かれた立場は理解しているのだろう。ここのところ幾度となく、彼女の行動に対して諫める、あるいは彼女の望まぬ言動をしているのだが、クレアやハンネスの行動に対して止はするが詰問や、懲罰に動こうとはしていない。
――もっとも、端からそういうことが頭にないだけかもしれないけれど。
薬品庫などから治療道具一式を整える。
教会の中はいたく静かであった。雪でも降っているのではないかとも思ってしまうほどである。
「補助はお願いしますね」
そう言いながら、リディアは振り返りもしないで、足を動かしていく。歩幅は小さくも早歩きであった。備品の準備の際もせかせかと手を動かしているように、クレアには見受けられた。磁器のような白い肌と、僅かにだけ赤みがかった頬と唇。ただその眦に柳のような柔らかさは消えており、針のような尖りが帯びている。
教会の談話場に戻ると、机上にナイフが突き立てられていた。四人は椅子に腰かけたまま、ハンネスは片手に同じ型のナイフを握りしめている。
「何をしているのですか」
「ランベール教司とあなたの兄を殺したのは、この連中だ」
ハンネスが言い放つ。敢えてにべもないように投げ放つような声色だった。しかし、彼の視線がリディアの顔を一瞥したのをクレアは見逃さなかった。
リディアの身体が硬直した。手に下げていた薬箱を、厳しく握りしめ直しているように、クレアには見えた。両肩が上がり、ゆっくりと沈んでいく。
「そうですか。それで、あなたは何をしているのですか」
クレアにはリディアの表情はうかがえない。震える声調に、感情を殺した痕をみる。ハンネスは椅子に腰かける四人に視線を向けたまま。机上に突き立てられたナイフが鈍く光っている。
「処断する。クレア、保安駐在所へ通報を」
「待ちなさい」
いよいよリディアが声を荒げた。
「たとえ、ランベール教司を、兄を襲ったとはいえ、それでも教会に頼った者たちなのです。先ずは話を伺いましょう」
机上のナイフを引き抜き、刃を握って柄をハンネスに向ける。ハンネスはリディアを睨んでから、しぶしぶと柄を握り、彼女が手を広げて離すのを待った。リディアの手から一滴の血が流れていく。
リディアは中腰となり、トマの治療へと移った。声色を和らげながら、痛みや腫れの具合を確認して処置をする。介添えとして、クレアが立ち回る。ハンネスは変わらずナイフを握ったまま、四人の男たちに睨みを利かせている。
「勘弁してください」
弱々しい口調で、フラッグが言葉を放った。
「自分はトーマスに連れられて。この三人とは――」
「おい、今さらになってなんだ」
セルジがフラッグの言葉をかぶせる様にして声を出した。顔こそ二人に向きはしなかったが、リディアの手が止まっていた。
「今さらって。知りませんよ、自分。教司の件も何も」
「よさないか!」
ベルナールが額に手を当てながら叫んだ。
「責は私とセルジがとる。フラッグ君はここで解放。トマは教会で治療を受けなさい」
セルジの眼差しがいっそう厳しい尖りを帯びてベルナールに向けていた。ベルナールはそれに気づきはしていたが、反応はしなかった。
「とりあえず、まず、私たちの話を聞いていただきたい」
ベルナールはトマの腕に包帯を巻くリディアに向き直り、椅子から降りて深く首を下げた。
「銃声が聞こえたぞ。ここで何があった!」
ガンガンと乱暴に扉を叩く音が響いた。クレアもよくよく覚えのある声音である。
「――開けてきてください」
両眼を瞑り、ぐっと歯を軋ませるようにしてリディアが言った。ハンネスに視線を向けると、彼は首を横に振って合図を送る。――お前が行け、と。
クレアは徐に立ち上がり、未だ激しく叩かれる扉を開いた。案の定、フェリルが拳を作って立っていた。彼女は挨拶もなく、大股で中に入ってくる。その後ろを黒髪のルシアナがへこへこと頭を下げながら追っていく。
「そちらからわざわざ出向いてくるとは有り難い。教会で血が流れるのも悪かろう。四人を引き取らせていただくぞ」
四人の座る机の前に立ち、フェリルが見下すようにして言い放つ。ルシアナに続いて、カーライル家の者だろう男たちがぞろぞろと続いて入ってきていた。トマとフラッグは瞳を震わせながら、武装した男たちを見まわし、ベルナールは静かに目を閉じた。
舌打ちが聞こえた。セルジからのものだろう。片手で自身の腕を掴んでいる。爪をたてて厚い衣を貫いて肌にまで深く刺し込んでいるように、クレアには見えた。
「ハンネス、あの発砲はこれが狙いだったのですね」
リディアの問いに対して、守護士のハンネスはしらを切って答えなかった。半眼を四人に向けたまま、唇は縫ったように動かない。
「引き渡しを拒否します。フェリル様、ここから立ち去ってください」
治療の区切りをつけるや、リディアはゆっくりと立ち上がり、フェリルに相対した。
「一刻も早く」
人差し指で扉を案内する。フェリルは腕を組んで、口角を歪ませた。
「教司様。この者たちが何をしたか、ご存じないのですか」
「それをこれからお伺いしようとしていたところです」
「それでは存分に尋問しましてから、私からご報告を――」
「結構です。それよりも一刻も早く、この教会より立ち去りなさい」
リディアがフェリルに向けて毅然と扉を指さす。途端、フェリルの眼は座り、ギリと擦り付けるようにリディアを睨んだ。
「教司様は状況を理解しておられないのか」
間に挟まれているトマはきょろきょろと首を動かし、セルジに至っては溜息を吐いている。ハンネスは静として動かず。クレアは固唾をのんで二人のにらみ合いを見守るしかできない。
「貴方がここを出られないのでしたら、私が出ていきます。彼らの場までお話を伺いに」
「それは許されません。教司様と雖も、聞き分けのないふるまいには、国を通じて大聖堂へと報告させていただきます」
「結構です」
カツカツと音を立てて、リディアが動いた。フェリルの傍らを通り過ぎ、ハンネスの傍に寄ると、彼の腰に無造作にさがっていたナイフを手に取った。
「何をなさるのですか?」
ハンネスが驚き声を上げるも、彼女は握りとったナイフの刃を自身の首元にあてた。
「もう一度、言います。ここから一刻も早く、立ち去りなさい」
「お辞めください、リディア様」
クレアが駆け寄ろうとするも、リディアは空き手を刃に添えた。雪のように白い肌に、真紅の血が一筋、流れていく。クレアの足が止まり、ハンネスも手が出せなかった。
「何をお考えに――」
歯を軋ませるようにして、フェリルが言った。爛々と輝くリディアの瞳に、彼女がのまれているようでもあった。言葉が続かず、にらみ合うだけ。微動だにだけないでいる。
「教司様、どうか、わが集落までお越しください。そこでお話をしましょう。ここでは騒がしすぎる」
セルジだった。重く太い声が教会中に響いた。
「教司様のお身体が第一。このままの膠着状態では万が一が起こりかねません。いかがでしょうか。守護士の方とともに、どうか」
巌のような輪郭に、剣のような細い瞳をつけた大男の顔を伺う。クレアは視線をハンネスに送った。彼は軽く頷き、フェリルの言葉を待った。
彼女は小さく肯じた。
「解りました。参りましょう」
「カーライルの者はご遠慮、願いたい。それでよろしいかな」
ベルナールが言葉を続けた。
「着いてくる守護士はあの女のほうが――」
言葉の途中で光が飛んだ。クレアは、太腿に鉛のようなものが重さを覚えた。途端に、力が抜けていく。焼き鏝にあてられたような熱い痛みが広がってきた。
ナイフが刺さっていた。刃は腿を貫いていない。しかしだらだらと血が流れて止まらない。ナイフを引き抜きながらも、クレアはたまらず横たえた。視界が滲み、痛みが喉元まで込みあがっている。堪えるのが精いっぱいで、発する言葉がでてこない。ルシアナの指示が響き、カーライルの従者が一人、クレアのそばに寄ってきた。
「あの女は怪我を負っている。私が行く。構わないな」
ベルナールもセルジも、リディアもハンネスの行動に目を丸くしていた。唖然として、ハンネスと、止血を受けているクレアへと視線を交互に泳がせている。
フェリルだけが表情を変えずに、リディアと四人の男を睨み続けていた。
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